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熊野三山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | === 中心となる三社 === | ||
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+ | ===那智山=== | ||
+ | *[[熊野那智大社]] | ||
+ | *[[青岸渡寺]] | ||
+ | *[[那智の滝]] | ||
+ | *[[那智七本願]] | ||
+ | **[[御前庵主]] | ||
+ | **[[瀧庵主]] | ||
+ | **[[那智阿弥]]:如意輪堂(現在の[[青岸渡寺]])を管理 | ||
+ | **[[補陀洛山寺]] | ||
+ | **[[熊野・阿弥陀寺]] | ||
+ | **[[熊野・理性院]] | ||
+ | **[[熊野・大禅院]] | ||
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+ | ==田辺== | ||
+ | 山地奥深い場所にある熊野三山に対して、遥拝する別宮的な存在として田辺の闘鶏神社が信仰され、熊野別当が分裂した後は、田辺別当の所在地となった。 | ||
+ | *[[闘鶏神社]] | ||
+ | *[[熊野・東光寺]] | ||
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+ | ==熊野街道== | ||
+ | *[[熊野九十九王子]] | ||
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+ | [[category:和歌山県]] |
2015年5月10日 (日) 時点における版
熊野三山(くまの・さんざん)は、紀伊国(和歌山県・三重県)の山地に広がる、熊野信仰の発祥地・中心地の霊場。吉野山とともに修験道の根本道場で、社寺が混在する日本を代表する神仏習合の巡礼地。式内熊野本宮大社・大斎原がある熊野本宮、式内熊野速玉大社・神倉山がある熊野新宮、熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝がある那智山の3所の霊場から構成される。古くはイザナミの埋葬、八咫烏が導いた神武天皇東征の伝承がある建国神話の旧跡とされ、イザナミはスサノオなどとともに熊野大神としても信仰される。仏教では、阿弥陀如来、観音菩薩、薬師如来などが熊野権現の本地仏とされ、極楽浄土、補陀落山、瑠璃光浄土とみなされた。一遍が時宗を開いた地でもある。天照大神の聖地伊勢とも交渉があった。
中世には、上皇・貴族から庶民まで多くの人々が参詣し、日本を代表する巡礼地となった。全国の山岳霊場などに広まった御師(おし)制度の発祥地とも考えられている。参詣道沿いには、分社あるいは御子神・眷属神を祀る熊野王子が建てられた。
目次 |
系譜
中心となる三社
熊野本宮
熊野新宮
那智山
田辺
山地奥深い場所にある熊野三山に対して、遥拝する別宮的な存在として田辺の闘鶏神社が信仰され、熊野別当が分裂した後は、田辺別当の所在地となった。