ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

江戸・円福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月20日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の9版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''円福寺'''(えんぷくじ)は、江戸愛宕にあった[[真言宗]]寺院。廃絶。真言宗新義派の[[江戸触頭]](江戸四カ寺)の一つ。[[江戸・愛宕神社]]別当。(参考:同名寺院[[円福寺]])
+
[[ファイル:江戸名所図会・江戸愛宕神社006・円福寺.jpg|thumb|500px|愛宕神社参道の向かって左側に円福寺があった(江戸名所図会)]]
 +
'''円福寺'''(えんぷくじ)は、江戸愛宕にあった[[真言宗]]寺院。廃絶。近世は、[[江戸・弥勒寺|弥勒寺]]・[[江戸・真福寺|真福寺]]・[[根生院]](当初は[[江戸・護持院|護持院]])とともに[[真言宗新義派]]の[[江戸触頭寺院]](江戸四カ寺)の一つ。[[江戸・愛宕神社]]別当。[[大覚寺門跡]]の直院家「常光院」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4417814/1/27]。法流は[[醍醐寺無量寿院]]末。宝珠院と号す。山号は愛宕山。(参考:同名寺院[[円福寺]])
 +
 
 +
==歴史==
 +
[[ファイル:江戸愛宕神社005.jpg|thumb|500px|現在の愛宕神社参道]]
 +
*1603年(慶長8年)9月:下妻円福寺の神証が愛宕神社を奉斎し、住房として遍照院を創建。
 +
*1610年(慶長15年):円福寺を触頭とする[https://dl.ndl.go.jp/pid/4417811/1/25]。
 +
*1619年(元和5年):円福寺と改称。
 +
*明治初年:廃絶。
 +
 
