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良忍旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年9月18日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
良忍(りょうにん)(1072-1132)は、平安時代の天台宗の僧侶。秦氏。大原声明の開祖で、融通念仏宗の開祖とされる。青年期には良仁と称した。聖応大師(聖應大師)、光静房、光乗房。
目次 |
年表
生涯
- 1072年:尾張国知多郡富田荘に誕生。父は秦道武。母は熱田神宮の「頭大宮司」の娘という。
- 1083年:比叡山に入る。東塔檀那院の良賀に師事し、良仁と称する。比叡山東塔の常行堂の堂僧だった。密教を禅仁・永意に、円頓戒を禅仁と観勢に学んだ。
- 1094年(嘉保1年):比叡山を降りた良忍は大原別所に入る。勝林院の永縁、寛誓、尋宴、胆西に声明を習い、天台声明を大成した。
- 1109年(天仁2年):良忍、来迎院と浄蓮華院を創立した。
- 1117年(永久5年):良忍、融通念仏を感得。阿弥陀如来から「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」の偈を授かった(融通念仏縁起)。名帳を持ち、摂津、河内、紀伊を巡遊。
- 1121年2月29日:『三観義私記抄』を記す。
- 1125年:鞍馬寺に参籠して毘沙門天から融通念仏結衆守護の霊告を受けた。鞍馬寺再建の勧進の一環とみられる。
- 1127年:大念仏寺を創建。
- 1132年(長承1年)2月1日:良忍、来迎院で死去。
死後
- 1773年:桃園天皇から聖応大師号を下賜される。
一覧
- 宝珠寺:愛知県東海市富木島町。良忍の生誕地にある。良忍の父の藤原道武が創建したという。
- 正法塚:愛知県東海市富木島町。藤原道武らの墓碑。
- 比叡山東塔 常行堂
- 来迎院
- 来迎院 良忍墓
- 大原・浄蓮華院
- 寂光院
- 四天王寺
- 鞍馬寺
- 杭全神社
- 大念仏寺
- 叡福寺墓
- 勝手神社
- 大原・勝手神社
資料
著書
- 『三観義私記抄』:1121年。覚超『三観義私記』の抄出。
伝記
- 『後拾遺往生伝』「良仁伝」:三善為康著。
- 『三外往生記』「良忍上人伝」:寂蓮著。久安年間成立。「融通念仏」の語の初出。
- 『古今著聞集』「良忍伝」:1254年。
- 『融通念仏縁起』:1314年。
- 『声明源流記』:凝然著。
文献
- 1981『良忍上人の研究』
- 浜田全真「良忍上人と鞍馬寺」
- 岩橋小弥太1941「聖応大師伝資料の一、二に就いて」
- 西口順子「院政期における別所浄土教の考察ー良忍上人伝をめぐって」
- 山口光円「叡山の良忍上人が融通念仏を唱ふ」
- 竹岡芳雄1941「良忍上人と四天王寺」
- 須藤隆仙1957「良忍上人と立信上人、永享年中の鰐口、その他」