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他阿真教旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*[[無量光寺]]:神奈川県相模原市南区にある[[時宗]]寺院。真教が創建し、のち[[当麻派]]の拠点となった。旧大本山。 | *[[無量光寺]]:神奈川県相模原市南区にある[[時宗]]寺院。真教が創建し、のち[[当麻派]]の拠点となった。旧大本山。 | ||
*[[京都七条・金光寺]]:京都にあった時宗寺院。真教が創建し、遊行派の京都での拠点だった。廃絶。[[京都・長楽寺]]に合併。 | *[[京都七条・金光寺]]:京都にあった時宗寺院。真教が創建し、遊行派の京都での拠点だった。廃絶。[[京都・長楽寺]]に合併。 | ||
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*[[越前・称念寺]]:福井県坂井市にある、南朝武将[[新田義貞]]の菩提寺。[[泰澄旧跡]]。越前国坂井郡。'''長崎道場'''。 | *[[越前・称念寺]]:福井県坂井市にある、南朝武将[[新田義貞]]の菩提寺。[[泰澄旧跡]]。越前国坂井郡。'''長崎道場'''。 | ||
*[[気比神宮]]:福井県敦賀市にある気比大神を祀る神社。[[越前・西方寺]]もある。真教が参拝した時、参道が凸凹だったため、自ら土を運んで整備したという。現在も清浄光寺に新住職が就任すると「お砂持ち神事」が行われる。 | *[[気比神宮]]:福井県敦賀市にある気比大神を祀る神社。[[越前・西方寺]]もある。真教が参拝した時、参道が凸凹だったため、自ら土を運んで整備したという。現在も清浄光寺に新住職が就任すると「お砂持ち神事」が行われる。 | ||
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2019年5月16日 (木) 時点における版
他阿真教(たあ・しんきょう)(1237-1319)は、時宗遊行派の開祖。一遍の弟子で、遊行上人2世。無量光寺開山。一遍自身は弟子や教団を持つ意思はなかったとされるので、真教が時宗教団の事実上の創始者。家系や出身地は不明。一遍と出会う以前の経歴もはっきりしない。時宗の人物旧跡。
目次 |
略歴
1277年41歳の時、大友頼泰邸で39歳の一遍と出会い、法談を交わして同行者となった。 一遍に比べると布教した地域は限定的という。 越前・加賀・越中・越後の北陸地方と、上野・下野・武蔵・相模の関東地方と、両方を結ぶ信濃・甲斐という。
一覧
- 丹生山:1289年夏の一遍の死後、丹生山に入り山中で果てようとしていた。しかし淡河領主が訪ねてきて思い留めさせ、教団設立に動き出すきっかけとなった。
- 総社大神宮:1290年夏参詣。越年。
- 無量光寺:神奈川県相模原市南区にある時宗寺院。真教が創建し、のち当麻派の拠点となった。旧大本山。
- 京都七条・金光寺:京都にあった時宗寺院。真教が創建し、遊行派の京都での拠点だった。廃絶。京都・長楽寺に合併。
- 甲斐・西念寺:山梨県富士吉田市にある時宗寺院。吉田御師の菩提寺。
- 上総・称念寺:千葉県長生郡長南町にある、一遍旧跡の浄土宗寺院。上総国埴生郡。現在は浄土宗知恩院派。
- 越前・称念寺:福井県坂井市にある、南朝武将新田義貞の菩提寺。泰澄旧跡。越前国坂井郡。長崎道場。
- 気比神宮:福井県敦賀市にある気比大神を祀る神社。越前・西方寺もある。真教が参拝した時、参道が凸凹だったため、自ら土を運んで整備したという。現在も清浄光寺に新住職が就任すると「お砂持ち神事」が行われる。
年譜
資料
古典籍
- 『奉納縁起記』
- 『道場誓文』:1306年。教団統率のために記した規則。
- 『安食問答』:1314年。信者の疑問に答えた書。
- 『他阿上人法語』:1778年刊。遊行上人53世他阿尊如が出版。
- 『遊行上人縁起絵』真光寺本:1323年。一遍の事績に続いて真教のことを記す。