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如信旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年12月23日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
如信(にょしん)(1235-1300)は、浄土真宗の僧侶。親鸞の孫で善鸞の子。父と共に長年関東地方におり京都には短期間しかいなかったが、教えを学んだ覚如が本願寺3世を継いだため、如信は本願寺2世とされている(いわゆる加歴住職)。覚如の法脈を継ぐ錦織寺でも2世とみなされる。初期真宗教団の重鎮だったことは間違いなく、陸奥国で大網門徒を組織した。その拠点は大網の草庵と呼ばれたが伝承地や後身寺院はいくつかある。1300年(正安2年)1月4日、常陸国久慈郡の上金沢(法龍寺)で死去。66歳。墓所は法龍寺伝承地と大網本廟。
一覧
- 墓
- 大網の草庵:
- 竹貫伝承地:福島県石川郡古殿町竹貫。「如信上人大網遺跡」碑が立つ。(地名大系)
- 陸奥・西念寺:福島県西白河郡泉崎村北平山。西念寺があり、如信に帰依。大網堂と呼ばれた。上金沢で亡くなった如信の遺骸を葬った。正和4年(1315)、大網本廟が建立された。寛永4年(1627)、寺院は白河城下町に移転。その後、藩主本多忠義が旧跡を再建。(地名大系)
- 常瑞寺:福島県白河市大工町。大網堂の後身。寛永4年(1627)に現在地に移転。(地名大系)
- 正念寺:茨城県常陸太田市久米。願入寺の旧地。文安年間、大網から那珂郡大根田に移り、那珂郡菅谷を経て明応2年(1493)、久慈郡久米村に移転。延宝3年(1675)に大洗移転後は支院となった。明治時代に願入寺から正念寺と改称。浄土真宗本願寺派。
- 願入寺:茨城県東茨城郡大洗町。大網の草庵の後身とされる。延宝3年(1675)、徳川光圀が久米から現在地に再興。真宗大谷派の連枝格だった(和漢三才図会)。
- 法龍寺:茨城県久慈郡大子町上金沢。「如信上人終焉之地」碑がある。真宗大谷派。如信が建てた太子堂があった。のち如信はここで死去。ここにも墓。延宝2年(1674)徳川光圀が墓に参詣した際に寺院を建てた。(地名大系)
- 余綾山:神奈川県。不詳。1290年(正応3年)覚恵・覚如父子とここで面会したという。
- 西善寺:秋田県秋田市。奥州巡回の途中に滞在。真宗大谷派。(地名大系)
- 光照寺:茨城県那珂市額田北郷。真宗大谷派。群生山。