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相国寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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相国寺(しょうこくじ)は、京都府京都市上京区にある臨済宗本山寺院。本尊は釈迦如来。京都五山の第2位。臨済宗相国寺派大本山。足利義満が将軍家の菩提寺として春屋妙葩を招いて創建。夢窓疎石を勧請開山とする。巨大な七重大塔があった。塔頭の大通院専門道場が設置されている(相国僧堂)。室町時代、鹿苑院臨済宗僧録を務めた。境外塔頭として金閣寺銀閣寺がある。山号は万年山。承天相国寺。相国承天禅寺。(参考:同名寺院相国寺_(同名)

目次

伽藍

  • 仏殿:廃絶。
  • 法堂:
  • 開山堂:
  • 方丈:
  • 庫裏:
  • 浴室:
  • 三門:廃絶。
  • 総門:
  • 勅使門:
  • 鐘楼:
  • 経蔵:

塔頭

  • 鹿苑院:足利義満の塔所。廃絶。
  • 蔭涼軒:廃絶。
  • 大光明寺:伏見宮家の菩提寺。
  • 大通院臨済宗専門道場
  • 光源院:
  • 慈照院:足利義政の菩提寺。のち桂宮家の菩提寺となる。
  • 豊光寺:豊臣秀吉の菩提寺。
  • 慈雲院:
  • 普広院:
  • 長得院:
  • 瑞春院:
  • 玉龍院:
  • 林光院:
  • 養源院:
  • 崇寿院:開山の塔所。旧称は資寿院。廃絶。
  • 大智院:春屋妙葩の塔所。
  • 常徳院:廃絶。
  • 雲頂院:廃絶。
  • 宜竹斎:廃絶。
  • 慶雲院:廃絶。
  • 環中庵:廃絶。
  • 寿星軒:廃絶。
  • 聯輝軒:廃絶。
  • 万松軒:廃絶。
  • 蔵集軒:廃絶。
  • 妙歓院:廃絶。
  • 金閣寺:寺外塔頭。
  • 銀閣寺:寺外塔頭。
  • 真如寺:寺外塔頭。

組織

住職(中世1)