==子院==
==子院==
-
*金剛院
+
[[ファイル:江戸名所図会・江戸愛宕神社003.jpg|thumb|500px|愛宕山の麓に円福寺と真福寺の子院が立ち並んでいた(江戸名所図会)]]
-
*千蔵院
+
*金剛院:愛宕神社本地堂の別当。脇坊。
-
*万蔵院
+
*千蔵院:仙蔵院。
-
*教證院
+
*万蔵院:満蔵院
 +
*教證院:教照院。本尊は[[不動明王]]。
*玉蔵院
*玉蔵院
 +
*普賢院
 +
*寿圭院
 +
*華蔵院
 +
== 組織 ==
== 組織 ==
===歴代住職===
===歴代住職===
-
*良誉(1608-1657)<>:[[長谷寺]]6世。
+
*歴代住職一覧の資料は見当たらない
-
*宥貞(1592-1664)<>:[[智積院]]6世。
+
{|class="wikitable"
-
*運敞(1614-1693)<>:智積院7世。
+
|-
-
*信盛(1620-1693)<>:智積院8世。
+
!style="width:5%" |世数
-
*専戒(1640-1710)<>:智積院10世。
+
!style="width:10%" |名
-
*覚眼(1643-1725)<>:智積院11世。[[護持院]]住職。
+
!style="width:10%" |生没年
-
*義山(1646-1722)<>:智積院12世。
+
!style="width:10%" |在職年
-
*智興(1661-1728)<>:智積院14世。
+
!style="width:65%" |略歴
-
*覚翁(1665-1728)<>:[[尾張・長久寺]]。
+
|-
-
*覚遠(1691-1771)<>:智積院19世。
+
|1
-
*浄空(1693-1775)<>:智積院20世。
+
|神証
-
*胎通(1720-1798)<>:智積院24世。
+
|生没年不詳
-
*浄光(1729-1803)<>:智積院26世。
+
|1603-1619
-
*謙順(1740-1812)<>:智積院28世。
+
|1603年(慶長8年)遍照院を創建。1619年(元和5年)引退[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/10]。春音。春香。
-
*隆瑜(1773-1850)<>:智積院33世。
+
|-
-
*禅宅(1785-1851)<>:智積院34世。
+
|2
-
*頼如(1801-1862)<>:智積院38世。
+
|俊賀
 +
|生没年不詳
 +
|1619-1636
 +
|初代とすることもある。下野国西方村出身。1619年(元和5年)下妻円福寺住職を経て1619年(元和5年)遍照院住職となり、遍照院を円福寺と改称する[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/10]。1636年(寛永13年)、良誉に譲る[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/30]。円精。円林。
 +
|-
 +
|3
 +
|良誉
 +
|1608-1657
 +
|1636-1647
 +
|[[長谷寺]]6世。1636年(寛永13年)俊賀の推挙で円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/30]。1647年(正保4年)秋、円福寺を俊宥に譲って智積院元寿に師事[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/32]。
 +
|-
 +
|4
 +
|俊宥
 +
|生没年不詳
 +
|1647-?
 +
|1647年(正保4年)秋、良誉から譲られ円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/32]。
 +
|-
 +
|
 +
|宥貞
 +
|1592-1664
 +
|1649-1656
 +
|[[智積院]]6世。[[宝仙寺]]16世を経て1649年(慶安2年)11月1日、円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1211654/1/616]。1656年(明暦2年)智積院化主。
 +
|-
 +
|
 +
|運敞
 +
|1614-1693
 +
|1654-1661
 +
|智積院7世。1656年(明暦2年)、円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/819461/1/127](1654年(承応3年)10月とも[https://dl.ndl.go.jp/pid/1211654/1/619])。
 +
|-
 +
|
 +
|隆敞
 +
|?-1676
 +
|1661-1676
 +
|[[三学院]]5世。1661年(寛文1年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/3021296/1/570]。1676年(延宝4年)4月9日死去。
 +
|-
 +
|
 +
|信盛
 +
|1620-1693
 +
|1676-1682
 +
|智積院8世。1676年(延宝4年)夏、円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1211654/1/634]。
 +
|-
 +
|
 +
|専戒
 +
|1640-1710
 +
|?-1697
 +
|智積院10世。
 +
|-
 +
|
 +
|覚眼
 +
|1643-1725
 +
|?-1705
 +
|智積院11世。[[江戸・護持院]]13世。
 +
|-
 +
|
 +
|義山
 +
|1646-1722
 +
|1705-1709
 +
|智積院12世。三学院12世。1705年(宝永2年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/3021296/1/570]。1709年(宝永6年)智積院化主。
 +
|-
 +
|
 +
|智興
 +
|1661-1728
 +
|1714-1718
 +
|智積院14世。1714年(正徳4年)、円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1917798/1/335]。1718年(享保3年)智積院化主。
 +
|-
 +
|14
 +
|伝忍
 +
|?-1725
 +
|?-1725
 +
|1725年(享保10年)死去。
 +
|-
 +
|15
 +
|覚翁
 +
|1665-1728
 +
|1725-?
 +
|伊勢国二見出身。1690年(元禄3年)矢橋石津寺住職。[[明星院]]住職。1701年(元禄14年)遍照院住職。1723年(享保8年)5月、[[尾張・長久寺]]16世[https://dl.ndl.go.jp/pid/816939/1/277]。[[近江・神照寺]]18世を兼務。1725年(享保10年)円福寺住職15世[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/29]。教音。
 +
|-
 +
|
 +
|法漸
 +
|生没年不詳
 +
|~1729~
 +
|長久寺17世。性海寺44世。1709年(宝永6年)10月性海寺住職。1725年(享保10年)8月、長久寺住職。1729年(享保14年)円福寺に在職。
 +
|-
 +
|
 +
|亮英
 +
|生没年不詳
 +
|~1735~
 +
|神照寺19世か。1735年(享保20年)円福寺に在職。
 +
|-
 +
|
 +
|幸雄
 +
|?-1744?
 +
|?-1744?
 +
|1744年(延享1年)死去か[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/32]。
 +
|-
 +
|
 +
|覚遠
 +
|1691-1771
 +
|1744-1756
 +
|智積院19世。1744年(延享1年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/32]。
 +
|-
 +
|
 +
|浄空
 +
|1693-1775
 +
|1756-1759
 +
|智積院20世。1756年(宝暦6年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/33]。
 +
|-
 +
|
 +
|胎通
 +
|1720-1798
 +
|?-1787
 +
|智積院24世。意純房。
 +
|-
 +
|
 +
|良恭
 +
|1720-1799
 +
|1799-1799
 +
|学僧。安房宝珠院。大聖院。1790年(寛政2年)[[瀧谷寺]]住職。1799年(寛政11年)1月、将軍徳川家斉に謁見し、円福寺住職となるが同月16日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/816939/1/796]。
 +
|-
 +
|
 +
|浄光
 +
|1729-1803
 +
|?-1803
 +
|智積院26世。真俊房。
 +
|-
 +
|
 +
|謙順
 +
|1740-1812
 +
|1803-1804
 +
|智積院28世。1803年(享和3年)7月29日、円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1211654/1/712]。
 +
|-
 +
|
 +
|玄瑜
 +
|1756-1826
 +
|?-1826
 +
|1756年(宝暦6年)生。1826年(文政9年)死去。71歳。元瑜。
 +
|-
 +
|
 +
|隆瑜
 +
|1773-1850
 +
|1831-1834
 +
|智積院33世。1831年(天保2年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1208017/1/1179]。1834年(天保5年)3月智積院化主。
 +
|-
 +
|
 +
|禅宅
 +
|1785-1851
 +
|?-1837
 +
|智積院34世。
 +
|-
 +
|
 +
|貫三
 +
|?-1846
 +
|不詳
 +
|生年不明。智山学匠。円福寺住職。1846年(弘化3年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/2992051/1/255]。了純房。
 +
|-
 +
|
 +
|亮誘
 +
|?-1853
 +
|~1851~
 +
|出羽国本道寺村出身。1851年(嘉永4年)『江戸愛宕山略由来記付勧化状』を著す。1853年(嘉永6年)3月7日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570247/1/117]。智源。1856年(安政3年)大覚寺から権僧正追贈[https://dl.ndl.go.jp/pid/9570063/1/100]。
 +
|-
 +
|
 +
|頼如
 +
|1801-1862
 +
|1853-1856
 +
|智積院38世。1853年(嘉永6年)円福寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2999986/1/46]。
 +
|}
 +
==資料==
 +
*『東京市史稿』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3450781/1/518]
 +
*『東京市史稿』「愛宕円福寺開帳」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3450802/1/25]
 +
*『東京市史稿』「愛宕円福寺修理」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3450812/1/516]
[[category:東京都]]
[[category:東京都]]

