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喜蔵院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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明治の神仏分離で廃絶となる。明治21年(1888)、復興。(日本歴史地名大系、国史大辞典)
明治の神仏分離で廃絶となる。明治21年(1888)、復興。(日本歴史地名大系、国史大辞典)
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==組織==
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===歴代===
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*円珍():開山。
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*永尊():中興。
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*信覚():1874年(明治7年)復飾神勤を命じられた。喜蔵院廃絶。
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*宮城宏年():信覚の子。1888年(明治21年)8月、喜蔵院を復興し住職となる。1904年(明治37年)11月12日死去
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*岩本光徹():
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*中井禅隆():
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2020年4月7日 (火) 時点における版

喜蔵院(きぞういん)は、奈良県吉野郡吉野町の吉野山にある修験道本山派の寺院。本尊は役小角。元は金峰山寺の一院。大峰山寺護持院の一つ。本山修験宗。本山派の峰入りの拠点。本山派二十七先達の一つ。

歴史

承和年間、円珍が入峰した時に創建。文化年間、聖護院宮盈仁法親王が入峰に際し滞在。 明治の神仏分離で廃絶となる。明治21年(1888)、復興。(日本歴史地名大系、国史大辞典)

組織

歴代

  • 円珍():開山。
  • 永尊():中興。
  • 信覚():1874年(明治7年)復飾神勤を命じられた。喜蔵院廃絶。
  • 宮城宏年():信覚の子。1888年(明治21年)8月、喜蔵院を復興し住職となる。1904年(明治37年)11月12日死去
  • 岩本光徹():
  • 中井禅隆():
  • 中井教善():
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%96%9C%E8%94%B5%E9%99%A2」より作成

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