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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

聖徳太子信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月28日 (金)

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聖徳太子信仰 

目次

概要

聖徳太子(しょうとく・たいし)(574-622?)は、宗派を問わず日本仏教の開祖と位置付けられている推古天皇の皇太子。用明天皇皇子。その忌日法要は、聖霊会太子会などと呼ばれる。本地仏は、観音菩薩。また慧思の生まれ変わりとされる。特に天台宗日蓮宗では『法華経義疏』を著し法華経を広めた人物として、真言宗では空海の前世として、浄土真宗では浄土教を広め親鸞に夢告を降した教主として崇められている。禅宗開祖達磨と出会った伝説や善光寺如来と手紙を交わしたという伝説もある。律宗でも重視され、叡尊は『聖徳太子講式』を作った。舎利信仰とも密接な関係にある。大工の守護神として信仰されるようになる。富士山に最初に登った人物ともされる。

日本書紀は621年死去、法王帝説は622年死去とする


歴史

信仰

御影

  • 唐本御影
  • 南無仏太子:二歳像
  • 童子太子:七歳像
  • 孝養太子像:十六歳像
    • 垂髪太子
    • 植髪太子
  • 摂政像:三十五歳、四十二歳、四十九歳像。
    • 水鏡御影:法隆寺蔵。聖徳太子が水鏡を用いて描いた自画像とされる。鎌倉時代。
    • 講讃太子:三十五歳、四十五歳。
    • 楊枝御影:「摂政太子」とも。四天王寺蔵。西本願寺蔵。法隆寺にも同様の像を伝える。
  • 黒駒太子
  • 聖皇曼荼羅
  • 二王子像・二童子像:山背大兄王、殖栗皇子
    • 廟崛太子
  • 二僧像:
  • 四臣像:
  • 六臣像:小野妹子、蘇我馬子、日羅、秦河勝、阿佐太子、慧慈
  • 八童子像

絵図

  • 講讃図
  • 天寿国繡帳
  • 絵伝

随臣・眷属

  • 山背大兄王
  • 殖栗皇子
  • 卒麻呂王
  • 慧慈
  • 黒駒
  • 雪丸
  • 調子丸
  • 小野妹子
  • 蘇我馬子
  • 日羅
  • 秦河勝
  • 阿佐太子


墓廟


旧跡一覧

御所

七大寺

『法隆寺伽藍縁起並流記資財帳』(747)では次の七大寺を挙げる。

また『大唐七代記』では中宮寺を抜き、法興寺と定林寺(立部寺)を入れた八大寺を挙げる

三太子

四十六寺

『太子伝玉林抄』(『聖徳太子の本』)掲載のリスト。異説あり。由来が不明な寺院も多い。

  • 苻神寺:廃絶。不詳。駿河国。
  • 四天王寺:大阪府大阪市天王寺区。摂津国東生郡。物部守屋との戦いで創建。
  • 菅田寺:廃絶。不詳。河内国。
  • 御廟寺:大阪府南河内郡太子町。河内国石川郡。叡福寺。太子の墓。
  • 中宮寺:奈良県生駒郡斑鳩町。大和国平群郡。太子は母后穴穂部間人皇女のため、皇后の宮殿を改めて寺院としたのが起源。創建時期は皇后の生前とも皇后の死後とも伝える。
  • 妙安寺:奈良県高市郡明日香村。飛鳥葛城寺の後身という。大和国高市郡。
  • 定林寺:奈良県高市郡明日香村。飛鳥にあった。大和国高市郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 熊凝寺:奈良県大和郡山市。大和国平群郡。大安寺額安寺の前身。聖徳太子が田村王子に遺言して建てられたとも、推古天皇病気平癒のためともいう。
  • 信貴山:奈良県生駒郡平群町。大和国平群郡。物部守屋との戦いで創建。
  • 牛臥寺:奈良県生駒郡平群町。信貴山にあった?大和国平群郡。
  • 広隆寺:京都府京都市右京区。山城国葛野郡。秦河勝が太子から仏像を賜って祀ったのが始まりという。
  • 蒲生寺:不詳。近江国蒲生郡には太子建立と伝える寺が多いが関連するか。
  • 阿弥陀寺:不詳。
  • 観音寺:不詳。
  • 勝善寺:不詳。
  • 日向寺:奈良県橿原市南浦町。大和国高市郡。藤原京左京八条四坊にあたる。なぜ太子建立とされたかは不明。
  • 大后寺:奈良県橿原市?。大和国高市郡。不詳。なぜ太子建立とされたかは不明。
  • 坂田寺:奈良県高市郡明日香村。廃絶。大和国高市郡。太子との関係は不明。
  • 太子寺:不詳。
  • 当麻寺:奈良県葛城市。大和国葛下郡。麻呂子親王が兄の聖徳太子の教えを受けて二上山の西に創建したという。
  • 武作寺:滋賀県近江八幡市。近江国蒲生郡。聖徳太子妃の高橋妃の出産にまつわる縁起がある。
  • 山田寺:奈良県桜井市。大和国十市郡。太子との関係は不明。
  • 野中寺:大阪府羽曳野市。河内国丹南郡。太子の命で蘇我馬子が創建したという。
  • 真福寺:愛知県岡崎市。三河国額田郡。物部真福が創建し、太子がこれを褒めて寺領を与えたという。
  • 阿弥陀院:不詳。善光寺という説がある。
  • 茨田寺:大阪府寝屋川市。廃絶。河内国茨田郡。跡地のそばには太子の弟の茨田王塚がある。
  • 太平寺:大阪府柏原市。河内国大県郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 法隆寺:奈良県生駒郡斑鳩町。大和国平群郡。太子の御所の斑鳩宮に付属した。
  • 元興寺:奈良県高市郡明日香村(旧地)。大和国高市郡。太子が伽藍縁起を記したという伝承がある。
  • 法起寺:奈良県生駒郡斑鳩町。大和国平群郡。聖徳太子が法華経を講義した岡本宮を寺に改めたもの。
  • 葛城寺:奈良県御所市??
  • 長琳寺:奈良県北葛城郡河合町。大和国広瀬郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 西安寺:奈良県北葛城郡王寺町。大和国葛下郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 比蘇寺:奈良県吉野郡大淀町。大和国吉野郡。太子建立とされた由縁は不明。
  • 六角堂:京都府京都市中京区。山城国愛宕郡。太子が四天王寺建立のために材木を探しに山城国に来た時に念持仏の如意輪観音を祀ったという。
  • 石塔寺:滋賀県東近江市。近江国蒲生郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 金剛寺:滋賀県。不詳。近江国。
  • 繖寺:滋賀県近江八幡市の観音正寺か。
  • 味摩寺:滋賀県犬上郡多賀町。敏満寺。近江国犬上郡。太子建立とされた理由は不明。
  • 般若寺:不詳。近江国。
  • 妙教寺:不詳。大和国。
  • 豊浦寺:奈良県高市郡明日香村。大和国高市郡。この寺の沿革ははっきりしないが、桜井道場の時代に聖徳太子の進言で善信・禅蔵・恵善の尼僧3人を住まわせたという。
  • 百済寺:大阪府大阪市天王寺区にあった古代寺院。廃絶。難波京に含む。堂ケ芝廃寺か。摂津国東成郡。当時は百済郡。太子との具体的関係は不明だが、四天王寺に近いことや百済国との関係などから太子に結び付けられたか。のち河内国に移転したという(河内・百済寺)。
  • 久米寺:奈良県橿原市にある真言宗寺院。聖徳太子弟の来目皇子が創建したとの説がある。大和国高市郡。真言宗御室派。
  • 瓦寺:滋賀県東近江市にある臨済宗寺院。近江国神崎郡。摂津四天王寺を建設する時に太子がこの地に寺を建て、瓦を焼いたという。白鳳瓦が出土。臨済宗妙心寺派。瓦屋寺。
  • 施鹿園寺:奈良県生駒郡三郷町にある融通念仏宗寺院。大和国平群郡。平群氏の氏寺で、太子が休息したところと伝える。平隆寺。
  • 四天王寺:秋田県秋田市の秋田城にあった古代寺院。出羽国秋田郡。廃絶。古四王神社別当。太子と結び付ける理由は不詳。