2024年4月20日 (土) 時点における最新版

愛宕神社参道の向かって左側に円福寺があった(江戸名所図会)

円福寺(えんぷくじ)は、江戸愛宕にあった真言宗寺院。廃絶。近世は、弥勒寺真福寺根生院(当初は護持院)とともに真言宗新義派江戸触頭寺院(江戸四カ寺)の一つ。江戸・愛宕神社別当。大覚寺門跡の直院家「常光院」[1]。法流は醍醐寺無量寿院末。宝珠院と号す。山号は愛宕山。(参考:同名寺院円福寺

目次

歴史

現在の愛宕神社参道
  • 1603年(慶長8年)9月:下妻円福寺の神証が愛宕神社を奉斎し、住房として遍照院を創建。
  • 1610年(慶長15年):円福寺を触頭とする[2]
  • 1619年(元和5年):円福寺と改称。
  • 明治初年:廃絶。

子院

愛宕山の麓に円福寺と真福寺の子院が立ち並んでいた(江戸名所図会)
  • 金剛院:愛宕神社本地堂の別当。脇坊。
  • 千蔵院:仙蔵院。
  • 万蔵院:満蔵院
  • 教證院:教照院。本尊は不動明王
  • 玉蔵院
  • 普賢院
  • 寿圭院
  • 華蔵院


