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日前神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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===紀国造===
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紀伊国(紀国、木国)を統治した[[国造]]。[[紀氏]]。日前神宮・国懸神宮の神主職を世襲する。上代からの有力豪族で、[[岩橋千塚]]は古代の国造の墓所と考えられている。[[出雲大社]]に奉仕する出雲国造と共に平安時代まで宮中で任命式が行われた。「神郡」とされた名草郡の郡司を兼任。平安時代以降、郡の行政機能が失われた後も中世末まで名草郡を支配した。[[豊臣秀吉]]の攻撃で壊滅した後は世俗領主としての側面は失った。幕末に飛鳥井家から養子を迎えた。明治時代には華族となり、男爵となった。[[丹生都比売神社]]の丹生氏は同族。
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紀伊国(紀国、木国)を統治した[[国造]]。[[紀氏]]。日前神宮・国懸神宮の神主職を世襲する。上代からの有力豪族で、[[岩橋千塚]]は古代の国造の墓所と考えられている。[[出雲大社]]に奉仕する出雲国造と共に平安時代まで宮中で任命式が行われた。「神郡」とされた名草郡の郡司を兼任。平安時代以降、郡の行政機能が失われた後も中世末まで名草郡を支配した。[[豊臣秀吉]]の攻撃で壊滅した後は世俗領主としての側面は失った。幕末に飛鳥井家から養子を迎えた。明治時代には[[華族]]となり、男爵となった。[[丹生都比売神社]]の丹生氏は同族。
*1天道根命()<>:[[神皇産霊尊]]の五世孫。[[神武天皇]]から国造に任命されたという。
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*35紀槻雄()<>:和歌山市坂田の天台宗[[了法寺]]を創建。
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*54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
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*54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。[[紀三井寺]]に隠棲。1269年(文永6年)、[[叡尊]]を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
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*67紀忠雄(?-1590)<>:[[豊臣秀吉]]軍に神宮を焼かれ、[[高野山]]に逃れた。1590年(天正18年)8月30日死去。
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*78紀俊秀(1870-1940)<>:男爵。大正12年和歌山市長。
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*78紀俊秀(1870-1940)<>:男爵。1923年(大正12年)和歌山市長。
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(諸系譜[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301746]、『和歌山史要』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113827/193]
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*諸系譜[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301746/39](紀俊秀まで)、『和歌山史要』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1113827/193](紀俊秀まで)、「日前宮神主紀伊国造系図」[https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M1000000000000014864.html](紀昌長まで)

2019年1月27日 (日) 時点における版

日前神宮
ひのくま じんぐう
Hinokuma-kunikakasu-jingu-hinokuma (13).jpg様々な境内社が並ぶ
概要 神鏡を祀る神社。
奉斎 日前大神
(土岐昌訓論文)
所在地 和歌山県和歌山市秋月365
所在地(旧国郡) 紀伊国名草郡
所属(現在) (単立)
格式など 式内社名神大社紀伊国一宮官幣大社
関連記事 神器奉斎神社


目次

概要

日前神宮(ひのくま・じんぐう)は、和歌山県和歌山市にある、神器日像鏡(ひがたのかがみ)を祀る神社。国懸神宮と並び建つ。式内社名神大社紀伊国一宮官幣大社日前神宮・国懸神宮関連旧跡も参照。

歴史

境内

日前神宮・国懸神宮関連旧跡を参照。

組織

紀国造

紀伊国(紀国、木国)を統治した国造紀氏。日前神宮・国懸神宮の神主職を世襲する。上代からの有力豪族で、岩橋千塚は古代の国造の墓所と考えられている。出雲大社に奉仕する出雲国造と共に平安時代まで宮中で任命式が行われた。「神郡」とされた名草郡の郡司を兼任。平安時代以降、郡の行政機能が失われた後も中世末まで名草郡を支配した。豊臣秀吉の攻撃で壊滅した後は世俗領主としての側面は失った。幕末に飛鳥井家から養子を迎えた。明治時代には華族となり、男爵となった。丹生都比売神社の丹生氏は同族。

