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三郷組

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月18日 (火)

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'''三郷組'''は[[大峰山寺]]に登拝する[[修験道]]の行者講で、大峰山寺の運営に関わる[[阪堺役講]]の一つ。
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1825年(文政8年)、[[安禅寺]]、蔵王権現([[金峰山寺]]か)、山上役行者尊の戸張を寄進したことを記す扁額が現存。明治初期には上町組、船場組、天満組、南島組、京橋組、川西組、長柄組があり、三郷七島と呼ばれた。1879年(明治12年)、[[仁和寺]]に所属。その後、退転する講社が増え、1896年(明治29年)、上町組と川西組を合併して再編。'''大阪山上三郷講'''を結成し、[[聖護院]]所属となった。1939年(昭和14年)には27の枝講を擁した。1985年(昭和60年)時点で役員38人、講社22団体、講員354人、参拝券42枚だった。大阪が拠点。[[喜蔵院]]を宿坊とし、西儀を定宿とした。2月下旬に太子講、4月初旬に[[浦江聖天]]護摩を行っていた。
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===歴代総長===
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*広野与右衛門
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*中井寅之助
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*阪口親平
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*藤田梅造
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*小島平次郎
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*河合金十郎
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*萩藤木之助
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*八木政雄
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*丹生懿威
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*鶴井博
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2022年1月18日 (火) 時点における最新版

喜蔵院にある総長顕彰碑

三郷組大峰山寺に登拝する修験道の行者講で、大峰山寺の運営に関わる阪堺役講の一つ。

1825年(文政8年)、安禅寺、蔵王権現(金峰山寺か)、山上役行者尊の戸張を寄進したことを記す扁額が現存。明治初期には上町組、船場組、天満組、南島組、京橋組、川西組、長柄組があり、三郷七島と呼ばれた。1879年(明治12年)、仁和寺に所属。その後、退転する講社が増え、1896年(明治29年)、上町組と川西組を合併して再編。大阪山上三郷講を結成し、聖護院所属となった。1939年(昭和14年)には27の枝講を擁した。1985年(昭和60年)時点で役員38人、講社22団体、講員354人、参拝券42枚だった。大阪が拠点。喜蔵院を宿坊とし、西儀を定宿とした。2月下旬に太子講、4月初旬に浦江聖天護摩を行っていた。

歴代総長

  • 広野与右衛門
  • 中井寅之助
  • 阪口親平
  • 藤田梅造
  • 小島平次郎
  • 河合金十郎
  • 萩藤木之助
  • 八木政雄
  • 丹生懿威
  • 鶴井博
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%89%E9%83%B7%E7%B5%84」より作成

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