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丹生川上神社下社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 江戸時代には丹生川上神社の鎮座地は分からなくなっていたが、研究が盛んになるにつれ、長谷にある'''丹生大明神'''を比定する見解が強まり、幕末には事実上、朝廷の公認を得ていた。しかし、明治になり有力視された迫村の高オカミ神社を明治7年に奥宮と定めたため、'''丹生川上神社口宮'''と改称した。明治29年には口宮を'''下社'''と改称、奥宮は[[丹生川上神社上社|上社]]と称した。 | |
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2015年9月9日 (水) 時点における版
丹生川上神社 下社 にう かわかみ じんじゃ しもしゃ | |
概要 | 雨の神を祀る神社。 |
奉斎 | 闇〓神 (『神道大辞典』) |
所在地 | 奈良県吉野郡下市町長谷1-1 |
所在地(旧国郡) | 大和国吉野郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正三位・二十二社・官幣大社・別表神社 |
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目次 |
概要
丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃ・しもしゃ)は、奈良県吉野郡下市町長谷にある、丹生川上神社を構成する神社の一つ。古代の鎮座地の推定地の一つ。旧称は丹生川上神社口宮。
奉斎
歴史
江戸時代には丹生川上神社の鎮座地は分からなくなっていたが、研究が盛んになるにつれ、長谷にある丹生大明神を比定する見解が強まり、幕末には事実上、朝廷の公認を得ていた。しかし、明治になり有力視された迫村の高オカミ神社を明治7年に奥宮と定めたため、丹生川上神社口宮と改称した。明治29年には口宮を下社と改称、奥宮は上社と称した。
さらに森口奈良吉が大正4年『丹生川上神社考』を著し、東吉野村の蟻通神社こそが『類従三代格』が記す位置に合うとし、11年、政府は蟻通神社を丹生川上神社中社と定めた。
戦前は上社・中社・下社の3社で一つの神社組織を持ち、中社に社務所を置いていたが、戦後は3社それぞれが独立した宗教法人となった。
境内
- 祖霊社
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』