世数 生没年 就任年 略歴
1 夢窓疎石 1275-1351 相国寺の勧請開山。創建年には既に死んでいる。
2 春屋妙葩 1311-1388 1383 相国寺の開山。夢窓疎石の法嗣。
3 空谷明応 1328-1407 1386 夢窓派。1386年(元中3年/至徳3年)10月、1390年(元中7年/明徳1年)8月、1394年(応永1年)10月に相国寺住職。
4 大清宗渭 1321-1391 1388 一山派。雪村友梅の法嗣。
5 雲渓支山 1330-1391 1388 一山派。雪村友梅の法嗣。1388年(元中5年/嘉慶2年)相国寺住職。
6 絶海中津 1336-1405 1392 夢窓疎石の法嗣。1392年(元中9年/明徳3年)10月、1397年(応永4年)、1401年(応永8年)に相国寺住職となる。
7 物先周格 ?-1397 1394 夢窓疎石の法嗣。
8 万宗中淵 ?-1410 1398
9 観中中諦 1342-1406 1400 夢窓疎石の法嗣。1400年(応永7年)相国寺住職。
10 大岳周崇 1345-1423 1402 黙翁妙誡の法嗣。1402年(応永9年)3月8日、相国寺住職。塔所は相国寺慧林院嵯峨宝積寺。「大嶽周崇」。
11 中山中嵩 ?-1410 1403
12 無求周伸 ?-1413 1404 夢窓疎石の法嗣。伝記として『前相国無求伸禅師行実』がある。
13 在中中淹 1342-1428 1405 龍湫周沢の法嗣。相国寺、天龍寺南禅寺の住職。
14 少林周〓 生没年不詳 1407 〓は「般」の下に「糸」。
15 東啓梵晃 ?-1408 1407
16 円鑑梵相 1346-1410 1408 春屋妙葩の法嗣。岩国永興寺23世。
17 大周周奝 1348-1419 1408 大照円臨の法嗣。相国寺、南禅寺の住職。
18 益叟福嫌 ?-1409 1409
19 鄂隠慧〓 1357-1425 1410 絶海中津の法嗣。等持寺住職。1410年(応永17年)相国寺住職。相国寺長得院を創建。周防瑞雲寺開山。相国寺鹿苑院主。天龍寺61世。塔所は吸江寺、相国寺長得院。〓は「大」の下に「歳」。「愕隠慧〓」とも。
20 簡翁志敬 ?-1420 1411 清凉寺紹宏院に住す。
21 象先梵超 ?-1413 1411 一説に画僧。
22 厳中周〓 1359-1428 1413 春屋妙葩の法嗣。九条経教の子。相国寺、天龍寺、南禅寺の住職。岩国永興寺24世。1428年(正長1年)6月26日死去(1427年(応永34年)とも)。70歳。智海大珠禅師。〓は「王」の周囲に「口」が四つ。
23 西胤俊承 1358-1422 1414 絶海中津の法嗣。
24 柏堂梵意 ?-1434 1415
25 慶中周賀 1363-1425 1416 春屋妙葩の法嗣。天龍寺住職。岩国永興寺25世。「慶仲周賀」とも。
26 無説景演 ?-1419 1418
27 古幢周勝 1370-1433 1419 不遷法序の法嗣。1419年(応永26年)相国寺住職。
28 元容周頌 ?-1425 1421 相国寺光源院。春屋妙葩の法嗣。1421年(応永28年)相国寺住職。
29 元璞慧〓 1373-1429 1423 絶海中津の法嗣。1423年(応永30年)相国寺住職。〓は「王共」。
30 海門承朝 1374-1443 1423 長慶天皇皇子。空谷明応の法嗣。南禅寺住職。天龍寺慶寿院に住す。
31 誠中中〓 ?-1430 1424 春屋妙葩の法嗣。〓は「ヒ」と「矢」と「欠」の組み合わせ。