  • 1天道根命()<>:神皇産霊尊の五世孫。神武天皇から国造に任命されたという。
  • 2比古麻命()<>:
  • 3鬼刀禰命()<>:
  • 4久志多麻命()<>:
  • 5大名草彦命()<>:
  • 6宇遅比古命()<>:菟道彦。宇豆比古。武内宿禰の生母の影媛は、宇遅比古命の娘とも妹ともいう。
  • 7舟本命()<>:
  • 8夜都賀志彦命()<>:
  • 9等与美々命()<>:豊耳
  • 10豊布流()<>:以後、紀大直となる。
  • 11塩籠()<>:
  • 12禰賀志富()<>:
  • 13忍()<>:
  • 14国見()<>:
  • 15麻佐手()<>:
  • 16国勝()<>:
  • 17忍勝(生没年不詳)<>:583年、百済に派遣される。押勝。
  • 18大海()<>:
  • 19忍穂()<>:
  • 20牟婁()<>:
  • 21石牟()<>:
  • 22摩祖()<>:724年(神亀1年)国造に任命(『続日本紀』)。直祖
  • 23紀古麿()<>:
  • 24紀林直()<>:
  • 25紀千島()<>:
  • 26紀足国()<>:
  • 27紀豊島()<>:
  • 28紀吉継()<>:
  • 29紀豊()<>:
  • 30紀五百友()<>:
  • 31紀国栖()<>:国井
  • 32紀豊成()<>:
  • 33紀高継()<>:
  • 34紀弘渕()<>:弘淵
  • 35紀槻雄()<>:和歌山市坂田の天台宗了法寺を創建。
  • 36紀広世()<>:
  • 37紀有守()<>:
  • 38紀奉世()<>:
  • 39紀行義()<>:紀奉世の孫。父は紀文煥で中央氏族の紀氏か。以後、紀朝臣を称す。
  • 40紀孝経()<>:高経、教経とも。
  • 41紀義孝()<>:
  • 42紀孝弘()<>:教弘とも
  • 43紀孝長()<>:
  • 44紀孝季()<>:
  • 45紀経佐()<>:
  • 46紀良守()<>:淑守
  • 47紀良佐()<>:
  • 48紀良忠()<>:紀三井寺に隠棲。「紀三井寺国造」と呼ばれた。
  • 49紀良平()<>:
  • 50紀良宣()<>:淑宣
  • 51紀宣俊()<>:
  • 52紀宣宗()<>:
  • 53紀宣保()<>:宣康
  • 54紀宣親(1216-1274)<1225->:隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。
  • 55紀淑文()<>:
  • 56紀淑氏()<>:
  • 57紀俊文(生没年不詳)<>:
  • 58紀親文(生没年不詳)<-1340->:最初、南朝に付いたがのち北朝に転じた。
  • 59紀俊長(生没年不詳)<-1405>:1405年(応永12年)出家して摂津琴浦に隠居。
  • 60紀行文(生没年不詳)<-1429->:
  • 61紀行長()<>:
  • 62紀行孝()<>:
  • 63紀親弘()<>:
  • 64紀俊連(生没年不詳)<-1489->:飛鳥井雅親の娘婿となり、蹴鞠を伝授される。
  • 65紀俊訓()<>:
  • 66紀光雄()<>:
  • 67紀忠雄(?-1590)<>:豊臣秀吉軍に神宮を焼かれ、高野山に逃れた。1590年(天正18年)8月30日死去。
  • 68紀忠光()<>:
  • 69紀昌長()<>:
  • 70紀俊弘()<>:
  • 71紀俊範()<-1731->:
  • 72紀豊文()<>:
  • 73紀俊敬()<>:
  • 74紀慶俊()<>:
  • 75紀三冬()<>:藤原氏飛鳥井家の出身。
  • 76紀尚長()<>:
  • 77紀俊尚()<>:
  • 78紀俊秀(1870-1940)<>:男爵。1923年(大正12年)和歌山市長。


  • 諸系譜[1](紀俊秀まで)、『和歌山史要』[2](紀俊秀まで)、「日前宮神主紀伊国造系図」[3](紀昌長まで)


  • 紀俊武

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E5%89%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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