組織

歴代住職

  • 歴代住職一覧の資料は見当たらない
世数 生没年 在職年 略歴
1 神証 生没年不詳 1603-1619 1603年(慶長8年)遍照院を創建。1619年(元和5年)引退[3]。春音。春香。
2 俊賀 生没年不詳 1619-1636 初代とすることもある。下野国西方村出身。1619年(元和5年)下妻円福寺住職を経て1619年(元和5年)遍照院住職となり、遍照院を円福寺と改称する[4]。1636年(寛永13年)、良誉に譲る[5]。円精。円林。
3 良誉 1608-1657 1636-1647 長谷寺6世。1636年(寛永13年)俊賀の推挙で円福寺住職[6]。1647年(正保4年)秋、円福寺を俊宥に譲って智積院元寿に師事[7]
4 俊宥 生没年不詳 1647-? 1647年(正保4年)秋、良誉から譲られ円福寺住職[8]
宥貞 1592-1664 1649-1656 智積院6世。宝仙寺16世を経て1649年(慶安2年)11月1日、円福寺住職[9]。1656年(明暦2年)智積院化主。
運敞 1614-1693 1654-1661 智積院7世。1656年(明暦2年)、円福寺住職[10](1654年(承応3年)10月とも[11])。
隆敞 ?-1676 1661-1676 三学院5世。1661年(寛文1年)円福寺住職[12]。1676年(延宝4年)4月9日死去。
信盛 1620-1693 1676-1682 智積院8世。1676年(延宝4年)夏、円福寺住職[13]
専戒 1640-1710 ?-1697 智積院10世。
覚眼 1643-1725 ?-1705 智積院11世。江戸・護持院13世。
義山 1646-1722 1705-1709 智積院12世。三学院12世。1705年(宝永2年)円福寺住職[14]。1709年(宝永6年)智積院化主。
智興 1661-1728 1714-1718 智積院14世。1714年(正徳4年)、円福寺住職[15]。1718年(享保3年)智積院化主。
14 伝忍 ?-1725 ?-1725 1725年(享保10年)死去。
15 覚翁 1665-1728 1725-? 伊勢国二見出身。1690年(元禄3年)矢橋石津寺住職。明星院住職。1701年(元禄14年)遍照院住職。1723年(享保8年)5月、尾張・長久寺16世[16]近江・神照寺18世を兼務。1725年(享保10年)円福寺住職15世[17]。教音。
法漸 生没年不詳 ~1729~ 長久寺17世。性海寺44世。1709年(宝永6年)10月性海寺住職。1725年(享保10年)8月、長久寺住職。1729年(享保14年)円福寺に在職。
亮英 生没年不詳 ~1735~ 神照寺19世か。1735年(享保20年)円福寺に在職。
幸雄 ?-1744? ?-1744? 1744年(延享1年)死去か[18]
覚遠 1691-1771 1744-1756 智積院19世。1744年(延享1年)円福寺住職[19]
浄空 1693-1775 1756-1759 智積院20世。1756年(宝暦6年)円福寺住職[20]
胎通 1720-1798 ?-1787 智積院24世。意純房。
良恭 1720-1799 1799-1799 学僧。安房宝珠院。大聖院。1790年(寛政2年)瀧谷寺住職。1799年(寛政11年)1月、将軍徳川家斉に謁見し、円福寺住職となるが同月16日死去[21]
浄光 1729-1803 ?-1803 智積院26世。真俊房。
謙順 1740-1812 1803-1804 智積院28世。1803年(享和3年)7月29日、円福寺住職[22]
玄瑜 1756-1826 ?-1826 1756年(宝暦6年)生。1826年(文政9年)死去。71歳。元瑜。
隆瑜 1773-1850 1831-1834 智積院33世。1831年(天保2年)円福寺住職[23]。1834年(天保5年)3月智積院化主。
禅宅 1785-1851 ?-1837 智積院34世。
貫三 ?-1846 不詳 生年不明。智山学匠。円福寺住職。1846年(弘化3年)死去[24]。了純房。
亮誘 ?-1853 ~1851~ 出羽国本道寺村出身。1851年(嘉永4年)『江戸愛宕山略由来記付勧化状』を著す。1853年(嘉永6年)3月7日死去[25]。智源。1856年(安政3年)大覚寺から権僧正追贈[26]
頼如 1801-1862 1853-1856 智積院38世。1853年(嘉永6年)円福寺住職[27]

資料

  • 『東京市史稿』[28]
  • 『東京市史稿』「愛宕円福寺開帳」[29]
  • 『東京市史稿』「愛宕円福寺修理」[30]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%83%BB%E5%86%86%E7%A6%8F%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール