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三郷組
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[File:喜蔵院三郷組総長顕彰碑.jpg|thumb|300px|喜蔵院にある総長顕彰碑]] | [[File:喜蔵院三郷組総長顕彰碑.jpg|thumb|300px|喜蔵院にある総長顕彰碑]] | ||
'''三郷組'''は[[大峰山寺]]に登拝する[[修験道]]の行者講で、大峰山寺の運営に関わる[[阪堺役講]]の一つ。 | '''三郷組'''は[[大峰山寺]]に登拝する[[修験道]]の行者講で、大峰山寺の運営に関わる[[阪堺役講]]の一つ。 | ||
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+ | 1825年(文政8年)、[[安禅寺]]、蔵王権現([[金峰山寺]]か)、山上役行者尊の戸張を寄進したことを記す扁額が現存。明治初期には上町組、船場組、天満組、南島組、京橋組、川西組、長柄組があり、三郷七島と呼ばれた。1879年(明治12年)、[[仁和寺]]に所属。その後、退転する講社が増え、1896年(明治29年)、上町組と川西組を合併して再編。'''大阪山上三郷講'''を結成し、[[聖護院]]所属となった。1939年(昭和14年)には27の枝講を擁した。1985年(昭和60年)時点で役員38人、講社22団体、講員354人、参拝券42枚だった。大阪が拠点。[[喜蔵院]]を宿坊とし、西儀を定宿とした。2月下旬に太子講、4月初旬に[[浦江聖天]]護摩を行っていた。 | ||
===歴代総長=== | ===歴代総長=== |
2021年11月27日 (土) 時点における版
三郷組は大峰山寺に登拝する修験道の行者講で、大峰山寺の運営に関わる阪堺役講の一つ。
1825年(文政8年)、安禅寺、蔵王権現(金峰山寺か)、山上役行者尊の戸張を寄進したことを記す扁額が現存。明治初期には上町組、船場組、天満組、南島組、京橋組、川西組、長柄組があり、三郷七島と呼ばれた。1879年(明治12年)、仁和寺に所属。その後、退転する講社が増え、1896年(明治29年)、上町組と川西組を合併して再編。大阪山上三郷講を結成し、聖護院所属となった。1939年(昭和14年)には27の枝講を擁した。1985年(昭和60年)時点で役員38人、講社22団体、講員354人、参拝券42枚だった。大阪が拠点。喜蔵院を宿坊とし、西儀を定宿とした。2月下旬に太子講、4月初旬に浦江聖天護摩を行っていた。
歴代総長
- 広野与右衛門
- 中井寅之助
- 阪口親平
- 藤田梅造
- 小島平次郎
- 河合金十郎
- 萩藤木之助
- 八木政雄
- 丹生懿威