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証誠寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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証誠寺(しょうじょうじ)は、福井県鯖江市にある浄土真宗の本山寺院。大町門徒(三門徒)系統の真宗山元派の本山で、真宗越前四本山(証誠寺・毫摂寺・誠照寺・専照寺)の一つ。寺伝は親鸞の伝説を伝えるが、実質的な開山は戦国時代の道性である。横越(よここし)という地名から、証誠寺を中心とする流派を横越門徒ともいう。江戸時代は、院家の格式を持つ聖護院門跡の末寺だった。證誠寺。横越本山。
歴史
寺伝によれば、越後流罪の途中に親鸞が越前国丹羽郡山元村に立ち寄り、教えを説いた。この時、聴聞した人々が建てたのが、証誠寺の起源という。その後、善鸞や浄如が旧跡を訪ねて説教した。浄如は嘉元2年(1304)8月に後二条天皇から山元山護念院証誠寺の名を賜り、勅願寺となったという。その後、各地を転々としたが、文明7年(1475)3月、道性が現在地の横越に移したという。史実としてはこの道性が創建したと考えられている。 道性は三河出身で、大町門徒開祖である専修寺如導の弟子。本願寺にも接近し、存覚と親交。貞和2年(1346)に存覚が義絶された時には、道性の京都寄宿所に滞在させている。また横越門徒に存覚の名で本尊を下賜するなど、交流は深かったようである。 横越門徒は近江、美濃まで及び、大町門徒系統の中で、最大勢力となった。
歴代住職
- 1:親鸞(1173-1262):
- 2:善鸞(1208-1277):親鸞の子。
- 3:浄如(1236-1311):善鸞の孫。
- 4:鸞如(1265-1342):
- 5:旦応(1319-1398):
- 6:如顕(1364-1445):
- 7:道閑(1386-1466):
- 8:道性(1439-1521):証誠寺を創建。大町門徒開祖如導の弟子。本願寺存覚と親交し、彼が義絶された時には庇護した。
- 9:善秀(善充)(1466-1551):『日本仏教基礎講座』では善透とも。
- 10:善寿(1537-1587):善寿の子の善照が毫摂寺を創建したともいう。
- 11:善教(1523-1600):毫摂寺7世?
- 12:善光(1562-1621):毫摂寺10世?
- 13:善如(1602-1644):
- 14:善岌(1619-1656):毫摂寺6世?
- 15:善養(1636-1708):
- 16:善応(1653-1721):
- 17:善閑(1691-1754):
- 18:善阿(1722-1775):
- 19:善念(1749-1803):
- 20:善超(東溟)(1785-1855):公家小倉見季の次男。今出川家の猶子となる。
- 21:藤原善融(1812-1895):
- 22:藤原善住(1852-1921):
- 23:藤原善瑩(1880-1938):
- 24:藤原善敬(1909-):
- 25:藤原光教(善鷲):専照寺四男
- 26:藤原光教:
(望月『仏教大辞典 付録』、『真宗山元派本山證誠寺史』、『真宗山元派本山證誠寺史』に引く『山元山系統略記』。24代までの生没年は『日本仏教基礎講座』)