その他

その他の建立寺院


上宮寺も参照。

人物

太子信仰を宣揚した人物など。

古典籍

著作

  • 法華経義疏
  • 維摩経義疏
  • 勝鬘経義疏

伝記

  • 『日本書紀』
  • 『上宮聖徳法王帝説』
  • 『聖徳太子絵伝』:
    • 1069年(延久1年):法隆寺旧東院絵伝本
    • 1305年(嘉元3年):法隆寺。四幅。
  • 『異本上宮太子伝』:七代記
  • 『上宮皇太子菩薩伝』:延暦僧録の一部
  • 『上宮聖徳太子伝補闕記』:
  • 『聖徳太子伝暦』:

その他

  • 「皇太子聖徳奉讃」(『正像末和讃』所収):親鸞著。11首。
  • 『皇太子聖徳奉讃』:親鸞著。75首
  • 『大日本国粟散王聖徳太子和讃』:親鸞著。114首。

年表

略年譜

  • 574年(敏達3年):誕生。橘寺の地とされる。
  • 575年:南無仏太子の逸話。
  • 580年:経論披見の逸話。
  • 587年(用明2年):蘇我馬子と共に物部守屋を討つ。四天王寺創建を発願。
  • 589年:孝養の逸話。
  • 592年(崇峻5年):崇峻天皇暗殺。推古天皇即位。
  • 593年(推古1年)4月10日:皇太子となり、摂政となる。
  • 595年(推古3年):高句麗の恵慈、百済の慧聡が来日。
  • 601年(推古9年)2月:斑鳩宮を造営。
  • 603年(推古11年):国政改革に着手。冠位十二階を定めた。
  • 604年(推古12年):『十七条憲法』を発布。
  • 605年(推古13年):聖徳太子、斑鳩宮に移住。
  • 607年(推古15年):小野妹子を遣隋使として派遣。
  • 607年(推古15年):法隆寺を創建。
  • 608年(推古16年):「摂政太子」の逸話。
  • 613年(推古21年)12月:片岡山で飢餓人と出会う。達磨の化身という。
  • 620年(推古28年):蘇我馬子と議して史書編纂。
  • 622年(推古30年)2月22日:斑鳩宮で死去。49歳。(日本書紀では621年(推古29年)2月5日とする)

死後の年表

  • 643年(皇極2年):蘇我入鹿が斑鳩宮を襲撃。太子の一族は滅亡。
  • 739年(天平11年)頃:上宮王院夢殿建立。
  • 917年(延喜17年):『聖徳太子伝暦』成立。992年(正暦3年)とも。
  • 1007年(寛弘4年):四天王寺から『御手印縁起』が出現。
  • 1054年(天喜2年):叡福寺近くから聖徳太子の『御記文』が発掘。
  • 1069年(延久1年):法隆寺の聖徳太子絵伝が成立。
  • 1069年(延久1年):法隆寺の現存最古の聖徳太子像造立。
  • 1121年(保安2年):法隆寺聖霊院、成立。
  • 1238年(暦仁1年):『聖徳太子伝私記』成立。
  • 1314年(正和3年):『聖徳太子平氏伝雑勘文』成立。

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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