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真正極楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[土御門家]]、[[三井家]]の菩提寺。 | [[土御門家]]、[[三井家]]の菩提寺。 | ||
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+ | 992年(正暦3年)、戒算が[[一条天皇]]生母の東三条院藤原詮子の発願で創建したという。 | ||
+ | 本尊阿弥陀如来像は元は[[延暦寺常行堂]]にあった[[円仁]]作の像という。これを神楽岡にあった東三条院の離宮に遷して寺院としたという。 | ||
+ | 994年(正暦5年)一条天皇の勅願寺となった。 | ||
+ | 1166年(仁安1年)11月、覚快法親王(1134-1181、[[青蓮院門跡]])が別当となり、1181年(養和1年)11月には[[慈円]]が別当となったという。 | ||
+ | 1323年(元亨3年)、[[後醍醐天皇]]が[[仏舎利]]奉納。 | ||
+ | 1379年(天授5年/康暦1年)1月22日焼失。 | ||
+ | 永享年間(1429-1441)伊勢貞国が真如堂に参籠。夢告を得て十夜法要を始めたという。[[浄土宗]]などで行われるのも真如堂の法要を真似たものという。 | ||
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+ | ===浄土宗時代=== | ||
+ | 1468年(応仁2年)、応仁の乱の兵火で伽藍を全て失った。 | ||
+ | 本尊は[[比叡山]]黒谷の[[比叡山・青龍寺|青龍寺]]に遷座。ついで坂本宝光院(不詳)に遷座。京都一条などを転々として1484年(文明16年)足利義政から寄進されて旧地に戻った。もともと[[浄土教]]の寺院であったことから[[浄土宗]]や[[時宗]]の僧侶が関与し、やがて浄土宗寺院となった。1503年(文亀3年)上棟式。1521年(大永1年)落慶。浄土宗の団誉玉翁(1460-1521)が関わったのはこの時か。 | ||
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+ | 永禄年間、[[織田信長]]の二条城建設で移転となり、一条西洞院に移転。 | ||
+ | 1587年(天正15年)、[[豊臣秀吉]]の都市改造で京極今出川に移転。 | ||
+ | 1606年(慶長11年)12月15日、本堂の落慶法要が大々的に営まれた。 | ||
+ | しかし、1661年(寛文1年)大火で被災。1692年(元禄5年)大火で焼失した。 | ||
+ | ===天台宗に復帰=== | ||
+ | 1693年(元禄6年)、[[東山天皇]]の勅願で旧地の西南にあたる現在地に復興した。同時に[[天台宗]]寺院に復帰した。 | ||
+ | [[輪王寺宮]]の末寺となり、[[青蓮院門跡]]が寺務を管轄した。 | ||
+ | 1717年(享保2年)本堂再建(現在の本堂)。 | ||
+ | 1817年(文化14年)三重塔再建。 | ||
+ | (国史大辞典、日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト) | ||
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+ | ==伽藍== | ||
+ | *本堂:本尊は「頭振りの阿弥陀」。1717年(享保2年)再建。 | ||
+ | *開山堂:戒算の墓。 | ||
+ | *元三大師堂:本尊は良源。1696年(元禄9年)建立。 | ||
+ | *薬師堂:本尊は[[薬師如来]]。元禄年間に建立された。現在の堂は1966年(昭和41年)に東山五条の金光院から移築。 | ||
+ | *三重塔:1817年(文化14年)再建。高さ約30m。 | ||
+ | *鎌倉地蔵堂: | ||
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+ | *県井観音堂:本尊は[[如意輪観音]]。 | ||
+ | *新長谷寺:明治の神仏分離で吉田山から移転。 | ||
+ | *阿弥陀如来露仏:木食正禅養阿が建立。 | ||
+ | *[[元真如堂]]:本尊は阿弥陀如来。応仁の乱まで本堂があった旧地という。東三条院藤原詮子の離宮の跡地という。1693年(元禄6年)の復興の後にこの地にも堂宇が建てられた。1830年(天保1年)地震で損傷。1843年(天保14年)に黙旨という尼僧が復興。以後尼寺となる。念仏堂、換骨堂ともいう。 | ||
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2020年4月5日 (日) 時点における版
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、京都府京都市左京区にある阿弥陀信仰の天台宗寺院。真如堂。旧地に元真如堂がある。十夜法要(お十夜)の発祥地とされる。山号は鈴声山。(参考:同名寺院極楽寺)
目次 |
歴史
草創
