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丹生川上神社上社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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丹生川上神社 上社
にう かわかみ じんじゃ かみしゃ
概要 雨の神を祀る神社。
奉斎 高〓神
(『神道大辞典』)
所在地 奈良県吉野郡川上村迫869-1
所在地(旧国郡) 大和国吉野郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正三位二十二社官幣大社別表神社
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目次

概要

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃ・かみしゃ)は、奈良県吉野郡川上村にある、丹生川上神社を構成する神社の一つ。祭神は高オカミ大神高龗大神)(ウェブサイト)。古代の鎮座地の推定地の一つだったが、ダム建設による沈没のため高台に遷座した。ダム湖に沈んだ旧地からは祭祀遺跡が見つかっている。


歴史

丹生川上神社の鎮座地は江戸時代には分からなくなっていた。様々な学者が研究を重ねていたが、明治初年、政府は現在の下社を丹生川上神社と認定した。ところが少宮司に任命された江藤正澄が現在の鎮座地は『類従三代格』が記す位置に合致せず、「丹生大明神」「水神」などと呼ばれた迫村の高オカミ神社こそが丹生川上神社だと主張。この見解が支持され、明治7年(1874)10月13日、迫村の祠を丹生川上神社奥宮と定め、従来の社を丹生川上神社口宮とした。のち明治29年(1896)11月4日、奥宮を上社、口宮を下社と改称した。大正6年、本殿の造営など社殿の整備が行われ、昭和9年にも本殿修理が行われている。

しかし、森口奈良吉が大正4年『丹生川上神社考』を著し、東吉野村の蟻通神社こそが『類従三代格』が記す位置に合うとし、11年、政府は蟻通神社を丹生川上神社中社と定めた。

戦後、昭和34年(1959)の伊勢湾台風が甚大な被害をもたらしたことを機に、37年に大滝ダム建設計画が始まった。紆余曲折の末、集落の移転が決まり、神社は平成10年(1998)3月に現在地に遷座。旧地を県立橿原考古学研究所が調査したところ、平安時代の社殿の基壇が出土し、さらに縄文時代中期に遡る祭具も発掘された。宮の平遺跡と呼ばれている。ダムは平成25年(2013)に竣工し、遺跡とともに旧鎮座地は水没した。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%8A%E7%A4%BE」より作成

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