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熱田・誓願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1日秀善光(?-1601)<>:日秀妙光とも。夫を失い、善光寺で出家。96歳。 | *1日秀善光(?-1601)<>:日秀妙光とも。夫を失い、善光寺で出家。96歳。 | ||
- | *2照山慶光()<> | + | *2照山慶光()<>:水野光尚の娘。 |
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- | *4照月善光()<> | + | *4照月善光()<>:水野光重の娘。 |
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*慶吟()<>:1709年在職。 | *慶吟()<>:1709年在職。 | ||
2022年4月30日 (土) 時点における版
誓願寺(せいがんじ)は、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮ゆかりの浄土宗寺院。尼寺。本尊は阿弥陀如来。西山浄土宗。尼僧は伊勢慶光院、善光寺大勧進と共に勅許三上人の一人で、紫衣を勅許され、熱田上人と呼ばれた。定期的に参内することから京都御幸町通に宿寺を置いた。熱田神宮関連旧跡。熱田神宮大宮司屋敷の跡地で源頼朝の生誕地で、江戸時代には頼朝を祀る祠があったが(尾張名所図会)今はないようだ。誓願尼寺。山号は妙光山。 (参照:同名寺院誓願寺 (同名))
目次 |
歴史
1525年、日秀善光が創建。1529年ともいう。 1570年5月5日:上人号勅許。 1581年、織田信長、油日神社の鐘を移す。 1591年、大政所参詣 1600年2月24日、焼失。 1607年、豊臣秀頼が本堂など再建。 1608年、前田利家の室が鐘楼を寄進。 1615年、松平忠吉が築地を整備。 1623年、徳川義直、寺領100石寄進。 1628年、徳川義直が屋敷地を寄進し、伽藍整備。 照月善光の時代、参内が隔年となる。 1643年11月15日、東福門院、京都に屋敷地を寄進。 1647年、徳川光友の命で長屋を建て水野光綱が後見役として入る。 1669年11月、東福門院、本堂を修復。 1803年、本堂など再建。 天保年間、参内がなくなる。 1945年、名古屋空襲で焼失。 (名古屋市史社寺編[1]ほか)
組織
住職
- 1日秀善光(?-1601)<>:日秀妙光とも。夫を失い、善光寺で出家。96歳。
- 2照山慶光()<>:水野光尚の娘。
- 3修光慶薰()<>:水野光成の娘。
- 4照月善光()<>:水野光重の娘。
- 5照岸善光()<>:水野光兼の娘。
- 慶吟()<>:1709年在職。
墓所は久野山清安寺にあった。
資料
- 尾張誓願寺文書
- 尾張国愛知郡誌
- 『織豊期の政治構造』?