32 雲菴周悦 ?-1444 1427 岩国永興寺26世。「雲庵周悦」。
33 用剛乾治 1374-1446 1428 相国寺鹿苑院13世。
34 星岩俊列 ?-1452 1428 「星巌俊列」。
35 月渓中珊 1377-1434 1429 不遷法序の法嗣。1429年(永享1年)相国寺住職。
36 春林周藤 ?-1463 1430 慶玉軒。画僧雪舟の師匠。
37 恕中中誓 ?-1444 1431 物先周格の弟子。
38 宝山乾珍 1394-1441 1432 足利氏。絶海中津の法嗣。相国寺住職。鹿苑院院主。1435年(永享7年)天龍寺94世。1436年(永享8年)相国寺再任。
39 徳中等懋 ?-1446 1433
40 竺雲等連 1383-1471 1435 大岳周崇の法嗣。相国寺、南禅寺の住職。金剛宝寺を創建。
41 柏心周操 ?-1450 1437 鹿王院4世。
42 瑞渓周鳳 1391-1473 1440 無求周伸の法嗣。1440年(永享12年)8月、相国寺住職。
43 東岡周沢 ?-1450 1441 「沢」は「「山」「四」「幸」」とも。
44 〓陽周沆 ?-1453 1442 〓は草冠に「止」。「周〓」とも(〓はサンズイに「元」)。
45 東岳澄昕 1388-1463 1443 鹿苑院17世。「東岳澄泰」とも。
46 子鞏全固 ?-1457 1444
47 性天景繕 ?-1454 1444 若狭長福寺開山。
48 温中承〓 ?-1452 1445 〓は「禺頁」。
49 雪心等柏 ?-1459 1446
50 東沼周〓 1391-1462 1447 近江国出身。遊叟周芸の法嗣。建仁寺住職を経て1447年(文安4年)相国寺住職。1462年(寛正3年)1月2日死去。72歳。(日本人名大辞典)〓は「日厳」。
51 仲黙慈弁 ?-1455 1447
52 東旭等輝 ?-1457 1448 岩国永興寺37世。
53 古邦慧淳 ?-1453 1449 鄂隠慧〓の法嗣。「古邦恵淳」。
54 静甫周喆 ?-1461 1449
55 春渓洪曹 ?-1465 1449
56 徳翁中佐 ?-1460 1450
57 察堂洪省 生没年不詳 1450
58 以鈍等鋭 生没年不詳 1451 鹿苑寺住職。
59 用堂中材 ?-1458 1452 「周堂中材」は誤りか。
60 竹香全悟 ?-1464 1453
61 文渓永舒 生没年不詳 1454
62 順渓等助 ?-1459 1455
63 仙岩澄安 ?-1473 1457 鹿苑院20世。「仙巌澄安」。
64 徐岡梵詳 生没年不詳 1457
65 柏岩周寿 ?-1462 1458 「柏巌周寿」。
66 以仁俊誉 生没年不詳 1459
67 修山光謹 生没年不詳 1459 足利家出身。足利義嗣の子。「修山清謹」とも。
68 天英周賢 ?-1463 1460 「天英周賀」は誤りか。
69 伯芳周〓 生没年不詳 1460 〓は草冠に「臣」。
70 以遠澄期 生没年不詳 1460
71 雪菴澄郢 ?-1470 1460 「雪庵徴郢」とも。
72 維馨梵桂 1404-1490 1462 元容周頌の法嗣。1462年(寛正3年)から3度、相国寺住職。鹿苑院住職。鹿苑寺住職。
73 同文景忞 生没年不詳 1463
74 棠陰等〓 生没年不詳 1464 鄂隠慧〓の法嗣。〓は「大」の左右に「百」。
75 璧渓等〓 生没年不詳 1465 〓は「王黄」。
76 松堂守蔭 生没年不詳 1465
77 仲言本纉 生没年不詳 1466

