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安祥寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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摂津国にあった[[古代寺院]][[安曇寺]]の銅鐘が伝わる。 | 摂津国にあった[[古代寺院]][[安曇寺]]の銅鐘が伝わる。 |
2018年9月1日 (土) 時点における版
安祥寺(あんしょうじ)は、京都府京都市山科区にある、真言宗の元門跡寺院。定額寺。高野山真言宗別格本山。「高野堂」とも。吉祥山。
歴史
淳和天皇皇后の正子内親王の長寿を祝って、恵運が嘉祥元年(848)創建。11世宗意のころには栄え、真言宗小野流の筆頭寺院となり、安祥寺流を創始。延慶3年(1310)に門跡寺院となる。21世興雅のとき、法流と門跡号を高野山に譲ったという(高野山が門跡寺院となった??)。文明元年(1469)、兵火を受ける。豊臣秀吉に逆らい、寺禄を没収される。江戸時代には金剛峰寺の兼務となる。宝暦9年(1759)、41世弘範が伽藍を整備。現在の本堂には十一面観音と五智如来を祀る。(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)
歴代住職
- 恵運
- 朝寿
- 朝源
- 宗意
- 実厳
- 成恵
- 光誉
- 実舜
- 実静
- 道俊
- 良伊
- 隆雅
- 興雅
- 隆快
- 光意
(『日本仏家人名辞書』)