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照国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''照国神社'''(てるくに・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある、明治維新の功績者とされる幕末の藩主[[島津斉彬]]を祀る[[霊社]]。[[領主奉斎神社]]。[[別格官幣社]]。斉彬の墓は北西2.1kmの[[島津家福昌寺墓地]]にある。かつて隣地に[[鹿児島招魂社]]があり、現在もその旧社殿が[[鹿児島県護国神社頓宮]]として残る。
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'''照国神社'''(てるくに・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある、明治維新の功績者とされる鹿児島藩主島津斉彬を祀る[[霊社]][[領主奉斎神社]]。[[別格官幣社]]。[[島津家]]も参照。斉彬の墓は北西2.1kmの[[島津家福昌寺墓地]]にある。かつて隣地に[[鹿児島招魂社]]があり、現在もその旧社殿が[[鹿児島県護国神社頓宮]]として残る。
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島津斉彬は1858年(安政5年)7月16日に急死。朝廷は1862年(文久2年)従三位権中納言を贈位贈官。1863年(文久3年)5月11日、照国大明神の神号を贈った。1864年(元治1年)12月19日、[[天台宗]][[南泉院]]境内に社殿を造営し正遷座祭を執り行った。
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南泉院は薩摩・大隅・日向の天台宗触頭で、[[鹿児島東照宮]]の別当だった。幕府と関係が深いことが敬遠され、常盤の[[千眼寺]]近くに移転。1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶した。
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1869年(明治2年)10月26日、鹿児島招魂社を照国神社の横に遷座。
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1869年(明治2年)11月22日、従一位贈位。
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1870年(明治3年)12月22日、岩倉大納言が勅使として参向し剣1振りを奉納した。
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1872年(明治5年)6月20日、[[明治天皇]]鹿児島行幸。宮内卿徳大寺実則が奉幣。
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1873年(明治6年)、[[県社]]に列格。
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1877年(明治10年)9月、西南戦争で焼失。明治天皇奉納の剣も焼失したため、1880年(明治13年)2月、明治天皇は再び剣を奉納した。
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1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。
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1882年(明治15年)12月15日、別格官幣社に昇格した。
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1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。
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1901年(明治34年)5月16日、正一位贈位。
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同年12月10日、社殿改築のため地鎮祭。1904年(明治37年)社殿竣工。1909年(明治42年)4月28日に正遷座祭。
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1917年(大正6年)11月22日、祭神の銅像完成
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1920年(大正9年)3月26日、皇太子時代の[[昭和天皇]]が参拝。
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1922年(大正11年)5月9日、イギリス皇太子奉迎式を実施。
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1922年(大正11年)5月11日、屋根葺き替えのため仮遷座祭。8月21日正遷座祭。
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1928年(昭和3年)3月、照国神社奉賛会設立。
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1929年(昭和4年)7月16日、祭神の正忌日を頌徳祭と定め、中祭とする。
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1932年(昭和7年)2月17日、本殿一部屋根修理のため仮遷座。3月1日に正遷座祭。
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1932年(昭和7年)12月15日、昇格50年奉祝祭。
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1945年(昭和20年)8月、戦災で焼失。1958年(昭和33年)に再建した。
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1948年(昭和23年)11月、鹿児島県護国神社が隣地から草牟田に遷座したが、隣地にも旧社殿が頓宮として残された。
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(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』、『鹿児島地誌 郷土教育資料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223620/108])
==境内==
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==組織==
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===宮司===
*島津忠欽:男爵
*島津忠欽:男爵
*島津珍彦
*島津珍彦

2020年3月12日 (木) 時点における版

照国神社
てるくに じんじゃ
Terukuni-jinja 001.jpg
概要 明治維新の功臣を奉斎する神社。
奉斎 贈正一位源斉彬
(土岐昌訓論文)
所在地 鹿児島県鹿児島市照国町19-35
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 別格官幣社別表神社
関連記事 領主奉斎神社


目次

概要

照国神社(てるくに・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市にある、明治維新の功績者とされる鹿児島藩主島津斉彬を祀る霊社領主奉斎神社別格官幣社島津家も参照。斉彬の墓は北西2.1kmの島津家福昌寺墓地にある。かつて隣地に鹿児島招魂社があり、現在もその旧社殿が鹿児島県護国神社頓宮として残る。

歴史

島津斉彬は1858年(安政5年)7月16日に急死。朝廷は1862年(文久2年)従三位権中納言を贈位贈官。1863年(文久3年)5月11日、照国大明神の神号を贈った。1864年(元治1年)12月19日、天台宗南泉院境内に社殿を造営し正遷座祭を執り行った。

南泉院は薩摩・大隅・日向の天台宗触頭で、鹿児島東照宮の別当だった。幕府と関係が深いことが敬遠され、常盤の千眼寺近くに移転。1869年(明治2年)の廃仏毀釈で廃絶した。

1869年(明治2年)10月26日、鹿児島招魂社を照国神社の横に遷座。 1869年(明治2年)11月22日、従一位贈位。 1870年(明治3年)12月22日、岩倉大納言が勅使として参向し剣1振りを奉納した。 1872年(明治5年)6月20日、明治天皇鹿児島行幸。宮内卿徳大寺実則が奉幣。 1873年(明治6年)、県社に列格。 1877年(明治10年)9月、西南戦争で焼失。明治天皇奉納の剣も焼失したため、1880年(明治13年)2月、明治天皇は再び剣を奉納した。 1882年(明治15年)1月25日、社殿再興して正遷座祭。 1882年(明治15年)12月15日、別格官幣社に昇格した。 1898年(明治31年)9月1日、社殿改築奉告祭。

1901年(明治34年)5月16日、正一位贈位。 同年12月10日、社殿改築のため地鎮祭。1904年(明治37年)社殿竣工。1909年(明治42年)4月28日に正遷座祭。 1917年(大正6年)11月22日、祭神の銅像完成 1920年(大正9年)3月26日、皇太子時代の昭和天皇が参拝。 1922年(大正11年)5月9日、イギリス皇太子奉迎式を実施。 1922年(大正11年)5月11日、屋根葺き替えのため仮遷座祭。8月21日正遷座祭。 1928年(昭和3年)3月、照国神社奉賛会設立。 1929年(昭和4年)7月16日、祭神の正忌日を頌徳祭と定め、中祭とする。 1932年(昭和7年)2月17日、本殿一部屋根修理のため仮遷座。3月1日に正遷座祭。 1932年(昭和7年)12月15日、昇格50年奉祝祭。 1945年(昭和20年)8月、戦災で焼失。1958年(昭和33年)に再建した。

1948年(昭和23年)11月、鹿児島県護国神社が隣地から草牟田に遷座したが、隣地にも旧社殿が頓宮として残された。

(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』、『鹿児島地誌 郷土教育資料』[1]

境内

組織

宮司

  • 島津忠欽:男爵
  • 島津珍彦

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%85%A7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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