住職(中世2)

15世紀中頃から中興西笑承兌までの約100年間、歴代住職は不明瞭な点が多い。戦乱により記録が散逸したためだと思われる。特に85世は名前不詳としながら歴代の一人として数えている。以下の順序は、異本も併記する『日本仏家人名辞書』を基準とした。

世数 生没年 就任年 略歴
78 玉崖梵琇 ?-1473 1467 鹿苑院53世。
(笑雲永喜) 生没年不詳 (『望月』では相国寺79世(『仏家』では異本として記載))
(月関) 生没年不詳 (『望月』では相国寺80世(『仏家』では異本として記載))
(月翁周鏡) 1418-1500 厳中周〓の法嗣。臨川寺、相国寺、南禅寺の住職。相国寺栖芳軒を創建。(『望月』では相国寺81世(『仏家』では異本として記載))
(魁翁) 生没年不詳 (『望月』では相国寺82世(『仏家』では異本として記載))
(蘭坡景〓) 1419-1501 1479 大模梵軌の法嗣。1479年(文明11年)相国寺住職。1485年(文明17年)南禅寺住職。相国寺再住。〓は草冠に臣。(『望月』では相国寺83世(『仏家』では異本として記載))
79 横川景三 1429-1493 1485 1480年(文明12年)、1485年(文明17年)、1488年(長享2年)相国寺住職。(『望月』では相国寺84世)
(伯叔) 生没年不詳 (『望月』では相国寺85世(『仏家』では異本として記載))
(秀睦) 生没年不詳 (『望月』では相国寺86世(『仏家』では異本として記載))
(以参) 生没年不詳 画僧の以参周省か。(『望月』では相国寺87世(『仏家』では異本として記載))
80 桃源瑞仙 1430-1489 1486 1486年(文明18年)相国寺住職。1489年(延徳1年)再任。(『望月』では相国寺88世)
81 金渓梵鐸 生没年不詳 1486 鹿苑院27・29世。(『望月』では相国寺89世)
(春陽) 生没年不詳 (『望月』では相国寺90世(『仏家』では異本として記載))
82 霖父乾道 生没年不詳 1492 (『望月』では相国寺91世)
83 景徐周麟 1440-1518 1495 将軍側近の大館持房の子。用堂中材の法嗣。応仁の乱の時には永源寺に逃れる。景徳寺住職。等持寺住職。1495年(明応4年)相国寺住職。南禅寺住職。鹿苑院住職。相国寺慈照院に葬られた。(『望月』では相国寺92世)
(文摠持正) 生没年不詳 文総持正。持正光堤?(『望月』では相国寺93世(『仏家』では異本として記載))
84 瀑岩等紳 ?-1522 1500 慈照寺4世。広徳軒。瀑巌等紳。(『望月』では相国寺94世)
85 (名前不詳) 生没年不詳 (『仏家』でも85世は名称不詳としている)
86 宗山等貴 1464-1526 伏見宮貞常親王の王子。等持寺、相国寺の住職。仏眼天祐禅師。
(景甫) 景甫寿陵?(『望月』では相国寺95世(『仏家』では異本として記載))
(旭岑瑞杲) (『望月』では相国寺96世(『仏家』では異本として記載))
(天祐) 宗山等貴のことか?(『望月』では相国寺97世(『仏家』では異本として記載))
87 少蕙梵〓 生没年不詳 1518 〓=多+吉。(『望月』では相国寺98世)
88 雲屋全祥 生没年不詳 1512 (『望月』では相国寺99世)
89 梅叔法霖 生没年不詳 「梅斎法霖」とも。(『望月』では相国寺100世)
(廉叔) (『望月』では相国寺101世(『仏家』では異本として記載))
(東雲) 東雲景岱か。(『望月』では相国寺102世(『仏家』では異本として記載))
90 惟高妙安 1480-1567 1540 近江国出身。瀑岩等紳の法嗣。伯耆の保国寺・海蔵寺に住す。1540年(天文9年)相国寺住職。南禅寺住職。1543年(天文12年)鹿苑院住職。1567年(永禄10年)12月3日死去。88歳。維高妙安とも。(『望月』では相国寺103世)
(春湖) 春湖寿信か。(『望月』では相国寺104世(『仏家』では異本として記載))
91 仁如集堯 1483-1574 1544 一山派。亀泉集証の法嗣。1544年(天文13年)12月、相国寺住職。1544年(天文13年)南禅寺の坐公文。1560年(永禄3年)鹿苑院院主。 「仁安集堯」は誤りか。(『望月』では相国寺105世)
(春叔) 春叔洪臻か。「春寂」とも。(『望月』では相国寺106世(『仏家』では異本として記載))
(江春瑞超) (『望月』では相国寺107世(『仏家』では異本として記載))
(雲岫) 雲岫永俊か。(『望月』では相国寺108世(『仏家』では異本として記載))

住職(近世)