992年(正暦3年)、戒算が一条天皇生母の東三条院藤原詮子の発願で創建したという。 本尊阿弥陀如来像は元は延暦寺常行堂にあった円仁作の像という。これを神楽岡にあった東三条院の離宮に遷して寺院としたという。 994年(正暦5年)一条天皇の勅願寺となった。 1166年(仁安1年)11月、覚快法親王(1134-1181、青蓮院門跡)が別当となり、1181年(養和1年)11月には慈円が別当となったという。 1323年(元亨3年)、後醍醐天皇が仏舎利奉納。 1379年(天授5年/康暦1年)1月22日焼失。 永享年間(1429-1441)伊勢貞国が真如堂に参籠。夢告を得て十夜法要を始めたという。浄土宗などで行われるのも真如堂の法要を真似たものという。
浄土宗時代
1468年(応仁2年)、応仁の乱の兵火で伽藍を全て失った。 本尊は比叡山黒谷の青龍寺に遷座。ついで坂本宝光院(不詳)に遷座。京都一条などを転々として1484年(文明16年)足利義政から寄進されて旧地に戻った。もともと浄土教の寺院であったことから浄土宗や時宗の僧侶が関与し、やがて浄土宗寺院となった。1503年(文亀3年)上棟式。1521年(大永1年)落慶。浄土宗の団誉玉翁(1460-1521)が関わったのはこの時か。
永禄年間、織田信長の二条城建設で移転となり、一条西洞院に移転。 1587年(天正15年)、豊臣秀吉の都市改造で京極今出川に移転。 1606年(慶長11年)12月15日、本堂の落慶法要が大々的に営まれた。 しかし、1661年(寛文1年)大火で被災。1692年(元禄5年)大火で焼失した。
天台宗に復帰
1693年(元禄6年)、東山天皇の勅願で旧地の西南にあたる現在地に復興した。同時に天台宗寺院に復帰した。 輪王寺宮の末寺となり、青蓮院門跡が寺務を管轄した。 1717年(享保2年)本堂再建(現在の本堂)。 1817年(文化14年)三重塔再建。 (国史大辞典、日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト)
伽藍
- 本堂:本尊は「頭振りの阿弥陀」。1717年(享保2年)再建。
- 開山堂:戒算の墓。
- 元三大師堂:本尊は良源。1696年(元禄9年)建立。
- 薬師堂:本尊は薬師如来。元禄年間に建立された。現在の堂は1966年(昭和41年)に東山五条の金光院から移築。
- 三重塔:1817年(文化14年)再建。高さ約30m。
- 鎌倉地蔵堂:
- 〓枳尼天堂:
- 県井観音堂:本尊は如意輪観音。
- 新長谷寺:明治の神仏分離で吉田山から移転。
- 阿弥陀如来露仏:木食正禅養阿が建立。
- 元真如堂:本尊は阿弥陀如来。応仁の乱まで本堂があった旧地という。東三条院藤原詮子の離宮の跡地という。1693年(元禄6年)の復興の後にこの地にも堂宇が建てられた。1830年(天保1年)地震で損傷。1843年(天保14年)に黙旨という尼僧が復興。以後尼寺となる。念仏堂、換骨堂ともいう。
子院
- 理正院:
- 東陽院:
- 覚円院:
- 吉祥院:
- 法輪院:
- 松林院:
- 喜運院:
- 法伝寺:
- 地蔵庵:
墓地
組織
歴代住職
現在は貫主と称す。
- 1戒算(963-1053)<>:963年(応和3年)生。比叡山に登り天台を学ぶ。のち浄土教に帰依。992年(正暦3年)真正極楽寺を創建。999年(長保1年)、涅槃仏を制作。昼夜問わず、念仏を唱え、浄土経典を講じたという。1053年(天喜1年)1月27日死去。91歳。
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- 22昭淳()<>:室町時代末。1524年(大永4年)『真如堂縁起』を制作。
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- 28尊通()<>:1693年(元禄6年)現在地に移転。復興に尽力する。浄土宗から天台宗に復帰。
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- 48竹内純孝()<>:西村公朝の師。
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- 52清水真澄(1912-1999)<1989-1998>:自坊は真如堂理正院。1912年(大正1年)生。1989年(平成1年)から1998年(平成10年)まで真正極楽寺貫主。1999年(平成11年)2月6日死去。
- 53斎藤真成(1917-2019)<1998-2008>:洋画家。自坊は真如堂東陽院。1917年(大正6年)生。名古屋市出身。1922年(大正11年)真正極楽寺で出家。1940年(昭和15年)龍谷大学文学部仏教学科卒。1943年(昭和18年)東陽院住職。絵を太田喜二郎に師事。1952年(昭和27年)行動美術協会会員。1965年(昭和40年)京都教育大学教授。1998年(平成10年)から2008年(平成20年)まで真正極楽寺貫主。2019年(令和1年)11月19日死去。102歳。
- 54竹内長敬(1928-2018)<2008-2016>:1928年(昭和3年)生。千葉県出身。長福寿寺で得度。竹内純孝の弟子となる。2008年(平成20年)から2016年(平成28年)まで真正極楽寺貫主。2018年(平成30年)6月24日死去。90歳。
- 55奥村慶淳()<2016->: