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双林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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「末寺のない雙林寺がなぜ霊山派とは別に国阿派として独立の一派を立てることができたのか不明である」(金井清光)という。 | 「末寺のない雙林寺がなぜ霊山派とは別に国阿派として独立の一派を立てることができたのか不明である」(金井清光)という。 | ||
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==子院== | ==子院== |
2023年2月11日 (土) 時点における版
双林寺(そうりんじ)は、京都府京都市東山区鷲尾町にある天台宗寺院。本尊は薬師如来。元は時宗国阿派の拠点寺院だった。天台宗延暦寺派。京都・長楽寺の西南、大谷祖廟の西、円山音楽堂の東、高台寺の北にある。法華三昧無量寿院。沙羅双樹林寺。東山道場。山号は金玉山、霊鷲山。
目次 |
歴史
最澄が創建したと伝える。805年(延暦24年)、桓武天皇が寄進し、唐から請来した経典を安置した。 823年(弘仁14年)延暦寺の別院となる。 永治年間に鳥羽天皇皇女が、1196年(建久7年)に土御門天皇皇子の静仁法親王が入寺した。 鎌倉時代末、元弘の乱で焼失。
1384年(元中1年/至徳1年)、住職の勝行が国阿に帰依し、寺を譲った。前年には国阿は東山・正法寺も受け継いでおり、国阿の法流は両寺で伝えられることになり、やがて本末争論も起きた。 後小松天皇の帰依を得た。 1436年(永享8年)焼失。応仁の乱で焼失。 1585年(天正13年)、豊臣秀吉が9石を寄進。 1589年(天正17年)、24石とした。
「末寺のない雙林寺がなぜ霊山派とは別に国阿派として独立の一派を立てることができたのか不明である」(金井清光)という。
子院
広大な面積があったがほとんどは円山公園となった。
- 門阿弥、閑阿弥、西阿弥、善阿弥、教阿弥、林阿弥(政教中正論)
組織
住職
1755年(宝暦5年)12月『別時番帳』より
- 1国阿()<>:
- 2円阿()<>:
- 3珠阿()<>:
- 4陵阿()<>:
- 5時阿()<>:
- 6梵阿()<>:
- 7其阿()<>:
- 8厳阿()<>:
- 9
- 10
- 11
- 12
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19
- 20
- 21
- 22
- 23
- 24
- 25
- 26
- 27
- 28
- 29文阿()<>:1755年(宝暦5年)在職。