世数 生没年 就任年 略歴
92 西笑承兌 1548-1607 1585 相国寺中興。鹿苑寺中興1世。中華承舜の法嗣。1585年(天正13年)2月19日、相国寺住職に就任(1584年(天正12年)とも)。1607年(慶長12年)12月27日死去。(『仏家』では92世、『望月』では109世)
93 有節瑞保 1548-1633 1587 祐谷瑞延の法嗣。1587年(天正15年)5月16日、相国寺住職に就任。1607年(慶長12年)相国寺鹿苑院。1633年(寛永10年)11月7日死去。(『仏家』では93世、『望月』では110世)
94 昕叔顕啅 ?-1658 1611 慈照院7世。1611年(慶長16年)4月23日、相国寺住職に就任。1658年(万治1年)1月20日死去。仏性本源国師。「昕斎顕啅」は誤りか。『望月』には111世本源とある。(『仏家』では94世、『望月』では111世)
95 鳳林承章 1593-1668 1625 鹿苑寺2世。西笑承兌の法嗣。勧修寺晴豊の子。1625年(寛永2年)5月28日、相国寺住職に就任。1668年(寛文8年)8月24日死去。(『仏家』では95世、『望月』では112世)
(雪岑梵崟) 生没年不詳 永源寺中興の一絲文守(1608-1646)の師匠。(『望月』では113世)
96 覚雲顕吉 ?-1667 1654 慈照院。1654年(承応3年)12月5日、相国寺住職に就任。1667年(寛文7年)5月29日死去。(『仏家』では96世、『望月』では114世)
97 雪巌梵寅 ?-1660 1658 1658年(万治1年)8月20日、相国寺住職に就任。1660年(万治3年)10月12日死去。「雪岩梵寅」。(『仏家』では97世、『望月』では115世)
98 春葩宗全 1620-1696 1664 冨春軒。1664年(寛文4年)11月27日、相国寺住職に就任。1696年(元禄9年)5月8日死去。(『仏家』では98世、『望月』では116世)
(玉英慶瑞) 生没年不詳 慶雲院。(『望月』では117世)
99 愚渓等厚 ?-1675 1671 玉龍院。1671年(寛文11年)8月19日、相国寺住職に就任。1675年(延宝3年)12月22日死去。「愚渓等貴」「愚渓等原」は誤りか。(『仏家』では99世、『望月』では118世)
(景臨周順) 生没年不詳 巣松軒。(『仏家』では100世、『望月』では119世)
100 汝船妙恕 1636-1681 1679 雪巌梵寅の法嗣。光源院。1679年(延宝7年)9月16日、相国寺住職に就任。1681年(天和1年)11月26日死去。「汝舟妙恕」とも。(『仏家』では101世、『望月』では120世)
101 太虚顕霊 ?-1705 1680 慈雲庵。1680年(延宝8年)2月8日、相国寺住職に就任。1705年(宝永2年)5月20日死去。(『仏家』では102世、『望月』では121世)
(天啓集仗) 生没年不詳 等持寺住職。瑞奉庵。(『仏家』では103世、『望月』では122世)
(瑶華紹〓) 生没年不詳 〓は「王民」。(『仏家』では104世、『望月』では123世)
102 玉翁等珍 ?-1696 1696 慈照寺10世。1696年(元禄9年)6月19日、相国寺住職に就任。1696年(元禄9年)11月3日死去。「玉翁等玲」は誤りか。(『仏家』では105世、『望月』では124世)
(芳渚祖桂) 生没年不詳 (『仏家』では106世、『望月』では125世)
103 別宗祖縁 1658-1714 1699 覚雲顕吉の法嗣。真如寺住職。慈照院9世。1699年(元禄12年)5月23日、相国寺住職に就任。1714年(正徳4年)5月1日死去。(『仏家』では107世、『望月』では126世)
104 乾崖梵竺 ?-1710 1704 林光院5世。1704年(宝永1年)11月6日、相国寺住職に就任。1710年(宝永7年)12月19日死去。(『仏家』では108世、『望月』では127世)
(観渓承頤) 生没年不詳 (『仏家』では109世、『望月』では128世)
105 正源梵的 ?-1721 1719 1719年(享保4年)3月18日、相国寺住職に就任。1721年(享保6年)2月30日死去。(『仏家』では110世、『望月』では129世)
106 蘭谷等芳 ?-1728 1722 1722年(享保7年)6月29日、相国寺住職に就任。1728年(享保13年)2月18日死去。(『仏家』では111世、『望月』では130世)
107 独峰慈秀 ?-1756 1732 相国寺慈雲庵。1732年(享保17年)11月20日、相国寺住職に就任。1756年(宝暦6年)9月13日死去。(『仏家』では112世、『望月』では131世)
108 蘭坡中珣 ?-1748 1737 1737年(元文2年)11月27日、相国寺住職に就任。1748年(寛延1年)7月21日死去。「藍坡中珣」は誤りか。(『仏家』では113世、『望月』では132世)
109 維天承瞻 1694-1770 1746 巣松軒7世。1746年(延享3年)2月7日、相国寺住職に就任。1770年(明和7年)3月12日死去。(『仏家』では114世、『望月』では133世)
110 無聞承聡 ?-1772 1747 鹿苑寺6世。1747年(延享4年)8月24日、相国寺住職に就任。1772年(安永1年)11月12日死去。(『仏家』では115世、『望月』では134世)
111 天叔顕台 ?-1786 1770 等持寺住職。相国寺養源院。巣松軒10世。1770年(明和7年)9月10日、相国寺住職に就任。1786年(天明6年)11月10日死去。(『仏家』では116世、『望月』では135世)
112 岱宗承嶽 ?-1784 1777 1777年(安永6年)9月18日、相国寺住職に就任。1784年(天明4年)8月3日死去。(『仏家』では117世、『望月』では136世)
113 梅荘顕常 1719-1801 1779 独峰慈秀の法嗣。1779年(安永8年)8月5日、相国寺住職に就任(相国寺ウェブサイト。国史大辞典では1777年(安永6年))。1801年(享和1年)2月8日死去。(『仏家』では118世、『望月』では137世)
114 松源中奨 1740-1801 1793 綾小路俊宗の子(「公卿類別譜」[1])。1793年(寛政5年)9月13日、相国寺住職に就任。1801年(享和1年)2月20日死去。(『仏家』では119世、『望月』では138世)
115 維明周奎 1731-1808 1803 伊藤若冲に画を学ぶ。1803年(享和3年)3月8日、相国寺住職に就任。1808年(文化5年)8月12日死去。(『仏家』では120世、『望月』では139世)
116 古道元式 ?-1819 1808 慧林院。1808年(文化5年)11月24日、相国寺住職に就任。1819年(文政2年)1月3日死去。(『仏家』では121世、『望月』では140世)
117 大中周愚 ?-1813 1812 1812年(文化9年)7月6日、相国寺住職に就任。1813年(文化10年)11月12日死去。(『仏家』では122世、『望月』では141世)
118 大有承洪 ?-1819 1816 1816年(文化13年)閏11月13日、相国寺住職に就任。1819年(文政2年)9月7日死去。(『仏家』では123世、『望月』では142世)
119 以中玄保 ?-1835 1823 鹿苑寺9世。1823年(文政6年)11月10日、相国寺住職に就任。1835年(天保6年)閏7月11日死去。(『仏家』では124世、『望月』では143世)
120 盈冲周整 1795-1861 1829 1829年(文政12年)5月1日、相国寺住職に就任。1861年(文久1年)4月10日死去。(『仏家』では125世、『望月』では144世)
121 北潤承学 ?-1849 1843 鹿苑寺10世。1843年(天保14年)4月9日、相国寺住職に就任。1849年(嘉永2年)10月29日死去。(『仏家』では126世、『望月』では145世)
122 橘州周偆 ?-1864 1851 慈照寺15世。1851年(嘉永4年)9月26日、相国寺住職に就任。1864年(元治1年)7月19日死去。高浜町に生誕地碑があるらしい[2]。「橘洲周偆」とも。(『仏家』では127世、『望月』では146世)
123 古桂慧〓 ?-1865 1858 1858年(安政5年)4月26日、相国寺住職に就任。1865年(慶応1年)1月28日死去。〓は「禺頁」。(『仏家』では128世、『望月』では147世)
124 養冲中〓 ?-1868 1866 1866年(慶応2年)2月6日、相国寺住職に就任。1868年(明治1年)10月16日死去。〓は「王延」。(『仏家』では129世、『望月』では148世)
125 憲道周顥 ?-1878 1868 鹿苑寺11世。1868年(明治1年)11月15日、相国寺住職に就任。1878年(明治11年)7月16日死去。(『仏家』では130世、『望月』では149世)

住職(近現代)

明治になり、輪番住職を廃して専任住職を設置した。一般的には輪住(輪番住職)に対して「独住」と呼ぶことが多いが、相国寺では「特住」と呼んでいる。また初期には相国寺派管長との任期は必ずしも一致しなかったようだ。

世数 生没年 就任年 略歴
126 独園承珠 1819-1895 1870 荻野独園。相国寺特住1世。大光明寺住職。備前国児島郡山坂村出身。掌善寺で得度。帆足万里に儒学を学ぶ。相国寺で大拙承演に師事。1870年(明治3年)、相国寺住職に就任。1872年(明治5年)大教院院長に就任。臨済・曹洞・黄檗三宗総管長。1895年(明治28年)8月10日死去。77歳。室号は退耕庵。著書に『近世禅林僧宝伝』『退耕語録』など。 (日本人名大辞典ほか)
127 東嶽承晙 1841-1909 1895 中原東嶽。相国寺特住2世。丹波国出身。1841年(天保12年)5月10日生。独園承珠の法嗣。1895年(明治28年) 、相国寺住職に就任。1909年(明治42年)10月19日死去(日本人名大辞典では17日)。69歳。室号は便打室。東岳承晙。(日本人名大辞典ほか)
128 独山玄義 1869-1938 1911 橋本独山。相国寺特住3世。鹿王院住職。南苑寺開山。越後国出身。1869年(明治2年)6月11日生。1890年(明治23年)、天龍寺の峨山昌禎の法嗣。1900年(明治33年)鹿王院住職。1911年(明治44年) 、相国寺住職に就任。鳥取県の南苑寺を創建。書画を得意とした。1938年(昭和13年)8月15日死去。70歳。室号は対雲窟・南苑窟。遺録『対雲録』。(『日本人名大辞典』『20世紀日本人名事典』ほか)
129 大耕義孝 1875-1966 1927 山崎大耕。相国寺特住4世。相国寺大通院住職。臨済護国禅寺住職。島根県出身。旧姓は奥田。1875年(明治8年)9月5日生。天龍寺僧堂で峨山昌禎に師事。独山玄義の法嗣。1902年(明治35年)島根瑞光寺住職。1914年(大正3年)妙心寺派宗議会議員。1919年(大正8年)台湾の臨済護国禅寺住職。1920年(大正9年)臨済宗の台湾布教監督。1921年(大正10年)、相国寺大通院住職。同年、相国僧堂師家。1925年(大正14年)相国寺副住職。1927年(昭和2年) 、相国寺住職に就任。1933年(昭和8年)(1943年(昭和18年)とも)、臨済宗相国寺派管長。1966年(昭和41年)2月7日死去。90歳。室号は無為室。(『日本人名大辞典』『20世紀日本人名事典』ほか)
130 櫪堂承用 1897-1976 大津櫪堂。相国寺特住5世。大光明寺住職。福岡県出身。1897年(明治30年)生。大耕義孝の法嗣。相国僧堂師家。1976年(昭和51年)5月18日死去。78歳。室号は大象窟。『大象語録・遺墨集』。
131 太拙宗忍 1914-1995 1976-1995 梶谷宗忍。相国寺特住6世。大分県佐伯市蒲江出身。1914年(大正3年)7月8日生。1931年(昭和6年)、願成寺で得度。1935年(昭和10年)建仁僧堂に掛塔。1940年(昭和15年)、長岡禅塾の設立に伴い、初代塾長梅谷香州に師事。1950年(昭和25年)宝光寺住職。1951年(昭和26年)改めて相国僧堂に入り、櫪堂承用に師事し、後に嗣法。1963年(昭和38年)相国僧堂師家。1976年(昭和51年)6月、相国寺住職に就任。1984年(昭和59年)5月、慈照寺住職を兼務。1985年(昭和60年)9月、鹿苑寺住職を兼務。1995年(平成7年)1月16日死去。82歳。室号は止々庵。(正定寺ウェブサイト[3]
132 頼底承黙 1933- 1995- 有馬頼底。相国寺特住7世。大光明寺住職。東京都出身。有馬正頼男爵の次男。1933年(昭和8年)生。大分県日田市の岳林寺で得度。1955年(昭和30年)、相国僧堂に掛搭。櫪堂承用に師事。1968年(昭和43年)大光明寺住職。1995年(平成7年)相国寺住職に就任。室号は大龍窟。


  • 相国寺ウェブサイト「相国寺寺住持位次」[4]をベースに『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』を参照した。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9B%B8%E5%9B%BD%E5%AF%BA」より作成

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