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京都・白毫寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | [[聖徳太子信仰]]の寺院。'''速成就院'''。'''東山太子堂'''、'''塩竈太子堂'''、'''大谷堂'''と呼ばれた。元[[知恩院]] | + | '''白毫寺'''(びゃくごうじ)は、京都府京都市下京区にある[[聖徳太子信仰]]の寺院。'''速成就院'''。'''東山太子堂'''、'''塩竈太子堂'''、'''大谷堂'''と呼ばれた。元[[知恩院]]の北にあったが、江戸時代の知恩院再建のときに現在地に移転した。(参考:同名寺院[[白毫寺]]) |
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いま知恩院境内に残る五輪塔は、当寺の遺物とも言い、[[忍性]]の墓とも言う。 | いま知恩院境内に残る五輪塔は、当寺の遺物とも言い、[[忍性]]の墓とも言う。 | ||
太子信仰と関わりながら布教していた、[[叡尊]]教団の山城における拠点寺院だった。文永3年(1266)、[[西大寺]]末となり、ここを拠点に貴族らへの布教が行われた。 | 太子信仰と関わりながら布教していた、[[叡尊]]教団の山城における拠点寺院だった。文永3年(1266)、[[西大寺]]末となり、ここを拠点に貴族らへの布教が行われた。 | ||
法然流念仏と太子信仰との関係を示唆していると言える。 | 法然流念仏と太子信仰との関係を示唆していると言える。 | ||
[[花園天皇]]の葬儀が当寺で行われ、裏の[[十楽院]]に葬られた。皇太子邦良親王の葬儀も当寺で行われた。現在は単立という。 | [[花園天皇]]の葬儀が当寺で行われ、裏の[[十楽院]]に葬られた。皇太子邦良親王の葬儀も当寺で行われた。現在は単立という。 | ||
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2017年2月4日 (土) 時点における版
白毫寺(びゃくごうじ)は、京都府京都市下京区にある聖徳太子信仰の寺院。速成就院。東山太子堂、塩竈太子堂、大谷堂と呼ばれた。元知恩院の北にあったが、江戸時代の知恩院再建のときに現在地に移転した。(参考:同名寺院白毫寺)
いま知恩院境内に残る五輪塔は、当寺の遺物とも言い、忍性の墓とも言う。
太子信仰と関わりながら布教していた、叡尊教団の山城における拠点寺院だった。文永3年(1266)、西大寺末となり、ここを拠点に貴族らへの布教が行われた。
法然流念仏と太子信仰との関係を示唆していると言える。
花園天皇の葬儀が当寺で行われ、裏の十楽院に葬られた。皇太子邦良親王の葬儀も当寺で行われた。現在は単立という。