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北畠神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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江戸時代、1692年、旧臣末裔や村人が遺徳を偲んで居館跡に神社を創建。北畠八幡宮と称した。 | 江戸時代、1692年、旧臣末裔や村人が遺徳を偲んで居館跡に神社を創建。北畠八幡宮と称した。 | ||
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1643年、北畠氏末裔の鈴木家次の創建ともいう。 | 1643年、北畠氏末裔の鈴木家次の創建ともいう。 | ||
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1881年、北畠神社と改称。1928年、村社から別格官幣社に昇格した。 | 1881年、北畠神社と改称。1928年、村社から別格官幣社に昇格した。 | ||
+ | 末社に多芸神社がある。 | ||
+ | 別当の真善院があったが、1898年廃絶。本尊馬頭観音は聖光寺に移された。 | ||
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- | + | (国史大辞典、日本歴史地名大系) | |
==境内== | ==境内== |
2019年4月19日 (金) 時点における版
北畠神社 きたばたけ じんじゃ | |
概要 | 南朝忠臣を奉斎する神社。 |
奉斎 | 北畠顕能 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 三重県津市美杉町上多気1148 |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 別格官幣社・別表神社 |
関連記事 | 南朝英雄奉斎神社 |
目次 |
概要
北畠神社(きたばたけ・じんじゃ)は、三重県津市にある、南朝忠臣北畠顕能(あきよし)などを祀る霊社。江戸時代の創建とされ、昭和3年、国家の英雄を顕彰する別格官幣社となった。顕能が築き、中世末まで伊勢北畠家の拠点だった霧山城の麓にあった館跡にある。同族を祀る神社で3社(当社、霊山神社、阿部野神社)も別格官幣社が認められたのは、北畠家が唯一である。ちなみに顕能の墓は室生寺などに伝承地がある。
歴史
北畠顕能は北畠親房の子とされるが、経歴には不詳の点が多い。 一説に1335年、兄顕信らと共に伊勢に下り、1338年、南朝から伊勢国司に任命されたという。 南朝の京都侵攻で楠木正儀と共に活躍。八幡合戦でも奮戦した。
顕能は1342年頃、吉野と伊勢を結ぶ多芸の地に居館を移し、背後の霧山に城を築いた。 1576年に織田信長軍に滅ぼされるまで、約240年にわたり北畠氏9代の拠点となった。
江戸時代、1692年、旧臣末裔や村人が遺徳を偲んで居館跡に神社を創建。北畠八幡宮と称した。 1643年、北畠氏末裔の鈴木家次の創建ともいう。 1881年、北畠神社と改称。1928年、村社から別格官幣社に昇格した。 末社に多芸神社がある。 別当の真善院があったが、1898年廃絶。本尊馬頭観音は聖光寺に移された。
(国史大辞典、日本歴史地名大系)
境内
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』