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真宗大谷派金沢別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''真宗大谷派金沢別院'''(しんしゅうおおたには・かなざわ・べついん)は、石川県金沢市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''[[尾山御坊]]'''の後身寺院。'''金沢御堂'''。旧称'''専光寺''' | + | '''真宗大谷派金沢別院'''(しんしゅうおおたには・かなざわ・べついん)は、石川県金沢市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''[[尾山御坊]]'''の後身寺院。'''金沢御堂'''。旧称'''専光寺'''。(参考:同名寺院[[金沢別院]]) |
本願寺軍と末寺の加賀一向一揆軍が衝突した大小一揆を経て、本願寺が末寺を統率するために設けた尾山御坊が前身。天正8年(1580)に滅ぼされ、3年後に再建されたが、東西分立で御坊は[[西本願寺]]に属したため([[浄土真宗本願寺派金沢別院]])、東本願寺は新たに後町の'''専光寺'''を御坊とした。寛永7年(1630)に焼失し、その後現在地に移転した。数度の火災に逢い、昭和37年(1962)にも全焼した。46年(1971)にコンクリート造の現在の本堂が完成した。 | 本願寺軍と末寺の加賀一向一揆軍が衝突した大小一揆を経て、本願寺が末寺を統率するために設けた尾山御坊が前身。天正8年(1580)に滅ぼされ、3年後に再建されたが、東西分立で御坊は[[西本願寺]]に属したため([[浄土真宗本願寺派金沢別院]])、東本願寺は新たに後町の'''専光寺'''を御坊とした。寛永7年(1630)に焼失し、その後現在地に移転した。数度の火災に逢い、昭和37年(1962)にも全焼した。46年(1971)にコンクリート造の現在の本堂が完成した。 | ||
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2015年9月22日 (火) 時点における版
真宗大谷派金沢別院(しんしゅうおおたには・かなざわ・べついん)は、石川県金沢市にある真宗大谷派の別院。尾山御坊の後身寺院。金沢御堂。旧称専光寺。(参考:同名寺院金沢別院)
本願寺軍と末寺の加賀一向一揆軍が衝突した大小一揆を経て、本願寺が末寺を統率するために設けた尾山御坊が前身。天正8年(1580)に滅ぼされ、3年後に再建されたが、東西分立で御坊は西本願寺に属したため(浄土真宗本願寺派金沢別院)、東本願寺は新たに後町の専光寺を御坊とした。寛永7年(1630)に焼失し、その後現在地に移転した。数度の火災に逢い、昭和37年(1962)にも全焼した。46年(1971)にコンクリート造の現在の本堂が完成した。