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観菩提寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月10日 (土)
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'''観菩提寺'''(かんぼだいじ)は三重県伊賀市にある[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[十一面観音]]。秘仏で33年に一度の開帳。[[東大寺]]実忠が開いたといわれる。通称は'''正月堂'''。[[東大寺二月堂]]の別院ともいわれる。山号は普門山。[[真言宗豊山派]]。[[東大寺関連旧跡]]。 | '''観菩提寺'''(かんぼだいじ)は三重県伊賀市にある[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[十一面観音]]。秘仏で33年に一度の開帳。[[東大寺]]実忠が開いたといわれる。通称は'''正月堂'''。[[東大寺二月堂]]の別院ともいわれる。山号は普門山。[[真言宗豊山派]]。[[東大寺関連旧跡]]。 | ||
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寺伝によると、天平年間に[[聖武天皇]]が伊賀国多羅尾峠の麓に行宮を建設。751年(天平勝宝3年)、実忠がこれを改修して寺院としたという。しかし、一説には聖武天皇や東大寺と結び付ける伝承や正月堂という通称は江戸時代に生まれたものという(日本歴史地名大系)。 | 寺伝によると、天平年間に[[聖武天皇]]が伊賀国多羅尾峠の麓に行宮を建設。751年(天平勝宝3年)、実忠がこれを改修して寺院としたという。しかし、一説には聖武天皇や東大寺と結び付ける伝承や正月堂という通称は江戸時代に生まれたものという(日本歴史地名大系)。 | ||
中世には島ケ原党という武士集団の拠点となり、南朝に仕えたという。元弘年間、鎮守として[[諏訪明神]]を祀った。1692年(元禄5年)、[[大覚寺]]末となる。塔頭として内蔵坊・大門坊(慈眼院)・灯明坊(蓮花院)・円蔵坊(無量院)・西之坊(西光院)・栄存坊があった。近くに[[鵜宮神社]]がある。明治以後、[[長谷寺]]末となる。「観菩提寺古絵図」が残る。(国史大辞典、日本歴史地名大系) | 中世には島ケ原党という武士集団の拠点となり、南朝に仕えたという。元弘年間、鎮守として[[諏訪明神]]を祀った。1692年(元禄5年)、[[大覚寺]]末となる。塔頭として内蔵坊・大門坊(慈眼院)・灯明坊(蓮花院)・円蔵坊(無量院)・西之坊(西光院)・栄存坊があった。近くに[[鵜宮神社]]がある。明治以後、[[長谷寺]]末となる。「観菩提寺古絵図」が残る。(国史大辞典、日本歴史地名大系) | ||
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2024年2月10日 (土) 時点における最新版
観菩提寺(かんぼだいじ)は三重県伊賀市にある南都仏教・真言宗の寺院。本尊は十一面観音。秘仏で33年に一度の開帳。東大寺実忠が開いたといわれる。通称は正月堂。東大寺二月堂の別院ともいわれる。山号は普門山。真言宗豊山派。東大寺関連旧跡。
寺伝によると、天平年間に聖武天皇が伊賀国多羅尾峠の麓に行宮を建設。751年(天平勝宝3年)、実忠がこれを改修して寺院としたという。しかし、一説には聖武天皇や東大寺と結び付ける伝承や正月堂という通称は江戸時代に生まれたものという(日本歴史地名大系)。
中世には島ケ原党という武士集団の拠点となり、南朝に仕えたという。元弘年間、鎮守として諏訪明神を祀った。1692年(元禄5年)、大覚寺末となる。塔頭として内蔵坊・大門坊(慈眼院)・灯明坊(蓮花院)・円蔵坊(無量院)・西之坊(西光院)・栄存坊があった。近くに鵜宮神社がある。明治以後、長谷寺末となる。「観菩提寺古絵図」が残る。(国史大辞典、日本歴史地名大系)