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願入寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月15日 (土)

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久米の旧地には[[正念寺]]が残る。
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== 組織 ==
== 組織 ==

2022年1月15日 (土) 時点における最新版

願入寺(がんにゅうじ)は、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町(常陸国鹿島郡)にある浄土真宗寺院。如信旧跡東本願寺連枝御坊真宗大谷派だったが、戦後独立して原始真宗大本山を称す。大網御坊。山号は岩船山。

目次

歴史

親鸞孫の如信が陸奥国白川郡大網(福島県石川郡古殿町竹貫)に創建。孫の3世空如のときに願入寺と名乗ったという。8世如慶のときに那珂東郡小瀬郷大根田(常陸大宮市小瀬)、10世如了のときに那珂東郡菅谷(那珂市菅谷)に、如空のときに久慈東郡久米(常陸太田市久米町)に移転した。

1675年(延宝3年)の15世如高に徳川光圀から現在地を寄進され、移転した(光圀はこの前年に如信の墓所法龍寺を創建している)。 東本願寺14世琢如の次男如晴を迎え、如高の娘と結婚した。 子院として西念寺、正受寺、正安寺、法泉寺、林清寺、西行寺、乗船寺があった。

1864年(元治1年)の天狗党の乱で焼失。1873年(明治6年)仮堂再建。1917年(大正6年)暴風雨で仮堂倒壊。1933年(昭和8年)、大網綱子(のちの大網信照)が本堂再建を発願。1936年(昭和11年)、東本願寺大谷光暢が臨席して地鎮祭。1939年(昭和14年)、上棟式。戦争と住職死去で頓挫するが、1941年(昭和16年)、大網信照が住職継承。1962年(昭和37年)4月11日、本堂再建。この間に真宗大谷派を離脱したようだ。

1996年(平成8年)、石岡市照光寺旧本堂を移築して如信の像を祀る開基堂とした。 覚如の1332年(元弘2年/正慶1年)『二十四輩牒』を蔵する。

久米の旧地には正念寺が残る。

組織

歴代

(境内解説板、真宗年表、安永勘進ほか)

世数 生没年 在職年 略歴
1 如信 1235-1300 善鸞の子。本願寺2世。1300年(正安2年)1月4日死去。66歳。
2 浄如 1265-1340 円芸。如信の三男とも、善鸞の長男(生没年は1236-1311)ともいうが、願入寺では如信三男説か。1265年(文永2年)生。証誠寺を創建したとされる。1340年(興国1年/暦応3年)8月14日死去。76歳。
3 空如 1267-1349 信芸。1267年(文永4年)生。1349年(正平4年/貞和5年)10月25日死去。83歳。
4 如善 1330-1400 聖芸。1330年(元徳2年)生。1400年(応永7年)4月2日死去。71歳。
5 如縁 1351-1412 祐芸。1351年(正平6年/観応2年)生。1412年(応永19年)11月18日死去。62歳。
6 純如 1364-1430 寿芸。1364年(正平19年/貞治3年)生。1430年(永享2年)5月1日死去。67歳。
7 源如 1413-1489 蓮芸。1413年(応永20年)生。1489年(延徳1年)7月19日死去。77歳。
8 如慶 1447-1500 兼清。1447年(文安4年)生。1500年(明応9年)3月5日死去。54歳。
9 如賢 1468-1534 兼乗。1468年(応仁2年)生。1534年(天文3年)9月18日死去。67歳。
10 如了 1500-1570 兼昌。1500年(明応9年)生。1570年(元亀1年)12月7日死去。71歳。
11 如空 1522-1594 兼信。1522年(大永2年)生。1594年(文禄3年)4月28日死去。73歳。
12 如正 1559-1638 兼證。1559年(永禄2年)生。1638年(寛永15年)11月3日死去。80歳。
13 如明 1591-1671 兼空。1591年(天正19年)生。1671年(寛文11年)8月10日死去。81歳。
14 如観 1621-1666 兼栄。1621年(元和7年)生。1666年(寛文6年)2月5日死去。46歳。
15 如高 1643-1697 兼智。1643年(寛永20年)生。1697年(元禄10年)3月27日死去。55歳。
16 如晴 1651-1722 如高の婿養子。東本願寺14世琢如の五男。室は如高の娘で徳川光圀養女の鶴姫。瑛兼。1651年(慶安4年)生。幼名は盈丸。1671年(寛文11年)4月得度。近江赤野井御坊大恩寺住職となりついで願入寺に入る。1722年(享保7年)2月11日死去。72歳。恵明院と号す。隠居後は円窓軒と号す。
如玄 ?-1708 性芸。如晴の子。幼名は良丸。真如の猶子。1700年(元禄13年)11月18日得度し、御連枝となる。2世御連枝の2例目。1708年(宝永5年)早世。護光院と号す。
17 如願 1692-1756 性兼。如晴の次男。真如の猶子。室は守山藩主松平頼貞娘。1692年(元禄5年)生。幼名は安丸。如玄の早世で宝永年間に得度し、御連枝となる。3世御連枝の初例。願入寺相続。1756年(宝暦6年)8月24日(14日とも)死去。65歳。慈航院。
18 如詮 1721-1760 性栄。如願の次男。1721年(享保6年)生。幼名は豊丸。はじめは越後浄興寺に入る。1741年(寛保1年)得度して真晴と称す。願入寺は1738年(元文3年)帰住院(東本願寺18世従如)が後継となる予定だったが取り止めとなり、1742年(寛保2年)真晴が継ぐことを命じられ、御連枝となった。4世の御連枝の初例。諦住院の号と如詮の法号を下付された。1760年(宝暦10年)1月29日(28日とも)死去。40歳。
19 如英 1745-1790 遍雄。如詮の子。室は藩主徳川宗翰娘の嶺姫。1745年(延享2年)生。幼名は豊丸。1761年(宝暦11年)5月6日、院家として得度し、同日願入寺を相続。7日、御連枝末席出仕となる。5世御連枝の初例。1772年(安永1年)常末席ではなく巡座出仕となる。1790年(寛政2年)12月6日死去。46歳。瑞華院と号す。
20 如海 1780-1835 朗芸。室は宍戸藩主松平頼救娘の政。1780年(安永9年)生。1835年(天保6年)7月20日死去。56歳。応信院と号す。
21 如実 1798-1865 朗兼。室は府中藩主松平頼説娘の加治。1798年(寛政10年)生。1865年(慶応1年)1月15日死去。68歳。信順院と号す。
22 如證 1825-1900 大網勝芸。1825年(文政8年)生。1900年(明治33年)10月25日死去。76歳。
23 如兼 1864-1908 大網勝秀。1864年(元治1年)生。1908年(明治41年)9月1日死去。45歳。
24 如弘 1848-1900 大網演照。1848年(嘉永1年)生。1900年(明治33年)10月25日死去。53歳。
25 如照 ?-1966 1941- 大網信照。大網綱子 。尼僧。大網演照の妻。1941年(昭和16年)継承。戦後、真宗大谷派から独立して管長を称す。1966年(昭和41年)3月13日死去。69歳。
26 如現 ?-1972 大網現琇。1972年(昭和47年)3月26日死去。79歳。
27 如鸞 大網義明。
  • 未見「願入寺歴代住持記録」(『帰願寺文書』『福井県史』所収)

参考文献

  • 2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社
  • 国史大辞典
  • 日本歴史地名大系
  • 大洗町を元気にする会『大洗町アーカイブ』[1]
  • 寺西恵然1923『関東聖跡の巡礼』[2]


  • 1956『原始真宗大網門跡如信上人御本廟』
  • 『大網願入寺縁起』
  • 「巌船願入寺記」『大谷遺蹟録』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A1%98%E5%85%A5%E5%AF%BA」より作成

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