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大覚寺宮家の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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(川島将生「大覚寺歴史」『大覚寺の名宝』ほか) | (川島将生「大覚寺歴史」『大覚寺の名宝』ほか) |
2018年1月28日 (日) 時点における版
一覧
歴代
- 1恒寂法親王(825-884):淳和天皇皇子。入道塚陵墓参考地が墓の伝承地。
- 2寛空(884-972):宇多法皇の弟子。東寺長者、仁和寺別当。京都・蓮台寺(香隆寺)を創建。
- 3定昭(906-983):興福寺一乗院開山。以後、20代良信まで一乗院が兼帯する
- 4定好:一乗院門跡2世。
- 5真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。
- 6頼信(1010-1076):一乗院門跡4世。
- 7頼尊:一乗院門跡5世。
- 8覚信(1065-1121):一乗院門跡6世。
- 9玄覚:一乗院門跡7世。
- 10覚英(?-1157):一乗院門跡8世。
- 11覚継(恵信)(1124-1171):一乗院門跡9世。
- 12信円(1153-1224):一乗院門跡10世。
- 13良円(1178-1220):一乗院門跡11世。
- 14実信:一乗院門跡12世。
- 15実静(実浄):一乗院門跡13世。
- 16信昭(1253-1286):一乗院門跡14世。
- 17隆信:一乗院門跡15世。
- 18覚恵:一乗院門跡16世。
- 19覚昭(?-1308):一乗院門跡17世。
- 20良信(1278-1329):一乗院門跡18世。
- 21後嵯峨法皇:嵯峨南陵
- 22亀山法皇:亀山陵
- 23後宇多法皇:中興。蓮華峰寺に葬られた(蓮華峰寺陵)。
- 24性円法親王:後宇多天皇皇子。
- 25寛尊法親王:亀山天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 26性勝法親王:後宇多天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 27恒性王(1305-1333):後醍醐天皇皇子。父帝が隠岐に流されるとともに越中配流となり幽閉。天皇の隠岐脱出で警戒されて幕命で名越時有に殺害された。富山県高岡市に治定墓恒性王墓。大覚寺宮。越中宮。
- 28深守法親王:邦良親王王子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 29弘覚法親王:邦良親王王子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 30寛教法親王:後光厳天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 31義昭:足利義満の子。反乱を起こし、島津に討たれる。永徳寺(宮崎県)などに墓。
- 32性深
- 33性守:盗賊に襲われ、死亡。
- 34義俊:近衛家出身。以後、近衛家が続く。このころから尊性まで蓮華光院門跡を兼帯する。
- 35尊信
- 36空性法親王:追尊陽光太上天皇誠仁親王(後陽成天皇の父)の王子。四天王寺別当。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 37尊性法親王:後陽成天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 38性真法親王:後水尾天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 39性応法親王:霊元天皇皇子。大覚寺宮墓地に治定墓。
- 40寛守(信性)
- 41寛深
- 42深真(深貞)
- 43亮深
- 44慈性法親王:有栖川宮韶仁親王王子。東大寺別当。のち輪王寺宮が本務となり、寛永寺に移る。天台座主。輪王寺宮寛永寺墓地に治定墓。輪王寺宮日光墓地に治定髪爪塔。
(川島将生「大覚寺歴史」『大覚寺の名宝』ほか)