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良弁旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''良弁'''(ろうべん)(689-773)は、[[東大寺]]を開山した奈良時代の[[南都仏教の人物旧跡|僧侶]]。日本[[華厳宗]]第二祖。相模国の[[漆部氏]]出身とも近江国の[[百済氏]]出身ともいう。若狭出身という説もある。赤子の時に鷲にさらわれ、二月堂前の杉(良弁杉)に置き去りにされたところを[[義淵]]に拾われ、育てられたという伝説がある。義淵に[[法相宗]]を学び、審祥に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。728年(神亀5年)、基親王を弔うために建てられた東大寺前身の[[金鍾山寺]]の僧9人の一人に指名された。740年(天平12年)、金鍾山寺に審祥を招き、日本初の華厳宗の講義を3年間行う。大仏開眼直後の752年(天平勝宝4年)5月1日に初代の東大寺別当となる。[[石山寺]]も開いたとされる。『東大寺要録』などで、金鷲という僧と同一視される。金鷲は『日本霊異記』に登場する僧。墓は[[ | + | '''良弁'''(ろうべん)(689-773)は、[[東大寺]]を開山した奈良時代の[[南都仏教の人物旧跡|僧侶]]。日本[[華厳宗]]第二祖。相模国の[[漆部氏]]出身とも近江国の[[百済氏]]出身ともいう。若狭出身という説もある。赤子の時に鷲にさらわれ、二月堂前の杉(良弁杉)に置き去りにされたところを[[義淵]]に拾われ、育てられたという伝説がある。義淵に[[法相宗]]を学び、審祥に[[華厳宗]]を学ぶが、雑密も学んだ。728年(神亀5年)、基親王を弔うために建てられた東大寺前身の[[金鍾山寺]]の僧9人の一人に指名された。740年(天平12年)、金鍾山寺に審祥を招き、日本初の華厳宗の講義を3年間行う。大仏開眼直後の752年(天平勝宝4年)5月1日に初代の東大寺別当となる。[[石山寺]]も開いたとされる。『東大寺要録』などで、金鷲という僧と同一視される。金鷲は『日本霊異記』に登場する僧。墓は[[大和・開善寺]]跡に伝承地がある。[[東大寺開山堂]]に平安時代の国宝像が祀られている。後世、'''東大寺四聖'''の一人とされる。'''良弁僧正'''。'''金粛菩薩'''('''金鷲菩薩''')。 '''金鷲優婆塞'''。忌日法要を'''良弁忌'''といい、毎年12月16日に東大寺開山堂で行われている。 |
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**[[大山阿夫利神社]] | **[[大山阿夫利神社]] | ||
*[[金勝寺]]:滋賀県栗東市。 | *[[金勝寺]]:滋賀県栗東市。 | ||
- | *[[ | + | *[[近江・常楽寺]]:滋賀県湖南市。 |
- | *[[ | + | *[[近江・長寿寺]]:滋賀県湖南市。阿星山 |
- | *[[ | + | *[[大和・開善寺]]:奈良県宇陀郡曽爾村。良弁の墓所。 |
+ | *[[笠山荒神社]]:奈良県桜井市笠。 | ||
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2018年4月30日 (月) 時点における版
良弁(ろうべん)(689-773)は、東大寺を開山した奈良時代の僧侶。日本華厳宗第二祖。相模国の漆部氏出身とも近江国の百済氏出身ともいう。若狭出身という説もある。赤子の時に鷲にさらわれ、二月堂前の杉(良弁杉)に置き去りにされたところを義淵に拾われ、育てられたという伝説がある。義淵に法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶが、雑密も学んだ。728年(神亀5年)、基親王を弔うために建てられた東大寺前身の金鍾山寺の僧9人の一人に指名された。740年(天平12年)、金鍾山寺に審祥を招き、日本初の華厳宗の講義を3年間行う。大仏開眼直後の752年(天平勝宝4年)5月1日に初代の東大寺別当となる。石山寺も開いたとされる。『東大寺要録』などで、金鷲という僧と同一視される。金鷲は『日本霊異記』に登場する僧。墓は大和・開善寺跡に伝承地がある。東大寺開山堂に平安時代の国宝像が祀られている。後世、東大寺四聖の一人とされる。良弁僧正。金粛菩薩(金鷲菩薩)。 金鷲優婆塞。忌日法要を良弁忌といい、毎年12月16日に東大寺開山堂で行われている。