|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
チベット仏教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年10月31日 (金)
(?北華) |
(?北華) |
||
| (間の8版分が非表示) | |||
| 126行: | 126行: | ||
*[[色須寺]]:四川省カンゼチベット族自治州石渠県色須鎮。カム地方で最大のゲルク派寺院。ツォンカパの舎利塔がある。Sershul Gompa。 | *[[色須寺]]:四川省カンゼチベット族自治州石渠県色須鎮。カム地方で最大のゲルク派寺院。ツォンカパの舎利塔がある。Sershul Gompa。 | ||
*[[カンゼ寺]]:四川省カンゼチベット族自治州カンゼ県カンゼ鎮。ゲルク派。1642年創建。Kandze Gompa。 | *[[カンゼ寺]]:四川省カンゼチベット族自治州カンゼ県カンゼ鎮。ゲルク派。1642年創建。Kandze Gompa。 | ||
| + | *[[トンコル寺]]:四川省カンゼチベット族自治州カンゼ県。東谷寺。化身ラマのトンコルマンジュシュリーの座所 | ||
*[[チャムチェンチョエコルリン寺]]:四川省カンゼチベット族自治州理塘県。ゲルク派。1580年、ダライラマ5世の発願で創建。理塘寺。長吉春科児寺ng Gonchen | *[[チャムチェンチョエコルリン寺]]:四川省カンゼチベット族自治州理塘県。ゲルク派。1580年、ダライラマ5世の発願で創建。理塘寺。長吉春科児寺ng Gonchen | ||
*[[文成公主廟]]:青海省玉樹チベット族自治州玉樹市結古街道 | *[[文成公主廟]]:青海省玉樹チベット族自治州玉樹市結古街道 | ||
| 235行: | 236行: | ||
===北華=== | ===北華=== | ||
漢民族地域。[[元朝]]がチベット仏教を重用して以来、[[明朝]]、[[清朝]]、中華民国、中華人民共和国の歴代政権が重視した。特にモンゴル民族はチベット仏教を篤く信仰した。元朝の[[神御殿寺]]はチベット仏教様式で建てられた可能性が指摘されている。元朝太廟でもチベット仏教僧による仏事が行われた。これを受けて清朝はチベット仏教をモンゴル民族支配の要とした。多くのチベット仏教寺院が都に建てられたが、官立寺院ばかりであり、漢民族への広がりは限定的だった。 | 漢民族地域。[[元朝]]がチベット仏教を重用して以来、[[明朝]]、[[清朝]]、中華民国、中華人民共和国の歴代政権が重視した。特にモンゴル民族はチベット仏教を篤く信仰した。元朝の[[神御殿寺]]はチベット仏教様式で建てられた可能性が指摘されている。元朝太廟でもチベット仏教僧による仏事が行われた。これを受けて清朝はチベット仏教をモンゴル民族支配の要とした。多くのチベット仏教寺院が都に建てられたが、官立寺院ばかりであり、漢民族への広がりは限定的だった。 | ||
| - | *[[大護国仁王寺]] | + | *[[大護国仁王寺]]:北京市海淀区紫竹院街道。中央民族大学周辺。フビライがパクパとの問答の中で建立の話が出て、1274年、創建。歴代帝師が居所とした。高良河寺、高梁河寺、鎮国仁王寺、西鎮国寺、花園大寺。 |
*大明殿:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により白傘蓋を玉座の上に設置 | *大明殿:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により白傘蓋を玉座の上に設置 | ||
*崇天門:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により金輪を崇天門の右の鉄柱に設置。 | *崇天門:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により金輪を崇天門の右の鉄柱に設置。 | ||
| 241行: | 242行: | ||
*豹房 | *豹房 | ||
*[[大興教寺]] | *[[大興教寺]] | ||
| - | + | *[[北京・普度寺|普度寺]]:北京市東城区東華門街道南池子社区普度寺前巷35号:ゲルク派。建物のみ現存。故宮外八廟の一つ。皇城内の東南、太廟の東に位置する。本尊は大黒天。かつては明代に重華殿、清代初期にドルゴンの睿親王府があった場所で、1694年に王府を廃して大黒天を祀った。1755年、改築。1776年、乾隆帝が「普度寺」と名付けた。本堂には乾隆帝の宸筆の「慈済殿」額がある。清末以降、軍施設や小学校が置かれ、正殿などを残して解体された。2001年から修復が始まり186軒の住民と小学校を移転させた。2005年、北京税務博物館開館。2011年、北京三品美術館開館。古建築として山門(王府時代の遺構とみられる)、正殿、方丈院などが残る。正殿の基壇は明朝の重華殿のものとみられ、建物は満洲族の宮殿の特徴を示し、睿親王府の正殿と推定される。ドルゴン像や「普度寺修繕記」碑がある。瑪哈噶喇廟。(中文ウィキペディア、百度百科など) | |
| - | *[[北京・普度寺|普度寺]] | + | *[[普勝寺]]:北京市東城区東華門街道南池子社区南河沿大街111号:ゲルク派。建物は現存。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つで、北京での滞在所だったという。理藩院直属。元朝の重要な祭祀施設である太乙神壇があった場所で、明代には皇城内に取り込まれ、崇質宮が置かれた。崇質宮は1449年の土木の変で捕まり帰国した正統帝(英宗)が住んだことで知られ、黒瓦殿とも呼ばれた。1651年、順治帝が崇質宮跡に活仏ノモンハンの北京での滞在所として勅建し、「普勝寺」の名を下賜した。1744年、1776年再建。民国時代の1915年(1916年とも)に「欧美同学会」が買い取り、クラブハウスを建て現在まで続く。寺僧は「地安門東板橋火神殿」に移ったという。正殿に祀る火天が本尊で、関帝殿には関帝と観音を祀っていた。山門は三つあり、東側の大門は民国時代のもの。改修されつつも建物の基本的な構造はそのまま残っているという。境内にあった内翰林国史院大学士寧完我撰普勝寺創建記碑(1651年)、工部侍郎励宗万撰普勝寺重修碑(1744年)の二つの石碑は1984年に北京石刻芸術博物館に移された。石達子廟(石韃子廟)の俗称は、石姓のモンゴル人が住んでおり、モンゴル人のことをタタール人(達子)と呼んでいたためという。十達子廟はその転訛か。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/普胜寺]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/清普胜寺创建碑/8949343][https://baike.baidu.com/item/欧美同学会/56335595]、「煩木汗活仏と北京」[http://www.tibetology.ac.cn/2023-12/10/content_42629792.htm]) |
| - | *[[普勝寺]] | + | *[[嵩祝寺]]:北京市東城区景山街道鐘鼓社区北河沿大街25号。ゲルク派。廃絶。建物は現存。活仏チャンキャホトクトの北京での滞在所。皇城内の東北にあった。1711年、康熙帝がチャンキャホトクト2世のために創建。翌1712年、嵩祝寺と称した。1723年、ロブサンダンジンの乱が起こると、雍正帝は青海出兵を行うとともに、空席となっていたチャンキャホトクトの転生者を捜索させ、翌年、チャンキャホトクト3世の坐床式を嵩祝寺で行った。皇太子時代の乾隆帝と共に学び、乾隆帝はチャンキャホトクト3世に仏法を学んだ。1733年、大蔵経の編纂が行われ、嵩祝寺に版木と初版が保管されたため、「嵩祝寺版」とも呼ばれた。1734年伽藍修復増築。同1734年、東隣に法淵寺が創建された。1774年までには西隣に智珠寺も成立。1900年の義和団事変で、八カ国連合軍の略奪を受けた。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、嵩祝寺はゴム工場となった。その後、様々な企業に利用された。1995年に修復が行われた。2013年には古建築の一部が高級飲食店に利用されていたことが問題視された。大雄宝殿、玉座殿、玉座殿、経堂、東北院北房の建築が現存。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/zh-cn/嵩祝寺]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/嵩祝寺/6205817]) |
| - | *[[嵩祝寺]] | + | *[[智珠寺]]:北京市東城区景山街道鐘鼓社区嵩祝院23号:ゲルク派。廃絶。建物は現存。嵩祝寺の西側に位置する。『乾隆京城全図』に記載がなく、『欽定日下旧聞考』に記載されていることから1761年から1774年の間に創建されたとみられている。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、智珠寺は金漆象嵌工場となった。その後も様々な工場となった。1960年代、正殿で火災があり、建物は損傷。2012年に修復が行われた。2013年には古建築の一部が高級飲食店に利用されていたことが問題視された。山門、天王殿、正殿、浄身殿などが残る。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/智珠寺]) |
| - | *[[智珠寺]] | + | *[[法淵寺]]:北京市東城区景山街道鐘鼓社区嵩祝院。ゲルク派。廃絶。嵩祝寺の東に位置する。明朝時代の番経廠を1734年に改築して創建。番経廠は官立経典印刷所で、チベット仏教で用いるチベット語、モンゴル語、サンスクリット語版を制作した。番経廠の南には漢経廠があった。1784年、乾隆帝が大修復を行った。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、法淵寺は綿花工場などに使用された。1970年代にはテレビ工場が建設され、法淵寺の建物は全て解体された。現在は中国進出口銀行北京支店ビルがある。1784年修復時の乾隆帝御製碑が五塔寺の北京石刻美術館に移転して現存する。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/zh-tw/法渊寺]) |
| - | *[[法淵寺]] | + | *[[雍和宮]]:北京市東城区北新橋街道雍和宮大街。[[重点寺院]]。ゲルク派、現存。南隣に国子監、東南に柏林寺、西側に北京孔廟、北方には地壇がある。即位前の雍正帝(1678-1735)<1723-1735>が宮邸とした雍親王府が前身。1694年に建てられた。雍正帝が即位した1723年、宮邸の半分をチベット仏教寺院とし、残りの半分を行宮として残した。この時、雍和宮と改称した。文化大革命で北京のチベット仏教寺院で唯一破壊を免れた。 |
| - | *[[雍和宮]] | + | *[[北京福祥・弘仁寺|弘仁寺]]:北京市東城区交道口街道福祥社区福祥胡同。ゲルク派。廃絶。建物は一部現存。明朝の1436年、武姓の宦官が英宗の祝寿のために家屋を寄進して寺を創建。「福祥寺」の額を下賜された。1496年、御馬監諸珰が再建。1498年、「勅賜福祥寺改築山門碑記」碑建立。1508年再建。1592年、「名僧録司左覚義守愚公司会福祥寺序」碑建立。1613年に再建。「再修福祥寺碑記」碑建立。1724年、賽赤活仏(セルティリンポチェ、噶勒丹錫埒図呼図克図、ガルダン・シラトゥ・フトクト)が北京に使節を派遣し、福祥寺を購入し、チベット仏教寺院となり、弘仁寺と改称した。中華人民共和国成立後、石炭屋や民家となった。1976年の唐山地震で被災。山門や天王殿が現存するが、傷みは著しいという。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/弘仁寺_(北京福祥胡同)]) |
| - | *[[北京福祥・弘仁寺]] | + | |
*[[大隆福寺]]:北京市東城区隆福寺街。西廟隆善寺に対して東廟という。ゲルク派。廃絶。隆福寺。明朝の景泰3年(1452年)6月、景泰帝の勅命で元代の東崇国寺(南崇国寺)の跡地に創建。翌年3月、竣工。1456年1月、イスラム教の速来蠻が乱入して斧を振り回して僧侶を殺し、仏殿に放火して経典を焼いたという[https://dl.ndl.go.jp/pid/2978788/1/29?keyword=大隆福寺]。1574年、日本から遣明使として渡明していた臨済宗の策彦周良(1501-1579、のち恵林寺住職)が参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/4422675/1/5]。清朝の雍正元年(1723年)に再建。乾隆9年(1744年)、雍和宮の属寺となり、チベット仏教寺院となった。1901年10月22日火災。の鐘楼、鼓楼、韋駄殿、大雄宝殿が焼失。1950年末、宗教活動を終える。1952年、隆福寺会が開かれる。1976年、唐山地震を受けて残りの建物が解体された。 | *[[大隆福寺]]:北京市東城区隆福寺街。西廟隆善寺に対して東廟という。ゲルク派。廃絶。隆福寺。明朝の景泰3年(1452年)6月、景泰帝の勅命で元代の東崇国寺(南崇国寺)の跡地に創建。翌年3月、竣工。1456年1月、イスラム教の速来蠻が乱入して斧を振り回して僧侶を殺し、仏殿に放火して経典を焼いたという[https://dl.ndl.go.jp/pid/2978788/1/29?keyword=大隆福寺]。1574年、日本から遣明使として渡明していた臨済宗の策彦周良(1501-1579、のち恵林寺住職)が参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/4422675/1/5]。清朝の雍正元年(1723年)に再建。乾隆9年(1744年)、雍和宮の属寺となり、チベット仏教寺院となった。1901年10月22日火災。の鐘楼、鼓楼、韋駄殿、大雄宝殿が焼失。1950年末、宗教活動を終える。1952年、隆福寺会が開かれる。1976年、唐山地震を受けて残りの建物が解体された。 | ||
| - | |||
| - | |||
*[[資福院]]:北京市東城区徳勝街道什坊街。ゲルク派。廃絶。双黄寺の北西に位置した。1721年、ジェプツンダンバホトクトが康熙帝の許可を得て創建。資福院の名が下賜された。十方院、什坊院。 | *[[資福院]]:北京市東城区徳勝街道什坊街。ゲルク派。廃絶。双黄寺の北西に位置した。1721年、ジェプツンダンバホトクトが康熙帝の許可を得て創建。資福院の名が下賜された。十方院、什坊院。 | ||
| + | *[[北京・慧照寺]]:北京市東城区東直門内北門倉胡同。廃絶。1900年の義和団事変以降、治外法権の東交民巷エリアに入った。1940年代までは活動を続けていた。 | ||
*[[北京・永安寺|永安寺]]:北京市西城区什刹海街道景山社区北海公園。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つ。理藩院直属。北海白塔、白塔寺とも。紫禁城の北西の庭園内の瓊華島にある。風光明媚な立地から遼代から宮殿が建てられた。1651年、活仏ノモンハンが創建し、白塔寺と称した。1653年に白塔信砲を設置。白塔は1679年7月28日地震で損傷。1681年再建。1730年8月29日に地震で損傷し、1732年までに解体修理された。1741年、永安寺と改称。瓊華島周辺の大規模な造営が始まる。1743年、乾隆帝は時輪殿、鐘楼、鼓楼、山門を建立。1751年、善因殿、引勝亭、滌靄亭などを増築した。1767年、乾隆帝はチャンキャホトクト3世に天女施食を行うことを命じた。1780年9月14日、パンチェンラマ6世は永安寺に参拝して白塔に登って祈祷した。1915年、北海公園となり開放された。1964年、白塔修復。1976年7月28日の唐山地震で白塔損傷。翌年修理。1993年、白塔を含む永安寺全体を修復。毎年旧暦10月25日(燃灯節)に「白塔燃灯」が行われていた。積翠牌楼を超え、永安橋を渡ると堆雲牌楼と山門(四天王を祀る)があり、潜ると第一の主殿である法輪殿がある。法輪殿には釈迦、八大菩薩(文殊、普賢、金剛手、地蔵、除蓋障、観世音、虚空蔵、弥勒)、十八羅漢を祀り、「慈雲覚海」、「人天調御」の額がある。前庭の東西には鐘鼓楼がある。背後の石段を登ると龍光紫照牌坊があり、東西に碑亭がある。東の引勝亭には漢満蒙蔵の四言語で書かれた乾隆帝宸筆「白塔山総記」碑(1774年)があり、西の滌靄亭には乾隆帝宸筆「白塔山四面記」碑がある。引勝亭の裏には崑崙石と呼ばれる石碑があり、乾隆帝の三つの詩が刻まれる。滌靄亭の裏には「岳雲」石があり、やはり詩を刻む。正覚殿に登る階段の両脇には三つずつの洞窟があり、内部でつながっており、楞伽窟と呼ばれる。釈迦像を主尊に十大羅漢と弥勒と薬師の石仏(これらは破壊され新造されたもの)がある。正覚殿は第二の主殿といわれるが、創建時の山門で、漢伝仏教スタイルの弥勒と韋駄天を正面と背面に祀り、壁面にチベット仏教式の四天王を描く。正覚殿の前方の東西には雲依亭と意遠亭がある。普安殿の手前の東西には聖果殿と宗境殿があり宝物や仏画などが展示されている(日下旧聞考では名称が東西逆になっている)。第三の主殿の普安殿にはツォンカパとダライラマ(賈曹傑とも)、パンチェンラマ、護法尊八尊(文殊菩薩、白傘蓋仏頂、獅子面仏母、吉祥天女、勝楽金剛、無量寿仏、緑度母、黒怒母)を祀り、「慧根円相」と「如如不動」の額がある。丘の頂上への階段を登ると白塔があり、手前には善因殿がある。善因殿は天円地方を象徴するドーム型の屋根を持ち、瑠璃レンガの外壁には455体の仏像(1980年代の復元)が並ぶ。内部には銅造の大威徳金剛(1990年頃の復元)が祀られ、「鎮海仏」とも呼ばれる。白塔は高さ約36mで、塔基、塔身、相輪、宝頂の四つの部分で構成。レンガ、石、木材で作られている。塔身の正面に時輪金剛呪(十相自在図)の図様を刻む。普安殿の西側には別区画があり、皇帝の休憩所である悦心殿、静憩軒、慶霄楼、擷秀亭がある。このほか、転角房、順山房もあるらしい。寺の東の慧日亭のそばには1651年の「建塔諸臣恭紀碑」と1731年の「重修白塔碑」もある。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/北海公园]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/永安寺/7380920][https://baike.baidu.com/item/永安寺白塔/63365113]、「煩木汗活仏と北京」[http://www.tibetology.ac.cn/2023-12/10/content_42629792.htm]、以若求若「北京北海公園の1ー永安寺」[https://zhuanlan.zhihu.com/p/381626037]など) | *[[北京・永安寺|永安寺]]:北京市西城区什刹海街道景山社区北海公園。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つ。理藩院直属。北海白塔、白塔寺とも。紫禁城の北西の庭園内の瓊華島にある。風光明媚な立地から遼代から宮殿が建てられた。1651年、活仏ノモンハンが創建し、白塔寺と称した。1653年に白塔信砲を設置。白塔は1679年7月28日地震で損傷。1681年再建。1730年8月29日に地震で損傷し、1732年までに解体修理された。1741年、永安寺と改称。瓊華島周辺の大規模な造営が始まる。1743年、乾隆帝は時輪殿、鐘楼、鼓楼、山門を建立。1751年、善因殿、引勝亭、滌靄亭などを増築した。1767年、乾隆帝はチャンキャホトクト3世に天女施食を行うことを命じた。1780年9月14日、パンチェンラマ6世は永安寺に参拝して白塔に登って祈祷した。1915年、北海公園となり開放された。1964年、白塔修復。1976年7月28日の唐山地震で白塔損傷。翌年修理。1993年、白塔を含む永安寺全体を修復。毎年旧暦10月25日(燃灯節)に「白塔燃灯」が行われていた。積翠牌楼を超え、永安橋を渡ると堆雲牌楼と山門(四天王を祀る)があり、潜ると第一の主殿である法輪殿がある。法輪殿には釈迦、八大菩薩(文殊、普賢、金剛手、地蔵、除蓋障、観世音、虚空蔵、弥勒)、十八羅漢を祀り、「慈雲覚海」、「人天調御」の額がある。前庭の東西には鐘鼓楼がある。背後の石段を登ると龍光紫照牌坊があり、東西に碑亭がある。東の引勝亭には漢満蒙蔵の四言語で書かれた乾隆帝宸筆「白塔山総記」碑(1774年)があり、西の滌靄亭には乾隆帝宸筆「白塔山四面記」碑がある。引勝亭の裏には崑崙石と呼ばれる石碑があり、乾隆帝の三つの詩が刻まれる。滌靄亭の裏には「岳雲」石があり、やはり詩を刻む。正覚殿に登る階段の両脇には三つずつの洞窟があり、内部でつながっており、楞伽窟と呼ばれる。釈迦像を主尊に十大羅漢と弥勒と薬師の石仏(これらは破壊され新造されたもの)がある。正覚殿は第二の主殿といわれるが、創建時の山門で、漢伝仏教スタイルの弥勒と韋駄天を正面と背面に祀り、壁面にチベット仏教式の四天王を描く。正覚殿の前方の東西には雲依亭と意遠亭がある。普安殿の手前の東西には聖果殿と宗境殿があり宝物や仏画などが展示されている(日下旧聞考では名称が東西逆になっている)。第三の主殿の普安殿にはツォンカパとダライラマ(賈曹傑とも)、パンチェンラマ、護法尊八尊(文殊菩薩、白傘蓋仏頂、獅子面仏母、吉祥天女、勝楽金剛、無量寿仏、緑度母、黒怒母)を祀り、「慧根円相」と「如如不動」の額がある。丘の頂上への階段を登ると白塔があり、手前には善因殿がある。善因殿は天円地方を象徴するドーム型の屋根を持ち、瑠璃レンガの外壁には455体の仏像(1980年代の復元)が並ぶ。内部には銅造の大威徳金剛(1990年頃の復元)が祀られ、「鎮海仏」とも呼ばれる。白塔は高さ約36mで、塔基、塔身、相輪、宝頂の四つの部分で構成。レンガ、石、木材で作られている。塔身の正面に時輪金剛呪(十相自在図)の図様を刻む。普安殿の西側には別区画があり、皇帝の休憩所である悦心殿、静憩軒、慶霄楼、擷秀亭がある。このほか、転角房、順山房もあるらしい。寺の東の慧日亭のそばには1651年の「建塔諸臣恭紀碑」と1731年の「重修白塔碑」もある。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/北海公园]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/永安寺/7380920][https://baike.baidu.com/item/永安寺白塔/63365113]、「煩木汗活仏と北京」[http://www.tibetology.ac.cn/2023-12/10/content_42629792.htm]、以若求若「北京北海公園の1ー永安寺」[https://zhuanlan.zhihu.com/p/381626037]など) | ||
*[[北京・大慈恩寺]]:北京市西城区什刹海街道毡子胡同。明朝の北京のチベット仏教寺院の首位だった。廃絶。別名は海印寺。元代初頭に海印寺として創建。明代の1429年に再建され、「大慈恩寺」と改称した[https://dl.ndl.go.jp/pid/3102905/1/159?keyword=慈恩寺]。1414年、来訪したネパール僧を居住させた。1421年、永楽帝、南京から北京に遷都。1434年頃、ツォンカパの弟子でジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー([[セラ寺]]開山)が北京に滞在。その場所が一説には大慈恩寺だという。明朝にチベット仏教僧の最高位の「法王」「西天仏子」の位を授けられた36人のうち10人が大慈恩寺の僧だった[https://dl.ndl.go.jp/pid/7948488/1/63?keyword=慈恩寺]。景泰7年(1456年)、大慈恩寺僧のソェナムシェラプ(鎖南釈刺)が灌頂大国師から西天仏子に昇進。成化3年(1467年)までに、大慈恩寺僧のタシーペル(剳実巴)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化4年(1468年)に西天仏子大国師へ、同年、大応法王に昇進。成化10年(1474年)までに、大慈恩寺僧のトェントゥプイシー(端竹也失)が国師から仏子に昇進。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のションヌゥペンデン(乳奴班丹)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化20年(1484年)西天仏子から法王。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のタシーギャムツォ(剳実堅剉)が西天仏子となり、成化20年(1484年)法王に昇進。成化22年(1486年)までに大慈恩寺僧のシェラプキ(捨剌吉)が西天仏子に昇進。成化22年(1486年)、大慈恩寺僧のセンゲサンポ(星吉蔵ト)が西天仏子に昇進。正徳5年(1510年)4月、大慈恩寺僧のションヌゥリンチェン(乳奴領占)が西天仏子となり、同年6月、法王に昇進。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプギェル(拾剌扎)が仏子となり、同年法王に昇格。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプセンゲ(拾剌星吉)が仏子となり、正徳7年(1512年)以前に西天仏子となる。1540年4月29日、日本から遣明副使として渡明していた[[臨済宗]]の策彦周良(1501-1579、のち[[恵林寺]]住職)が大慈恩寺を参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/4422675/1/5?keyword=大慈恩寺]。嘉靖22年(1543年)3月、道教を重視し、仏教統制を強める嘉靖帝は、大慈恩寺を壊し、僧侶を別の場所に移すように命じた。ほとんどは解体されたが、景光閣という建物は残っていたらしい。この建物も後年解体された。1550年、庚戌の変で北京が攻められた時、跡地の空き地が市民の避難場所に指定された。 | *[[北京・大慈恩寺]]:北京市西城区什刹海街道毡子胡同。明朝の北京のチベット仏教寺院の首位だった。廃絶。別名は海印寺。元代初頭に海印寺として創建。明代の1429年に再建され、「大慈恩寺」と改称した[https://dl.ndl.go.jp/pid/3102905/1/159?keyword=慈恩寺]。1414年、来訪したネパール僧を居住させた。1421年、永楽帝、南京から北京に遷都。1434年頃、ツォンカパの弟子でジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー([[セラ寺]]開山)が北京に滞在。その場所が一説には大慈恩寺だという。明朝にチベット仏教僧の最高位の「法王」「西天仏子」の位を授けられた36人のうち10人が大慈恩寺の僧だった[https://dl.ndl.go.jp/pid/7948488/1/63?keyword=慈恩寺]。景泰7年(1456年)、大慈恩寺僧のソェナムシェラプ(鎖南釈刺)が灌頂大国師から西天仏子に昇進。成化3年(1467年)までに、大慈恩寺僧のタシーペル(剳実巴)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化4年(1468年)に西天仏子大国師へ、同年、大応法王に昇進。成化10年(1474年)までに、大慈恩寺僧のトェントゥプイシー(端竹也失)が国師から仏子に昇進。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のションヌゥペンデン(乳奴班丹)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化20年(1484年)西天仏子から法王。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のタシーギャムツォ(剳実堅剉)が西天仏子となり、成化20年(1484年)法王に昇進。成化22年(1486年)までに大慈恩寺僧のシェラプキ(捨剌吉)が西天仏子に昇進。成化22年(1486年)、大慈恩寺僧のセンゲサンポ(星吉蔵ト)が西天仏子に昇進。正徳5年(1510年)4月、大慈恩寺僧のションヌゥリンチェン(乳奴領占)が西天仏子となり、同年6月、法王に昇進。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプギェル(拾剌扎)が仏子となり、同年法王に昇格。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプセンゲ(拾剌星吉)が仏子となり、正徳7年(1512年)以前に西天仏子となる。1540年4月29日、日本から遣明副使として渡明していた[[臨済宗]]の策彦周良(1501-1579、のち[[恵林寺]]住職)が大慈恩寺を参拝[https://dl.ndl.go.jp/pid/4422675/1/5?keyword=大慈恩寺]。嘉靖22年(1543年)3月、道教を重視し、仏教統制を強める嘉靖帝は、大慈恩寺を壊し、僧侶を別の場所に移すように命じた。ほとんどは解体されたが、景光閣という建物は残っていたらしい。この建物も後年解体された。1550年、庚戌の変で北京が攻められた時、跡地の空き地が市民の避難場所に指定された。 | ||
| 259行: | 258行: | ||
*[[闡福寺]]:北京市西城区什刹海街道。皇城内の北海の北側に位置する。1746年、乾隆帝生母の崇慶太后の命で創建。[[河北・隆興寺]]を模して建てられたという。千手千眼大白傘蓋仏母像を祀った。明代の太素殿の跡地に建てられた。1900年、義和団事変で連合国軍に略奪された。1919年に大仏殿焼失。一部残る | *[[闡福寺]]:北京市西城区什刹海街道。皇城内の北海の北側に位置する。1746年、乾隆帝生母の崇慶太后の命で創建。[[河北・隆興寺]]を模して建てられたという。千手千眼大白傘蓋仏母像を祀った。明代の太素殿の跡地に建てられた。1900年、義和団事変で連合国軍に略奪された。1919年に大仏殿焼失。一部残る | ||
*[[大隆善護国寺]]:北京市西城区護国寺街。東廟隆福寺に対して西廟という。金閣寺、大崇国寺、崇国寺、崇国北寺、大隆善寺、護国寺。 | *[[大隆善護国寺]]:北京市西城区護国寺街。東廟隆福寺に対して西廟という。金閣寺、大崇国寺、崇国寺、崇国北寺、大隆善寺、護国寺。 | ||
| - | *[[北京・妙応寺]] | + | *[[北京・妙応寺]]:北京市西城区新街口街道安平巷社区阜成門内大街。大聖寿万安寺。通称は白塔寺。 |
| + | *[[同福寺]]:北京市西城区新街口街道北順社区北玉带胡同。廃絶。1725年に勅願で創建。 | ||
| + | *[[嘛哈伽喇寺]]:北京市西城区護国寺街。廃絶。大隆善護国寺の裏にあった。1940年代までは活動を続けていた。 | ||
| + | *[[長泰寺]]:北京市西城区徳勝街道。廃絶。 | ||
| + | *[[福佑寺]]:北京市西城区西長安街街道。廃絶。故宮外八廟の一つ。雨神廟として建てられ、乾隆帝がチベット仏教寺院に改めた。1786年、ジャンジャホトクトの管轄下に入った。毛沢東は福佑寺で「平民通信社」を設立。パンチェンラマの事務所が置かれたことがある。 | ||
| + | *[[東黄寺]]:北京市朝陽区安貞街道黄寺社区。廃絶。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つ。理藩院直属。正殿は巨大な建築だった。活仏ミンドゥロ・フトクト(敏珠爾活仏)の北京での滞在所。前身の普浄禅林を改修して1651年に創建。1652年12月16日ダライラマ5世は北京に到着し、東黄寺に迎え、翌日西黄寺に移った。1694年、康熙帝が再建。「大乗宝殿」額を下賜。1734年、活仏ミンドゥロ・フトクト2世は北京駐在僧に任命されたため東黄寺に入った。以後、同活仏の滞在所となった。1860年、アロー戦争での英仏連合軍の北京侵攻で東黄寺、西黄寺が破壊された。1900年、義和団事変の8カ国連合軍の北京占領で略奪が行われた。1958年、東西黄寺は荒廃を理由に取り壊された。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/东黄寺]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/黄寺/355970]、「煩木汗活仏と北京」[http://www.tibetology.ac.cn/2023-12/10/content_42629792.htm]) | ||
| + | *[[西黄寺]]:北京市朝陽区安貞街道黄寺社区黄寺大街11号。[[重点寺院]]ゲルク派。ダライラマとパンチェンラマの北京での滞在所。東側の「達来喇嘛廟」(本来の西黄寺)と西側の「清浄化城塔院」(パンチェンラマ6世の塔所)の二つの区画で構成されていたが、清浄化城塔院の区画のみ現存する。遼金時代にあった「彙宗梵宇」という寺院の跡地であり、東黄寺の西側に当たる。1651年、順治帝は大臣をチベットに派遣してダライラマ5世を北京に招聘して会談した。翌1652年にも12月16日ダライラマは北京に到着し、東黄寺に迎え、翌日、西黄寺に移り、5カ月ほど滞在してチベットに帰った。以後、ダライラマの使者がたびたび滞在した。1723年、修復。1771年、朝廷により再建。1780年、乾隆帝が「彙宗梵宇」額を下賜。同年7月22日、パンチェンラマ6世は熱河避暑山荘に招かれ、乾隆帝の70歳の天長節の祝賀に出席。これに合わせて熱河にタシルンポ寺を模した須弥福寿之廟が建てられた。9月、乾隆帝はパンチェンラマ6世を北京に招き、西黄寺に迎えた。ところが10月29日、天然痘にかかり発病。11月2日死去。そのため、乾隆帝は丁寧に追悼し、翌1781年2月13日の舎利のチベット出発時には西黄寺に行幸して自ら焼香した。1782年、寺の西に「清浄化城塔院」を設け、清浄化城塔を建ててパンチェンラマ6世の衣冠を納め、「清浄城塔記」を記して弔った。1860年、アロー戦争での英仏連合軍の北京侵攻で東黄寺、西黄寺が破壊された。1900年、義和団事変の8カ国連合軍の北京占領で略奪が行われた。1903年、イギリスのチベット侵攻が勃発し、1908年9月4日、光緒帝はダライラマ13世を北京に招き、西黄寺に滞在させた。ダライラマはチベット救援を訴えたが清朝は動かなかった。10月、光緒帝と慈禧太后が相次いで崩御。西黄寺などで追悼法会を行った。11月28日に北京を離れたが滞在中、各国公使や各民族の仏教徒が西黄寺に出入りし集まり、交流を持った。1924年、清浄化城塔院の正殿を再建。1925年2月20日、パンチェンラマ9世はチベットを逃れて民国政府を頼り、北京に入った。1927年、福佑寺に事務所を設置し、1928年、清浄化城塔院を修復した。以後、民国時代は清浄化城塔院と西黄寺は別に運営された。日中戦争で被害を受けたが活動は存続。戦後、中華人民共和国の成立で北京市人民政府の管理下となり、1952年に清浄化城塔院を修復。1954年にはパンチェンラマ10世が第1回全国人民代表大会に出席の合間に清浄化城塔を参拝。しかし1958年、東西黄寺は荒廃を理由に取り壊され、清浄化城塔院のみが残った。1983年、西黄寺(清浄化城塔院)が重点寺院となる。1987年9月1日、パンチェンラマ10世と趙朴初の提案で中国チベット語系高級仏学院が西黄寺に設立された。2008年8月31日、修復。2018年5月18日、西黄寺博物館を開設。中国共産党中央統一戦線部の管理下にある。(中文ウィキペディア[https://zh.wikipedia.org/wiki/西黃寺]、百度百科[https://baike.baidu.com/item/西黄寺/7218344]ほか) | ||
| + | *[[北京・化成寺]]:北京市朝陽区。廃絶。1900年の義和団事変以降、治外法権の東交民巷エリアに入った。1940年代までは活動を続けていた。 | ||
| + | *[[北京・浄住寺]]:北京市朝陽区朝外街道浄住胡同。廃絶。1645年、明代の古刹を修復して創建。1721年、外モンゴルの王公により無量寿仏を供養し、康熙帝から寺額を下賜。1766年修復。1940年代までは活動を続けていた。跡地に悠唐生活広場がある。 | ||
| + | *[[北京・三宝寺]]:北京市朝陽区朝外街道朝外四条。廃絶。新寺と呼ばれた。創建不詳。1737年に修復。1919年、修復。1933年修復。1995年、寺を含む朝外四条は全て取り壊された。跡地には泛利ビルがある。 | ||
| + | *[[北京・三仏寺]]:北京市朝陽区朝外街道三豊胡同。廃絶。清朝の順治初年の創建。1649年、阿旺扎穆揚胡図克図の座所とされた。1774年の修繕記録が史料に残る。1956年解体。 | ||
*[[徳寿寺]]:北京市大興区旧宮地区。南苑内の旧衙門行宮に併設された。。廃絶。ゲルク派。1652年、順治帝はダライラマ5世を北京に招いた。度重なる折衝の結果、ダライラマ5世を迎える際、順治帝が狩に出たところ出会ったという形を取った。1658年、順治帝はこの邂逅の場所に建てたのが徳寿寺だった。1755年、火災で焼失。翌年再建。乾隆帝は何度も徳寿寺を訪れた。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、乾隆帝は徳寿寺の中に御殿を整備して接待した。民国時代に破壊された。東西碑のみ残る。 | *[[徳寿寺]]:北京市大興区旧宮地区。南苑内の旧衙門行宮に併設された。。廃絶。ゲルク派。1652年、順治帝はダライラマ5世を北京に招いた。度重なる折衝の結果、ダライラマ5世を迎える際、順治帝が狩に出たところ出会ったという形を取った。1658年、順治帝はこの邂逅の場所に建てたのが徳寿寺だった。1755年、火災で焼失。翌年再建。乾隆帝は何度も徳寿寺を訪れた。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、乾隆帝は徳寿寺の中に御殿を整備して接待した。民国時代に破壊された。東西碑のみ残る。 | ||
*[[永慕寺]]:北京市大興区旧宮地区。廃絶。南苑内の旧衙門行宮に併設された。徳寿寺の西に当たる。1691年、太皇太后の誕生日を祝うために創建。1764年に再建。 | *[[永慕寺]]:北京市大興区旧宮地区。廃絶。南苑内の旧衙門行宮に併設された。徳寿寺の西に当たる。1691年、太皇太后の誕生日を祝うために創建。1764年に再建。 | ||
*[[広通寺]]:北京市海淀区北下関街道。廃絶。北京外八剎の一つ。元朝に建てられた法王寺が前身。1712年再建し、康熙帝が広通寺の名を下賜した。1733年再建。清代は民間チベット仏教寺院だったという。 | *[[広通寺]]:北京市海淀区北下関街道。廃絶。北京外八剎の一つ。元朝に建てられた法王寺が前身。1712年再建し、康熙帝が広通寺の名を下賜した。1733年再建。清代は民間チベット仏教寺院だったという。 | ||
*[[宗鏡大昭之廟]]:北京市海淀区香山公園。ゲルク派。廃絶。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、宗鏡大昭之廟を建てて滞在所とした。1860年10月、アロー戦争、1900年、義和団事変で掠奪破壊された。2012年9月29日、修復。昭廟。 | *[[宗鏡大昭之廟]]:北京市海淀区香山公園。ゲルク派。廃絶。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、宗鏡大昭之廟を建てて滞在所とした。1860年10月、アロー戦争、1900年、義和団事変で掠奪破壊された。2012年9月29日、修復。昭廟。 | ||
| - | + | *[[香山宝諦寺]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。1751年創建。香山のチベット仏教寺院群の中心。五台山の菩提頂を模したという。義和団事変で連合国軍に破壊された。石牌坊の残骸が残るという。 | |
| - | + | *[[香山宝相寺]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。1762年創建。五台山殊像寺を模した。香山宝諦寺の西にある。義和団事変で連合国軍に破壊された。旭華之閣、御制碑が残る。 | |
| + | *[[香山長齢寺]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。香山梵香寺の後ろにあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。 | ||
| + | *[[香山方円廟]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。1762年創建。方廟と円廟で構成。宝相寺の西にあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。 | ||
| + | *[[香山梵香寺]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。1749年創建。香山宝相寺の東にあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。来遠斎(通称「松堂」)が残る。 | ||
| + | *[[香山実勝寺]]:北京市海淀区香山街道。廃絶。表忠寺(通称鮑家寺)が前身で大小金川の戦いの戦勝記念で1749年に乾隆帝により実勝寺として再興された。義和団事変で連合国軍に破壊された。「勅建実勝寺碑記」の碑亭が残るという。 | ||
| + | *[[大報恩延寿寺]]:北京市海淀区青龍橋街道。頤和園(清漪園)内にある。1750年、乾隆帝が崇慶皇太后の60歳の誕生日を祝うために円静寺跡地に創建。1860年、アロー戦争で多くの伽藍が焼失。跡地には遺構を生かして庭園建物が建てられた。再建された仏香閣には千手観音を祀る。 | ||
| + | *[[円明園正覚寺]]:北京市海淀区青龍橋街道。離宮円明園の中にある。廃絶。1773年10月、創建。1860年、円明園はアロー戦争で略奪され、1900年、義和団事変で連合軍に破壊された。円明園の中で正覚寺は比較的に被害を免れた。民国時代に顔恵慶に購入され、寺院としては廃絶した。2002年から当局による修復再建を開始し、2011年に竣工。2023年、博物館として開館した。新正覚寺。 | ||
| + | *[[功徳寺]]:北京市海淀区万柳地区功徳寺社区。元朝の勅建寺院。神御殿寺。大承天護聖寺。西湖寺。跡地には海淀区学校物流管理センターがある。 | ||
| + | *[[慈度寺]]:北京市海淀区花園路街道冠城園社区。廃絶。俗称は前黒寺。1926年に略奪放火される。海淀区民族小学校などがある。 | ||
| + | *[[察罕喇嘛廟]]:北京市海淀区花園路街道冠城園社区。廃絶。1645年創建。俗称は後黒寺、馬甸黒寺。大清古刹。 | ||
| + | *[[聖化寺]]:北京市海淀区巴溝。廃絶。康熙年間、庭園とともに造営され、聖化寺園と呼ばれた。1767年、大規模な増築が行われた。アロー戦争と義和団事件で破壊された。通称は喇嘛廟。 | ||
| + | *[[慈佑寺]]:北京市海淀区挂甲屯。西苑内。廃絶。1940年代までは活動を続けていた。 | ||
*[[五台山]]:山西省忻州市五台県台懐鎮にある、文殊菩薩の霊山。中国仏教四大霊山の一つ。100あまりの寺院がある。清涼山ともいう。ダライ・ラマ13世が清末に訪れている。 | *[[五台山]]:山西省忻州市五台県台懐鎮にある、文殊菩薩の霊山。中国仏教四大霊山の一つ。100あまりの寺院がある。清涼山ともいう。ダライ・ラマ13世が清末に訪れている。 | ||
**[[塔院寺]]:五台山の5つの峰に囲まれた地にある町「台懐鎮」にある。霊鷲峰の麓にある。伽藍の中心となる大白塔は五台山のシンボル的存在として認知されている。元は顕通寺の一院「閣院」であったが、のち独立してチベット仏教寺院となる。重点寺院。 | **[[塔院寺]]:五台山の5つの峰に囲まれた地にある町「台懐鎮」にある。霊鷲峰の麓にある。伽藍の中心となる大白塔は五台山のシンボル的存在として認知されている。元は顕通寺の一院「閣院」であったが、のち独立してチベット仏教寺院となる。重点寺院。 | ||
| 273行: | 293行: | ||
**[[観音洞]]:重点寺院。 | **[[観音洞]]:重点寺院。 | ||
**[[鎮海寺]]:清の乾隆年間の創建。章嘉国師塔あり。 | **[[鎮海寺]]:清の乾隆年間の創建。章嘉国師塔あり。 | ||
| - | *[[外八廟]] | + | *[[外八廟]]:河北省承徳市双橋区 |
**[[普寧寺]]:重点寺院。サムイェー寺を模したという。 | **[[普寧寺]]:重点寺院。サムイェー寺を模したという。 | ||
**[[普陀宗乗之廟]]:ポタラ宮を模して建てられた。 | **[[普陀宗乗之廟]]:ポタラ宮を模して建てられた。 | ||
| - | *[[ | + | *[[易県・永福寺]]:河北省保定市易県梁格荘鎮梁格荘村。清西陵の東にある。 |
| - | *[[ | + | *[[薊州・隆福寺]]:天津市薊州区孫各庄満族郷隆福寺村。清東陵に付属する。廃絶。唐代初頭の創建と伝え、清朝の1774年に再建され、チベット仏教に改宗。1753年、隆福寺行宮を寺の西に建てた。埋葬の際の奉安所にもなった。民国時代に行宮とともに破壊された。葛山隆福寺。 |
| + | *[[広仁寺]]:陝西省西安市蓬湖区([[長安]])。重点寺院。 | ||
===満洲地域=== | ===満洲地域=== | ||
2025年10月31日 (金) 時点における最新版
チベット仏教は、北伝仏教の流れの一つで、特に密教を伝えている。チベット、モンゴル、ブータン、ネパール、インド・シッキム地方、インド・ラダック地方に分布する。特定の高僧を仏の化身と見做し、世代を超えて転生するという転生活仏制度を特色とする。寺院はゴンパやラカンと呼ばれ、独自の建築様式を持つ。
中央アジアに広がる。ブータンでは現在も国教的地位を占め、国家としてはドゥク派を、民間ではニンマ派を信仰している。
目次 |
歴史
モンゴル国
1936年から1939年にかけてスターリンの指示で仏教弾圧が行われた。約900寺が外モンゴルにあったがほとんどが廃滅し、ガンダン寺など一部を残して博物館に転用されるなどした。反革命罪で2万人の僧が銃殺されたという。(嘉木揚凱朝「文化大革命後のモンゴル仏教の様態」[1])
一覧
- ニンマ派六大寺院:ミンドルリン寺、ドルジェタク寺、ゾクチェン寺、カトク寺、ペユル寺、シェチェン寺
- ゲルク派六大寺院:ガンデン寺、デプン寺、セラ寺、タシルンポ寺、タール寺、ラプラン寺
- ラサ四大林:丹傑林寺、策墨林寺、功徳林寺、策覚林寺
- 五座摂政寺院:丹傑林寺、策墨林寺、功徳林寺、木如寺、喜徳寺
- 四大神山:梅里雪山、カイラス山、アムネマチン山、ガトゥジョウォ山
- カイラス三大聖地:カイラス山、マナサロワール湖、ティルタプリ
- チベット三大聖湖:マナサロワール湖、ヤムドク湖、ナムツォ湖
- 八座三佑怙殿:トゥルナン寺の東西南北と東南、東北、西南、西北の八方向に建てられたという。
- トゥルナン寺四大賛康:噶瑪廈贊康、繞賽贊康、孜瑪熱護法殿、達布林贊康
- 四大護法神:ラモ寺、ガドン寺、サムイェー寺、ネチュン寺
- 七大召:大召寺、席力図召寺、フフホト・崇福寺、フフホト・崇寿寺、隆寿寺、宏慶寺、フフホト・尊勝寺
- 八小召:フフホト・広化寺、フフホト・慈寿寺、崇禧寺、フフホト・広福寺、寧祺寺、延祺寺、霊覚寺、慶縁寺
- 内モンゴル四大寺院:百霊廟、貝子廟、五当召、普会寺
- 洮州五僧司:
歴史的チベット
ラサ市
- ラサ
- ポタラ宮:
- ノルブリンカ宮
- チャクポリ:薬王山
- デプン寺:チベット自治区ラサ市城関区娘熱街道。1416年、ケンチェン・レクデンパが創建。寺に置かれた兜率殿(ガンデンボタン)はダライ・ラマ5世がポタラ宮に移るまで、ダライラマの宮殿であった。チベット最大の寺院であったという。ゲルク派六大寺院の一つ。ポタラ宮の西北7kmのガンポ・ウツェ山の麓にある。哲蚌寺。Drepun
- バボンカ寺:チベット自治区ラサ市城関区娘熱街道。Pabonka
- セラ寺:チベット自治区ラサ市城関区娘熱街道色拉路。ゲルク派六大寺院の一つ。ポタラ宮の北東4.6kmの烏孜山の麓にある。1419年にツォンカパ直弟子のジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー(絳欽卻傑釈迦也失、1354-1439)が創建。多くの学堂がある。色拉寺。
- トゥルナン寺:チベット自治区ラサ市城関区八廓街道。ネパール王室から嫁いできたソンツェン・ガンポ王の妃、ティツゥンが創建。本尊は釈迦如来。文成公主が唐より将来したもので、もとラモチェ寺に祀られていたのを当寺の不動金剛仏と交換されたという。大昭寺、ジョカン寺。
- ラモチェ寺:チベット自治区ラサ市城関区吉崩崗街道。唐から嫁いできたソンツェン・ガンポ王の妃、文成公主が創建。本尊は不動金剛。もとはトゥルナン寺に祀られていたもので、妃ティツゥンがネパールから伝来したとされ、後世、当寺に祀られていた釈迦如来像と交換されたという。小昭寺。
- ネチュン寺:チベット自治区ラサ市城関区金珠西路街道当巴社区。ニンマ派。ダライラマ転生に関わる最高位の神託官が住した。チベット最高神ペハルが神託を下した。乃瓊寺、乃瓊多傑扎央林、乃瓊貢巴、乃窮寺、 涅沖寺。Nechung
- ツェルグンダン寺:チベット自治区ラサ市城関区蔡公堂街道蔡公堂村。ツェル派の拠点。蔡巴寺(揚庚寺、Tshelpa)と貢塘寺(公堂寺、 Gungthang)の総称か。蔡公堂寺。Tshel Gungthang
- 魯普巌寺:チベット自治区ラサ市城関区
- ガドン寺:チベット自治区ラサ市トゥールンデチェン区東嘎街道南嘎村。ゲルク派。ポタラ宮の西11kmにある。ダライラマ転生に関わる神託官がいた。噶東寺。
- サンプ寺:チベット自治区ラサ市トゥールンデチェン区柳梧街道徳陽村。1073年ゴク・レクペー・シェーラプが創建。全チベットを代表する大学問寺として発展し、そのシステムは各寺に広がっていった。ジボ寺、基布寺。桑浦寺。桑古寺。桑普寺。桑浦内鄔托寺。桑浦貢巴。サンプ僧院。サンプネゥトク寺。Sangphu。(「チベットの学問寺」[2])
- ツルプ寺:チベット自治区ラサ市トゥールンデチェン区古栄鎮那嘎村。カルマ派の拠点。ラサ中心部から西52kmに位置する。活仏カルマパの座所だった。1187年にカルマパ1世が創建。1966年、文化大革命で破壊される。現在復興が進む。楚布寺、Tsurphu
- ガンデン寺:チベット自治区ラサ市タクツェ区。中心部から東北東36kmのワンブル山にある。1409年、ゲルク派開祖ツォンカパが創建。ガンデン・ティパが座主およびゲルク派教主を務める。ゲルク派六大寺院の一つ。甘丹寺。
- 扎葉巴寺:チベット自治区ラサ市タクツェ区幇堆郷。洞窟寺院。Druk Yerpa
- ヤンパチェン寺:チベット自治区ラサ市ダムシュン県ヤンパチェン鎮。カギュ派のカルマ派赤帽派の拠点で、化身ラマ「シャマルパ」の座所だった。 ラサ中心部の西北77kmに位置する。羊八井寺、羊巴井寺。
- ナムツォ湖:チベット自治区。ラサ市ダムシュン県納木湖郷とナクチュ市パングン県青龍郷にまたがる。ニェンチェンタンラ山の北にある。ラサ中心部から北北西130kmに位置する。標高は4700mで塩水湖としては世界一標高が高い。名前は天の湖を意味する。チベット三大聖湖の一つ。湖に浮かぶ五つの島は五方仏の化身とされる。ひつじ年に大きな祭礼「サカダワ」が行われ、巡礼者が集う。「ナム湖」。モンゴル語で「テングリノール湖」(騰格里湖)という。Namtso。納木錯。
- ニェンチェンタンラ山:チベット自治区。ラサ市ダムシュン県納木湖郷とナクチュ市パングン県青龍郷にまたがる。念青唐古拉山。Nyenchen Tanglha
- タクルン寺:チベット自治区ラサ市ルンドゥプ県旁多郷。カギュ派タクルン派の拠点。ラサ中心部の北北東56kmにある。1180年、タクルンタンパ(1142-1210)が創建。達隆寺、達隆塘寺、達龍寺。
- ラデン寺:チベット自治区ラサ市ルンドゥプ県唐古郷。チベット仏教を中興した功績者の一人、アティーシャ(982-1054)の法統を継承称揚するためにその弟子のドムトゥン(1006-1064)が1056年に創建。アティーシャの遺骨も祀ったという。集まった僧侶集団がカダム派を形成する。カダム派衰退と共に15世紀初頭にゲルク派となる。ラデン寺。ラディン寺。熱振寺。
- ナーレンダ寺:チベット自治区ラサ市ルンドゥプ県カルツェ郷。ツァル派の拠点(ダルダンモチェ寺から移る)こちらに移る。名前はインドのナーランダー寺院に由来する。Nalendra。Phenpo Nalendra。那蘭扎寺。
- シュクセプ寺:チベット自治区ラサ市チュシュル県才納郷。シュクセプ派の拠点。1181年創建。尼寺という。Shugseb Ani Gompa。修賽寺、休色寺、雄色寺。
- ドゥク寺:チベット自治区ラサ市チュシュル県南木郷南木県。ドゥク派の拠点。Drug Gompa 。竹寺。珠寺。降曲林寺。
- ディグンティ寺:チベット自治区ラサ市メルドグンカル県門巴郷。ディクン派の拠点だった。直貢梯寺。止貢提寺。直貢寺。Drigung Thil。
- ラモ寺:ラサ。
- 丹傑林寺:チベット自治区ラサ市城関区八廓街道丹傑林社区。ラサ四大林の一つ。1762年頃、徳木活仏6世が徳木寺からラサへ来る時の滞在所として創建。乾隆帝が「広法寺」(チベット語で「丹傑林」)の名を下賜した。サムイェー寺とデプン寺に属する。丹吉林寺。Tengyeling。
- 策墨林寺:チベット自治区ラサ市城関区吉崩崗街道策門林社区。ラサ四大林の一つ。小昭寺の西南、喜徳寺の東にある。1783年、阿旺楚臣(策墨林活仏1世)がチベット摂政に就任した時に創建し、「図丹仁欽曲科林」と称した。その後、嘉慶帝が「崇寿寺」(寿寧寺)(チベット語で「策墨林」)の名を下賜した。紅宮、白宮のほか、活仏の御殿と夏宮がある。セラ寺に属する。Tsomon Ling。策満林、策默林。
- 功徳林寺:チベット自治区ラサ市城関区公德林街道雪社区。ラサ四大林の一つ。ポタラ宮の西側にある。1794年、達察活仏8世が創建。ダライラマ8世が「長寿法輪洲」と名付けた。1796年、嘉慶帝が「衛蔵永安寺」(チベット語で「功徳林」)の勅額を下賜した。八宿寺に属する。寺の面積はかつての十分の一も残っていない。主殿のほか、白度母殿、功徳林拉章(活仏の邸宅・政庁)、功徳林扎倉がある。公徳林、貢徳林。Kundeling。
- 策覚林寺:チベット自治区ラサ市城関区慈覚林街道次角林村。宝瓶山の西側にある。噶欽益西堅賛(策覚林活仏1世)が1790年、ダライラマ8世の支援で創建。桑丹林寺に属する。「策覚扎西桑丹林」といい、通称は「直策覚林」。次覚林、蔡却林、次角林、慈覚林とも表記。Tshechogling
- 噶瑪廈贊康:チベット自治区ラサ市城関区吉日街道鉄崩崗社区。ゲルク派。トゥルナン寺の四大賛康の一つで、東方を守る。もとは15世紀半ばカルマパ7世がラサに邸宅を建て、歴代のカルマパが用いた。1642年、ダライラマによりカルマパがラサから追放され、この寺はセラ寺の管轄下となった。セラ寺は神巫を派遣してセラ寺の護法神殿となった。護法殿には恰赤堅吉(恰赤堅贊、恰赤堅斉)という一つ目の神を祀る。恰赤堅吉は東方王の随身で、名前は「一目万鳥」を意味し、人間界の善悪をよく見通す。トゥルナン寺の火災に、噶瑪廈贊康の祈祷で鎮めた。Karma-sha Tsen-khang。伽瑪厦賛康。噶瑪廈寺。伽瑪厦寺。噶瑪廈神廟。カルマシャ。
- 繞賽贊康:チベット自治区ラサ市城関区八廓街道繞賽社区。トゥルナン寺の四大賛康の一つで、南方を守る。ツォンチェンカンボの時代に文成公主の御殿がここにあったという。ダライラマ12世の時代にセラ寺の管理になった。護法神としては龍女「図登旺修」(図多旺秋)を祀る。龍女の魂を封じ込めた石板があり、もとは大昭寺の場所にあった沃塘湖から見つかったものという。ザキラムという財神も信仰を集める。Rabsel Tsen-khang。ラプセル・ツェンカン
- 孜瑪熱護法殿:チベット自治区ラサ市城関区八廓街道丹傑林社区。丹傑林寺内にある。トゥルナン寺の四大賛康の一つで、西方を守る。孜瑪熱(紫瑪、紫瑪熱、夜叉孜瑪熱、紫瑪爾護法)を祀る。孜瑪熱は凶猛な地方神の首領であったが、パドマサンバヴァに帰依して護法神となった。夜叉財神であると共に冥府判官の役割も持っていた。観音菩薩の化身、または馬頭明王の化身ともいう。
- 達布林贊康:チベット自治区ラサ市城関区吉日街道吉日社区。トゥルナン寺の四大賛康の一つで、北方を守る。ダライラマ1世が創建。白毡神(白毡神居士、居士白毡神、護法白毡神)を祀る。白毡神は観音菩薩の化身でありインドのナーランダー寺に祀られていたのをアティーシャがチベットにもたらしたともいう。アムネマチン山の神と同一視されることも。Darpo-ling Tsen-khang。達布林寺。
ウーツァン地方
ウーツァン地方(衛蔵地方、U-Tsang)は中央チベットを示す地名。ラサを中心としてゲルク派が支配してきたウー地方(衛、前蔵)と、シガツェを中心とし、サキャ派が支配してきたツァン地方(蔵、後蔵)を合わせたもの。中国領の行政区分ではラサ市、山南市(チベット名ロカ)、シガツェ市(日喀則市)、ガリ地区(阿里地区)の概ね全域と、ナクチュ市(那曲市)の中心部(セニ区とラリ県)、ニンティ市(林芝市)の西部、チャムド市(昌都市)の一部(資料によって異同あり)。ガリ地区にはインドと国境を争うアクサイチン地域の南部が含まれるが一般住民は昔からいない地域であり、寺院などはないとされる。
- ツェタン寺:チベット自治区山南市ネドン区ツェタン街道ツェタン社区。デンサティル寺から移ったパクモドゥ派の拠点。1351年創建。沢当寺。乃東寺。Tsetang Gompa
- タントゥク寺:チベット自治区山南市ネドン区タントゥク鎮。ソンツェンガンポが建てたチベット最古の仏教寺院だとされる。昌珠寺。Tradruk Gompa
- ヨンブラカン宮殿:チベット自治区山南市ネドン区タントゥク鎮。古代のニャティツェンポ王が建てたとされ、ダライラマ5世が寺院にしたとされる。雍布拉康。Yungbulakang。
- ヤーサン寺:チベット自治区山南市ネドン区亜堆郷ヤーサン村。ヤーサン派の拠点。Yasang。雅桑寺。亜桑寺。
- ヤムドク湖:チベット自治区山南市ナンカルツェ県。ラサの北100kmに位置する。チベット三大聖湖の一つ。女神が住むという。羊卓雍錯、Yamdrok。
- サムディン寺:チベット自治区山南市ナンカルツェ県ナンカルツェ鎮。ヤムドク湖の西南に位置する。金剛亥母の化身とされる活仏サムディン・ドルジェ・パグモが寺主。桑頂寺。Samding Gompa。
- 扎熱寺:チベット自治区山南市ナンカルツェ県打隆鎮。ニンマ派。扎熱桑丹曲林寺。
- ナンカルツェタクルン寺:チベット自治区山南市ナンカルツェ県打隆鎮。達隆寺。打隆寺。Taklung Gompa
- コンカル寺:チベット自治区山南市ゴンカル県崗堆鎮崗堆村。コンカル派の拠点。貢嘎曲徳寺、貢嘎寺、多吉丹寺、Gongkar Cho、Gongkar Dorje
- ドルジェタク寺:チベット自治区山南市ゴンカル県昌果郷昌果村。ニンマ派六大寺院の一寺院。チューシ・ドルジェ(リクジン・ガキワンポ?)が創建。土登多傑扎寺、多吉札寺、Dorjidak Gompa、Dorje Drak
- サムイェー寺:チベット自治区山南市ダナン県サムイェー鎮。779年、ティソン・デツェン王が創建。チベット最古の本格的仏教僧院とされる。インドのオーダンタプリー寺院を模して建てられた。794年にはサムイェーの争論が行われた。桑耶寺、桑耶貢巴。Samye Gompa
- ミンドルリン寺:チベット自治区山南市ダナン県扎其鄉塔巴林村。ニンマ派六大寺院の一寺院。 1670年(1676年?)にダライ・ラマ5世の師でもあるテルダク・リンパが創建。敏珠林寺、敏竹林、Mindroling Gompa
- 蔵王陵:チベット自治区山南市チョンギェー県チョンギェー鎮。ソンツェンガンポ王、ティソンデツェン王など。蔵王墓。Chongye Valley
- カチュ寺:チベット自治区山南市ロダク県拉康鎮。卡久寺
- デンサティル寺:チベット自治区山南市サンリ県サンリ鎮。1158年の創建。1351年ごろまでパクモドゥ派の拠点だった。丹薩替寺。鄧薩提寺。Densa Thil
- ガムポ寺:チベット自治区山南市ギャツァ県ギャツァ鎮。タクポ派(ガムポ派)の拠点だった。標高4200m前後(DEM解析)の山中にある。達拉崗布寺。Daklha Gampo。崗布寺。
- タシルンポ寺:チベット自治区シガツェ市サムドゥプツェ区(郷級行政区は不明)。パンチェンラマの座所。ゲルク派六大寺院の一つ。扎什倫布寺。Tashi Lhunpo
- シャル寺:チベット自治区シガツェ市サムドゥプツェ区甲措雄郷。シャル派の拠点。夏魯寺、夏魯貢巴。Shalu Gompa
- ゴル寺:チベット自治区シガツェ市サムドゥプツェ区曲美郷。ゴル派の本拠地だった。多くの曼荼羅が伝わったことで知られる。ゴル・エワム・チューデン寺。俄爾寺、鄂爾寺、俄艾旺寺、俄艾旺曲登寺、俄艾旺卻第寺。ゴル僧院とも。Ngor
- ラルン寺:チベット自治区シガツェ市ギャンツェ県熱龍郷。カギュ派ドゥク派(北ドゥク派)の拠点。1180年創建。1616年、ガワン・ナムゲルが地位を追われてブータンに逃れて新たにブータン王国の起源となる。惹龍寺、熱隆寺、Ralung Gompa
- ナルタン寺:チベット自治区シガツェ市サムドゥプツェ区曲美郷。カダム派。「ナルタン版大蔵経」を出版していたことで知られる。1153年創建。納塘寺、那当寺、拉爾塘寺、普恩寺。Narthang Gompa
- 白居寺:チベット自治区シガツェ市ギャンツェ県ギャンツェ鎮。巨大な吉祥多門塔で知られる。パルコン・チューデ。Pelkor Chode。Palcho Gompa
- ポカン寺:チベット自治区シガツェ市パナム県。ギャンツェ県とシガツェ市の中間点付近に位置するという。シャーキャシュリーバドラが滞在した旧跡。Pokhang。波康寺
- サキャ寺:チベット自治区シガツェ市サキャ県サキャ鎮。サキャ派の拠点。薩迦寺。Sakya
- 超浦寺:チベット自治区シガツェ市サキャ県。トプ派の拠点。1212年創建。Throphu Chamchen Chode。綽普寺、超浦降欽却寺。
- タクテンプンツォクリン寺:中国チベット自治区シガツェ市ラツェ県プンツォクリン郷。ターラナータが創建したチョモナン寺(覚囊寺、Jomonang)が起源でチョナン派の拠点となった。現在はゲルク派に改宗して麓に移転したようだ。Takten Damcho Puntsok Ling。Takten Puntsok Ling。平措林寺。ガンデン・プンツォクリン(Ganden Phuntsok Ling、甘丹彭措林寺)とも。
- ダルダンモチェ寺:チベット自治区シガツェ市ラツェ県曲下鎮。ツァル派の初期の拠点だった。Dar Drangmoche Monastery。達爾昌木其寺。 達爾查木曲寺。
- シャンション寺:チベット自治区シガツェ市ナムリン県ナムリン鎮恰娃村。シャン派の拠点。雄雄寺。香雄寺。
- ロンブク寺:チベット自治区シガチェ市ティンリ県扎西宗郷。チョモランマ(エベレスト)近くにある。ニンマ派。世界で二番目に高い場所にあるチベット仏教寺院。絨布寺。Rongphuk
- 絨布徳寺:チベット自治区シガチェ市ティンリ県扎西宗郷。チョモランマ(エベレスト)近くにある。ニンマ派。パドマサンバヴァの旧跡。世界一高い場所にあるチベット仏教寺院。。
- 巴爾曲徳寺:チベット自治区ニンティ市ナン県ナン鎮堆巴村。元々はカギュ派だったが今はゲルク派。山の中腹に伽藍が並ぶ。ニンティ市だが、ウーツァン地方に含まれるらしい。
- 孝登寺:ゲルク派。チベット自治区ナクチュ市セニ区ナクチュ鎮。ナクチュ最大の寺院という。セラ寺に属する。
- バロム寺:チベット自治区ナクチュ市セニ区古路鎮。バロム・カギュ派の拠点。Barom Gompa。跋絨寺。
- グゲ王宮:チベット自治区ガリ地区ツァプラン県。
- トリン寺:チベット自治区ガリ地区ツァンダ県トリン鎮。西チベットの中心的寺院。托林寺。Tholing Gompa
- カチャル寺:チベット自治区ガリ地区プラン県プラン鎮科迦村。コジャ、コルジャ、コルチャク、コルジャナート、コージナート。Khorzhak Gompa。科迦貢巴。科迦寺。
- カイラス山:チベット自治区ガリ地区プラン県。Kailash。凱拉什山。カンリンポチェ(Gang Rinpoche、岡仁波斉峰)。
- マナサロワール湖:チベット自治区ガリ地区プラン県。カイラス山の南にあり巡礼地となっている。チベット三大聖湖の一つで、カイラス三大聖地でもある。チベット仏教、ヒンドゥー教、ボン教、ジャイナ教の聖地。摩耶夫人が釈迦を懐胎したのがこの地という伝説がある。仏典でヒマラヤの北、世界の中心にあるとされる阿耨達池(無熱悩池)に擬せられる。「神湖」などとも呼ばれる。瑪旁雍錯、Manasarovar。
カム地方
カム地方(康地方、Kam)はチベットの東部の示す地名。ダルツェド(中国名は康定)とチャムド(昌都)が中心都市。中国の行政区分では、チベット自治区チャムド市の大部分、同自治区ニンティ市(林芝市)の東部、四川省アバチベット族チャン族自治州の大部分、四川省カンゼチベット族自治州、青海省玉樹チベット族自治州の大部分、雲南省デチェンチベット族自治州(資料によって異同あり)。チベット地域外だがチベット仏教を一部受容した雲南省麗江市のナシ族地域も含める。
- 喇嘛嶺寺:チベット自治区ニンティ市巴宜区布久郷。ニンマ派。1930年代に創建。Lamaling Gompa。布久郷はカム地方。
- リウォチェ寺:チベット自治区チャムド市リウォチェ県リウォチェ鎮。タクルン派の第二の拠点。カム地方で最も有力な寺院の一つ。タクルン寺4世の桑吉温(1251-1296)は一年で退任してこの地に来て、1277年にリウォチェ寺を建てたという。文化大革命で破壊。1986年再建。吉仲活仏、帕確活仏(龐球活仏)、夏仲活仏の三人の化身ラマの座所。類烏斉寺、揚貢寺、查傑馬、格培林。
- 葉浦寺:チベット自治区チャムド市リウォチェ県。イェル・カギュ派の拠点。葉巴寺。葉普寺。叶浦寺。イェプ寺。廃絶。
- チャムパリン寺:チベット自治区チャムド市カルプ区城関鎮。カム地方で最初のゲルク派寺院。ツォンカパが夢告を得た場所とされ、その弟子のジャンセム・シェラプ・ザンポが1444年創建。乾隆帝から祝釐寺の名を下賜された。化身ラマのパバラ(帕巴拉)の座所。強巴林寺。Galden Jampaling。昌都寺。俱善弥勒寺。法輪弥勒寺。強巴は弥勒菩薩、林は寺を意味する。
- マルツァン寺:チベット自治区チャムド市ダクヤプ県栄周鄉佐通村。マルツァン派の拠点。1167年創建。sho。ショー寺(学寺)。瑪倉寺。Martshang。肖貢寺。
- 四川・大蔵寺:四川省アバチベット族チャン族自治州バルカム市大蔵郷春口村。ゲルク派。1414年創建。Dhetsang Gompa
- アチェンガル寺:四川省カンゼチベット族自治州白玉県阿察鎮。1985年に創建。尼僧を中心に信徒など10000人が居住していたが、中国政府により2019年までに多くが立ち退き撤去されたという。尼寺。亜青寺。Yarchen Gar。
- カトク寺:四川省カンゼチベット族自治州白玉県。ニンマ派六大寺院の一寺院。カ・ダムパ・デシュクが12世紀に創建。〓陀寺、呷妥寺、Katho
- ペユル寺:四川省カンゼチベット族自治州白玉県。ニンマ派六大寺院の一寺院。1665年にリクジン・クンサン・シェーラプが創建。ペルユル寺、白玉寺、Palyul Gonpa
- ラルンガル寺:四川省カンゼチベット族自治州色達県洛若鎮。ニンマ派。4万以上の修行小屋が立ち並んでいたが、中国政府により撤去されたという。色達喇栄五明仏学院。
- ラツェ寺:四川省カンゼチベット族自治州色達県甲学鎮。ニンマ派。元はポン教寺院だった。高山の傾斜のきつい中腹に小さな堂舎が多数並ぶ。拉則寺。
- マトン寺:四川省カンゼチベット族自治州理塘県覚吾鎮。ゲルク派。元はサキャ派で、サキャ派10代座主が元朝の大臣の帰依を得て創建。ツォンカパの弟子が入り、ゲルク派に変わった。シャバ活仏の座所。麻通寺。
- 恵遠寺:四川省カンゼチベット族自治州道孚県泰寧鎮。ゲルク派。ジュンガル部のチベット侵入に対抗するため雍正帝が1728年に創建し、寺名を下賜した。ダライラマ7世が避難した。ダライラマ11世は寺の近くで生まれた。嘎達向巴林(ガンデン・ジャンパ・リン)
- デルゲ寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県ゴンチェン鎮。サキャ派。ゴンチェン(更慶)はデルゲ王国の古都で、カム地方の宗教と文化の中心。徳格印経院でも知られる。徳格寺、更慶寺、ゴンチェン寺、倫珠頂寺。
- ペルプン寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県八幇郷。カム地方におけるカルマ派の拠点。ペルプン印経院で知られた。Pelpung。Babang。八邦寺。八蚌寺。
- 俄果寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県。俄果は創建者の出身地であるモンゴルの地名だという。
- 宗薩寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県麦宿鎮。サキャ派。Dzongsar Gompa。
- ゾクチェン寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県。ニンマ派六大寺院の一寺院。ゾクチェン・リンポチェ1世が1685年に創建。竹〓寺、Dzogchen Gompa
- シェチェン寺:四川省カンゼチベット族自治州デルゲ県竹慶鎮協慶村。ニンマ派六大寺院の一寺院。1735年にシェチェン・ラプジャムパが創建。1695年説も。雪謙寺。Shechen Gompa。協慶寺
- 三神山:四川省カンゼチベット族自治州稲城県。
- 色須寺:四川省カンゼチベット族自治州石渠県色須鎮。カム地方で最大のゲルク派寺院。ツォンカパの舎利塔がある。Sershul Gompa。
- カンゼ寺:四川省カンゼチベット族自治州カンゼ県カンゼ鎮。ゲルク派。1642年創建。Kandze Gompa。
- トンコル寺:四川省カンゼチベット族自治州カンゼ県。東谷寺。化身ラマのトンコルマンジュシュリーの座所
- チャムチェンチョエコルリン寺:四川省カンゼチベット族自治州理塘県。ゲルク派。1580年、ダライラマ5世の発願で創建。理塘寺。長吉春科児寺ng Gonchen
- 文成公主廟:青海省玉樹チベット族自治州玉樹市結古街道
- 結古寺:青海省玉樹チベット族自治州玉樹市結古街道。サキャ派。
- 小蘇莽寺:青海省玉樹チベット族自治州玉樹市小蘇莽郷。カギュ派。蘇莽甘露坡寺、蘇莽徳孜体寺、蘇莽徳子堤寺。Surmang Dutsi Til(スルマン・ドゥツィ・ティル)。
- 貢薩寺:青海省玉樹チベット族自治州治多県立新郷。ゲルク派。ツォンカパ大殿で知られる。
- 大蘇莽寺:青海省玉樹チベット族自治州囊謙県毛荘郷麻永村。カギュ派。政教一致の大寺院で多くの寺院群が付属した。この集団をスルマンカギュ派とも呼んだ。小蘇莽寺と合わせて蘇莽寺(蘇莽貢巴。蘇曼寺)とも。蘇莽囊結孜寺、蘇莽囊傑則寺。Surmang Namgyal Tse(スルマン・ナムギャル・ツェ)。Zurmang。
- 覚扎寺:青海省玉樹チベット族自治州囊謙県覚拉郷。パドマサンバヴァが祈祷を行った覚扎山にある。バロム・カギュ派の最大の寺院。
- 達那寺:青海省玉樹チベット族自治州囊謙県吉尼賽郷。カギュ派。イェル・カギュ派の唯一の現存寺院という。嶺国寺。Tana Gompa
- ソンツェリン寺:雲南省デチェンチベット族自治州シャングリラ市建塘鎮北郊社区。1680年、ダライ・ラマ5世が創建。雲南省最大のチベット仏教寺院。噶丹松贊林。帰化寺。小ポタラ宮とも。
- 東竹林寺:雲南省デチェンチベット族自治州徳欽県奔子欄鎮書松村。ゲルク派。1667年創建。噶丹東竹林寺。Dongzhulin Gompa。
- 梅里雪山:雲南省デチェンチベット族自治州徳欽県。
- 普済寺:雲南省麗江市古城区束河街道中済社区。カギュ派。普済山の中腹にある。麗江五大寺の一つ。1771年創建。雲南省で現存最大の銅瓦の伽藍。儒仏道の建築が揃う独特の建築という。舎培蘭辛林。
- 大宝積宮:雲南省麗江市玉龍ナシ族自治県白沙鎮白沙村。
- 福国寺:雲南省麗江市玉龍ナシ族自治県白沙鎮白沙村。カギュ派(カルマ派)。麗江五大寺の母寺。1601年、創建。元は漢伝仏教の寺院だった。明の天啓帝から寺名を下賜される。1679年、チベット仏教僧を招いて再興。奥明南卓林。
- 文峰寺:雲南省麗江市玉龍ナシ族自治県黄山街道。カギュ派。文筆山の中腹にある。麗江五大寺の一つ。1733年創建。後山に金剛亥母の霊洞がある。迦葉が鶏足山の華首門で入定する前にここに華首門の鍵を残したとされ、鶏足山の巡礼者が立ち寄ることになっている。桑那迦卓林。
- 指雲寺:雲南省麗江市玉龍ナシ族自治県拉市鎮海南村。麗江五大寺の一つ。1727年創建。パドマサンバヴァの足跡とされる落水洞があるという。カギュ派の三大禅林の一つ。東宝活仏の座所。噶瑪南傑林。
- 玉峰寺:雲南省麗江市玉龍ナシ族自治県白沙鎮新善村。カギュ派。麗江五大寺の一つ。1700年創建。大殿のほか、上院と下院がある。ツバキなどで有名。扎西曲培林。
アムド地方
アムド地方(安多地方、Amdo)はチベットの北東部を示す地名。中国の行政区分では、チベット自治区ナクチュ市の大部分(セニ区とラリ県以外)、青海省の大部分(海東市、黄南チベット族自治州、海南チベット族自治州、果洛チベット族自治州、海北チベット族自治州の全域)、甘粛省甘南チベット族自治州の全域、四川省アバチベット族チャン族自治州の一部(資料によって異同あり)。
- 讃丹寺:チベット自治区ナクチュ市ソク県亜拉鎮。ゲルク派。外観がポタラ宮に似ており「小ポタラ宮」とも呼ばれる。索秀甘丹培金林。Tsangdain
- 帕拉晶塔:チベット自治区ナクチュ市ビル県良曲郷帕拉村。
- タール寺:青海省西寧市湟中県ルシャル鎮。ツォンカパの生誕地。アムド地方で第二の規模の寺院。ゲルク派六大寺院の一つ。アジャ・ホトクトの座所。クンブム寺。Kumbum Gompa
- 広恵寺:青海省西寧市大通回族土族自治県東峡鎮衙門庄村。ゲルク派。湟北四大名寺の一つ。郭莽寺。賽科寺。セルコク寺、ツェンポ寺、ゴマン寺とも。
- ドツァン寺:青海省海東市楽都区瞿曇鎮。ゲルク派。1392年創建。通称は青海故宮。Qutan。Gautama。Drotsang。瞿曇寺。
- ゴンルン寺:青海省海東市互助トゥ族自治県五十郷寺難村。1604年創建。湟北四大名寺の一つ。グンルン寺。佑寧寺。郭隆寺。Gonlung Jampa Ling
- チュザン寺:青海省海東市互助トゥ族自治県南門峡鎮。湟北四大名寺の一つ。却蔵寺。Chuzan
- 夏瓊寺:青海省海東市化隆回族自治県査甫チベット族郷。ゲルク派。1349年創建。青海省最古の寺院の一つ。ツォンカパの師匠が創建。乾隆帝から勅額「法浄寺」を4カ国語で下賜される。湟北四大名寺の一つ。Chakhyung Gompa
- パージョ寺:青海省海東市民和回族トゥ族自治県。弘善寺
- ウシタク寺:青海省海東市民和回族トゥ族自治県。
- タンリン寺:青海省海東市民和回族トゥ族自治県。
- 弘化寺:青海省海東市民和回族トゥ族自治県転導郷紅花村。ゲルク派。1442年創建。大慈法王の墓所。
- 隆務寺:青海省黄南チベット族自治州同仁市隆務鎮。アムド地方で第三規模の寺院。もとはサキャ派で、今はゲルク派。1301年創建。Rongwo Gompa。
- 拉莫徳欽寺:青海省黄南チベット族自治州尖扎県能科郷。ゲルク派。1682年創建。多くの属寺を擁した。徳千寺、迭纏寺。ラモデチェン寺。Lamo Deche。
- 賽宗寺:青海省海南チベット族自治州興海県桑当郷。1923年創建。Saizong Gompa。Serdzong Gompa。Treldzong Gompa。Drakar Treldzong Thosamling。
- 仰華寺:青海省海南チベット族自治州共和県恰卜恰鎮。「ダライラマ」号の発祥の地。廃絶。1578年、アルタン・ハンがソナム・ギャツォ(ダライラマ3世)を招き「ダライラマ」の号を献じたのがこの場所とされる。青海モンゴルに入るらしい。
- 阿柔寺:青海省海北チベット族自治州祁連県阿柔郷草大阪村。ゲルク派。明万暦年間にダライラマ3世が青海に伝道。清順治年間にダライラマ5世の北京入りのときに青海に立ち寄ったので寺院創建を請願して実現した。道光年間に現在地に移転。その後拡張された。阿柔大寺。阿力克大寺。
- ラプラン寺:甘粛省甘南チベット族自治州夏河県。アムド地方で最大の寺院。ゲルク派六大寺院の一つ。
- 賽赤寺:甘粛省甘南チベット族自治州ルチュ県郎木寺鎮。ゲルク派。白龍江を挟んで格爾底寺と向き合う。郎木寺。徳合倉郎木賽赤寺。Taktsang Lhamo
- キルティ寺:四川省アバチベット族チャン族自治州アバ県。マルカム県・ゾクチェン県などに分院あり。
- バトン寺:四川省アバチベット族チャン族自治州壤塘県。石刻大蔵経が有名。棒托寺。
- 格爾底寺:四川省アバチベット族チャン族自治州ゾルゲ県紅星鎮。ゲルク派。白龍江を挟んで賽赤寺と向かい合う。徳合倉郎木格爾底寺。Taktsang Lhamo Kirti Gompa
モンゴル圏
モンゴル国(外モンゴル)、中国領の内モンゴル自治区・新疆ウイグル自治区・寧夏回族自治区北部・甘粛省北部、ロシア領のブリヤート・トゥヴァなど。地理的に離れているが、ヨーロッパに属するモンゴル系カルムイクも便宜上含む。
- ガンダンテクツェンリン寺院:ウランバートル
- オトゴンテンゲル山:山自体が金剛手菩薩の化身。1779年、清の皇帝の命令で祭祀が始まる。1924年の社会主義政権成立まで続く。2004年4月から大統領参加の祭祀が始まる。
- ザヤ廟:アルハンガイ県ツェツェルレグ
- エルデニズー寺院:ウブルハンガイ県カラコルム。外モンゴル最古の寺院。
- 興元閣:カラコルム。「勅賜興元閣碑」があった。2022年、「勅賜興元閣碑」複製を建立。ウブルハンガイ県カラコルム。
- アマルバヤスガラント寺院:セレンゲ県。慶寧寺。清朝の命令で、ジェプツンダンバ2世が創建した。
- マンズシル寺院:トゥブ県ゾーンモド北郊ボグド山
- モンゴル・釈迦院:モンゴル国フブスグル県。ムレン市の西54kmにあった。デルゲル・ムレン河岸に位置する。モンゴルにおける最古級の仏教寺院。釈迦院遺跡。1257年、オイラト族のバルストゲとその妻がモンケハーンの庇護のもとで創建。1953年、「釈迦院碑記」発見。1955年(1959年とも)、釈迦院碑記はウランバートルの博物館に移された。1998年、調査。2019年発掘調査。(宇野伸浩「釈迦院遺蹟」、宇野伸浩ら「釈迦院碑記」、森安孝夫・オチル1999『モンゴル国現存遺蹟・碑文調査研究報告』[3]252頁、村岡倫2021「チンカイ城の仏像と釈迦院遺跡」、エルデニバートル2004「モンゴルにおける仏教再興と最古の現存仏教寺院」[4]、村岡倫「モンケ・カアン時代におけるオイラト部族バルス・トゥゲによる釈迦院の建立ー釈迦院遺跡の調査報告をかねて」)
- 七大召:中国内モンゴル自治区フフホトにある大寺の格式を持った七寺院。
- 八小召:中国内モンゴル自治区フフホトにある小寺の格式を持った八寺院。
- 大召寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区大南街街道大召社区。七大召の一つ。無量寺、弘慈寺、イック・ジョー。
- 席力図召寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区。七大召の一つ。延寿寺、シレート・ジョー。
- 崇福寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区小召前街街道。七大召の一つ。バッグ・ジョー。小召。把格召。
- 崇寿寺:内モンゴル自治区フフホト市回民区。七大召の一つ。ブンソック・ジョー。朋蘇克召。
- 隆寿寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区大南街街道西順城街。七大召の一つ。ネムチョ・ジョー。乃莫氣召
- 宏慶寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区。七大召の一つ。ラブチョ・ジョー。拉布齊召。弘慶召
- 尊勝寺:内モンゴル自治区フフホト市武川県哈楽鎮永和泉村。七大召の一つ。バンティタ・ジョー。班第達召。班定召。俗名老爺廟。
- フフホト・広化寺:内モンゴル自治区フフホト市トゥムド左旗ビチグチ鎮。八小召の一つ。ブンソック・ジョー。喇嘛洞召。
- フフホト・慈寿寺:内モンゴル自治区フフホト市トゥムド左旗。八小召の一つ。什報気召。シボチ・ジョー。
- 崇禧寺:八小召の一つ。東喇嘛洞召。?トゥラマトン・ジョー。
- フフホト・広福寺:八小召の一つ。チャンジャ・ジョー。
- 寧祺寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区。八小召の一つ。太平召 。ダイビン・ジョー。
- 延祺寺:内モンゴル自治区フフホト市玉泉区小召前街街道。八小召の一つ。巧爾斉召。和碩乃召。チョーチ・ジョー
- 霊覚寺(メトル・ジョー):中国内モンゴル自治区包頭市トゥムド右旗美岱召鎮。1606年、弥勒仏を祀り、マイトレーヤホトクト(邁達礼)を招いて落慶したため、邁達礼召と名付けられた。邁達礼召。邁達礼廟。美岱召。マイダルジョー。寿霊寺。
- 慶縁寺:内モンゴル自治区フフホト市回民区。八小召の一つ。烏素図召。ウスット・ジョー
- 五塔寺:フフホト。慈燈寺、トーウンソゥブガ・ジョー
- 内モンゴル・広福寺:中国内モンゴル自治区百霊廟。通称は百霊廟。内モンゴルの四大寺院の一つ。
- 貝子廟:中国内モンゴル自治区シリンホト市。崇善寺とも。内モンゴルの四大寺院の一つ。
- 五当召:中国内モンゴル自治区包頭市。ジャバラント山の麓にある。内モンゴル最大規模の寺院。巴達格勒廟。バドガル寺。
- 普会寺:中国内モンゴル自治区包頭市。シラムレン廟。内モンゴルの四大寺院の一つ。
- 善因寺:中国内モンゴル自治区ドロンノール
- 彙宗寺:中国内モンゴル自治区ドロンノール
- アルシャー・延福寺:中国内モンゴル自治区アルシャー盟アルシャー左旗バヤンホト鎮。アルシャー八大寺の一つ。
- 葛根廟:内モンゴル自治区興安盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮
- 梵宗寺:内モンゴル自治区赤峰市オンニュド旗オダンバルガス。古建築が残る。北大廟。化身ラマ丹迥冉納班雑の座所。
- 瑞応寺:遼寧省阜新市阜新モンゴル族自治県仏寺鎮。ポタラ宮になぞらえて「小ポタラ宮」とも呼ばれた。東のチベットという意味で「東蔵」とも呼ばれる。化身ラマのチャガン・ティヤンチ・ホトクトの座所。
- 崇寿寺:新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州ニレク県。ゲルク派。カシュウリザトゥ廟(喀什烏力扎図廟)、阿日西朝格倫。
- バルゴンタイ黄廟:新疆ウイグル自治区バインゴリンモンゴル自治州和静県バルゴンタイ鎮。ゲルク派。同自治区最大級のチベット仏教寺院。文化大革命で破壊された。観光地として復興整備されつつあるという。シャルブダルジェラン(夏爾布達爾傑楞)、シャレスムクライ(夏勒蘇木庫来)、永安寺とも。
- 聖佑廟:新疆ウイグル自治区イリカザフ自治州モンゴルキュレ県。ゲルク派。同自治区で現存するチベット仏教の貴重な古建築。1898年創建。ボグダシャグソン(博格達夏格松)、吉金鈴、聖佑寺とも。
- 普慶寺:新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州タルバガタイ地区ウス市。シャルスム(夏爾蘇木)。新疆のポタラ宮と呼ばれた。元はベイヤングー鎮にあった。1986年、タブリハトモンゴル族郷に復興した。
- 承化寺:新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州タルバガタイ地区巴音溝牧場月牙台村。ゲルク派。チャハンゲゲンクジェ(察罕格根庫熱)
- 普化寺:新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州タルバガタイ地区霍城県恵遠鎮。恵遠城にあった。ゲルク派。
- ブアンデルゲルウレク寺院:モンゴル国アルハンガイ県ツェツェルレグ市。1586年創建。ザイイン・ゲゲーン修道院。Zayiin Gegeen。Buyandelgeruulekh Khiid。
- トッフン寺:モンゴル国ウブルハンガイ県。1648年創建。モンゴル最古級の僧院。Tövkhön
- バルダン・ベレヴェーン寺院:モンゴル国ヘンティー県ウムヌデルゲル郡。ゲルク派。1654年創建。
- オングイン寺院:モンゴル国ドンドゴビ県サイハンオボー。1660年創建。バルリム修道院とクタグト修道院からなる。Ongiin Khiid
- マンジュスリ寺院:モンゴル国ウランバートル市バヤンズルフ区。1733年創建。Manjusri。福祈寺。
- カマル寺院:モンゴル国ドルノゴビ県ハタンボラク郡。1820年創建。Khamar
- ホシェウトフスキー寺院:ロシア連邦アストラハン州ハラバリンスキー地区レーチノエ。ゲルク派。1818年創建。ロシア革命以前の唯一残るチベット仏教寺院の建築。Khosheutovsky khurul
- 釈迦牟尼黄金寺院:ロシア連邦カルムイク共和国エリスタ市ユリヤクリコヴァ通り。ゲルク派。2005年創建。ヨーロッパ最大規模の寺院だといわれる。ブルフン・バクシン・アルトゥン・スム(Burkhan Bakshin Altan Sume)。
- ゲデン・シェドゥップ・チョイコルリング寺院:ロシア連邦カルムイク共和国エリスタ市。ゲルク派。1996年創建。Geden Sheddup Choikorling
- ツォンカパ寺院:ロシア連邦カルムイク共和国ゴロドヴィコフスク市ポベーディ通り。2008年創建。Zunkva Gegan Undsni Kiid。
- グンゼチョイネイ寺院:ロシア連邦サンクトペテルブルク市プリモルスキー大通り。1909年創建。ゲルク派。グンゼチョイネイ・ダツァン。Datsan Gunzechoinei
- イヴォルギンスキー寺院:ロシア連邦ブリヤート共和国イヴォルギンスキー地区ヴェルフニャヤ・イヴォルガ村。1945年創建。活仏パンディト・カンボ・ラマの座所。イヴォルギンスキー・ダツァン。Ivolginsky Datsan
- ツィージェ・ブルガルタイ寺院:ロシア連邦ブリヤート共和国ザカーメンスク地区ウスト・ブルガルタイ。ゲルク派。1828年創建。ツィージェ・ブルガルタイ・ダッサン。Tseezhe-Burgaltai datsan
- エギトゥスキー寺院:ロシア連邦ブリヤート共和国イェラヴニンスキー地区。1820年創建。エギトゥスキー・ダッサン。Egituysky datsan
- タムチンスキー寺院:ロシア連邦ブリヤート共和国セレンギンスキー地区グシノエ・オゼロ村。18世紀半ば創建。タムチンスキー・ダッサン。Tamchinsky datsan
- アルディー寺院:ロシア連邦トゥヴァ共和国ズンヘムチクスキー地区チャダン市。1873年創建。活仏カンビー・ラマの座所。Aldee-Khuree
北華
漢民族地域。元朝がチベット仏教を重用して以来、明朝、清朝、中華民国、中華人民共和国の歴代政権が重視した。特にモンゴル民族はチベット仏教を篤く信仰した。元朝の神御殿寺はチベット仏教様式で建てられた可能性が指摘されている。元朝太廟でもチベット仏教僧による仏事が行われた。これを受けて清朝はチベット仏教をモンゴル民族支配の要とした。多くのチベット仏教寺院が都に建てられたが、官立寺院ばかりであり、漢民族への広がりは限定的だった。
- 大護国仁王寺:北京市海淀区紫竹院街道。中央民族大学周辺。フビライがパクパとの問答の中で建立の話が出て、1274年、創建。歴代帝師が居所とした。高良河寺、高梁河寺、鎮国仁王寺、西鎮国寺、花園大寺。
- 大明殿:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により白傘蓋を玉座の上に設置
- 崇天門:大都建設が始まった1267年、パスパの進言により金輪を崇天門の右の鉄柱に設置。
- 太廟:創建直後の1269年12月からチベット仏教式の仏事が行われた
- 豹房
- 大興教寺
- 普度寺:北京市東城区東華門街道南池子社区普度寺前巷35号:ゲルク派。建物のみ現存。故宮外八廟の一つ。皇城内の東南、太廟の東に位置する。本尊は大黒天。かつては明代に重華殿、清代初期にドルゴンの睿親王府があった場所で、1694年に王府を廃して大黒天を祀った。1755年、改築。1776年、乾隆帝が「普度寺」と名付けた。本堂には乾隆帝の宸筆の「慈済殿」額がある。清末以降、軍施設や小学校が置かれ、正殿などを残して解体された。2001年から修復が始まり186軒の住民と小学校を移転させた。2005年、北京税務博物館開館。2011年、北京三品美術館開館。古建築として山門(王府時代の遺構とみられる)、正殿、方丈院などが残る。正殿の基壇は明朝の重華殿のものとみられ、建物は満洲族の宮殿の特徴を示し、睿親王府の正殿と推定される。ドルゴン像や「普度寺修繕記」碑がある。瑪哈噶喇廟。(中文ウィキペディア、百度百科など)
- 普勝寺:北京市東城区東華門街道南池子社区南河沿大街111号:ゲルク派。建物は現存。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つで、北京での滞在所だったという。理藩院直属。元朝の重要な祭祀施設である太乙神壇があった場所で、明代には皇城内に取り込まれ、崇質宮が置かれた。崇質宮は1449年の土木の変で捕まり帰国した正統帝(英宗)が住んだことで知られ、黒瓦殿とも呼ばれた。1651年、順治帝が崇質宮跡に活仏ノモンハンの北京での滞在所として勅建し、「普勝寺」の名を下賜した。1744年、1776年再建。民国時代の1915年(1916年とも)に「欧美同学会」が買い取り、クラブハウスを建て現在まで続く。寺僧は「地安門東板橋火神殿」に移ったという。正殿に祀る火天が本尊で、関帝殿には関帝と観音を祀っていた。山門は三つあり、東側の大門は民国時代のもの。改修されつつも建物の基本的な構造はそのまま残っているという。境内にあった内翰林国史院大学士寧完我撰普勝寺創建記碑(1651年)、工部侍郎励宗万撰普勝寺重修碑(1744年)の二つの石碑は1984年に北京石刻芸術博物館に移された。石達子廟(石韃子廟)の俗称は、石姓のモンゴル人が住んでおり、モンゴル人のことをタタール人(達子)と呼んでいたためという。十達子廟はその転訛か。(中文ウィキペディア[5]、百度百科[6][7]、「煩木汗活仏と北京」[8])
- 嵩祝寺:北京市東城区景山街道鐘鼓社区北河沿大街25号。ゲルク派。廃絶。建物は現存。活仏チャンキャホトクトの北京での滞在所。皇城内の東北にあった。1711年、康熙帝がチャンキャホトクト2世のために創建。翌1712年、嵩祝寺と称した。1723年、ロブサンダンジンの乱が起こると、雍正帝は青海出兵を行うとともに、空席となっていたチャンキャホトクトの転生者を捜索させ、翌年、チャンキャホトクト3世の坐床式を嵩祝寺で行った。皇太子時代の乾隆帝と共に学び、乾隆帝はチャンキャホトクト3世に仏法を学んだ。1733年、大蔵経の編纂が行われ、嵩祝寺に版木と初版が保管されたため、「嵩祝寺版」とも呼ばれた。1734年伽藍修復増築。同1734年、東隣に法淵寺が創建された。1774年までには西隣に智珠寺も成立。1900年の義和団事変で、八カ国連合軍の略奪を受けた。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、嵩祝寺はゴム工場となった。その後、様々な企業に利用された。1995年に修復が行われた。2013年には古建築の一部が高級飲食店に利用されていたことが問題視された。大雄宝殿、玉座殿、玉座殿、経堂、東北院北房の建築が現存。(中文ウィキペディア[9]、百度百科[10])
- 智珠寺:北京市東城区景山街道鐘鼓社区嵩祝院23号:ゲルク派。廃絶。建物は現存。嵩祝寺の西側に位置する。『乾隆京城全図』に記載がなく、『欽定日下旧聞考』に記載されていることから1761年から1774年の間に創建されたとみられている。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、智珠寺は金漆象嵌工場となった。その後も様々な工場となった。1960年代、正殿で火災があり、建物は損傷。2012年に修復が行われた。2013年には古建築の一部が高級飲食店に利用されていたことが問題視された。山門、天王殿、正殿、浄身殿などが残る。(中文ウィキペディア[11])
- 法淵寺:北京市東城区景山街道鐘鼓社区嵩祝院。ゲルク派。廃絶。嵩祝寺の東に位置する。明朝時代の番経廠を1734年に改築して創建。番経廠は官立経典印刷所で、チベット仏教で用いるチベット語、モンゴル語、サンスクリット語版を制作した。番経廠の南には漢経廠があった。1784年、乾隆帝が大修復を行った。1950年代、嵩祝寺、法淵寺、智珠寺の三寺の境内は中国共産党に占拠され、宗教活動を停止し、法淵寺は綿花工場などに使用された。1970年代にはテレビ工場が建設され、法淵寺の建物は全て解体された。現在は中国進出口銀行北京支店ビルがある。1784年修復時の乾隆帝御製碑が五塔寺の北京石刻美術館に移転して現存する。(中文ウィキペディア[12])
- 雍和宮:北京市東城区北新橋街道雍和宮大街。重点寺院。ゲルク派、現存。南隣に国子監、東南に柏林寺、西側に北京孔廟、北方には地壇がある。即位前の雍正帝(1678-1735)<1723-1735>が宮邸とした雍親王府が前身。1694年に建てられた。雍正帝が即位した1723年、宮邸の半分をチベット仏教寺院とし、残りの半分を行宮として残した。この時、雍和宮と改称した。文化大革命で北京のチベット仏教寺院で唯一破壊を免れた。
- 弘仁寺:北京市東城区交道口街道福祥社区福祥胡同。ゲルク派。廃絶。建物は一部現存。明朝の1436年、武姓の宦官が英宗の祝寿のために家屋を寄進して寺を創建。「福祥寺」の額を下賜された。1496年、御馬監諸珰が再建。1498年、「勅賜福祥寺改築山門碑記」碑建立。1508年再建。1592年、「名僧録司左覚義守愚公司会福祥寺序」碑建立。1613年に再建。「再修福祥寺碑記」碑建立。1724年、賽赤活仏(セルティリンポチェ、噶勒丹錫埒図呼図克図、ガルダン・シラトゥ・フトクト)が北京に使節を派遣し、福祥寺を購入し、チベット仏教寺院となり、弘仁寺と改称した。中華人民共和国成立後、石炭屋や民家となった。1976年の唐山地震で被災。山門や天王殿が現存するが、傷みは著しいという。(中文ウィキペディア[13])
- 大隆福寺:北京市東城区隆福寺街。西廟隆善寺に対して東廟という。ゲルク派。廃絶。隆福寺。明朝の景泰3年(1452年)6月、景泰帝の勅命で元代の東崇国寺(南崇国寺)の跡地に創建。翌年3月、竣工。1456年1月、イスラム教の速来蠻が乱入して斧を振り回して僧侶を殺し、仏殿に放火して経典を焼いたという[14]。1574年、日本から遣明使として渡明していた臨済宗の策彦周良(1501-1579、のち恵林寺住職)が参拝[15]。清朝の雍正元年(1723年)に再建。乾隆9年(1744年)、雍和宮の属寺となり、チベット仏教寺院となった。1901年10月22日火災。の鐘楼、鼓楼、韋駄殿、大雄宝殿が焼失。1950年末、宗教活動を終える。1952年、隆福寺会が開かれる。1976年、唐山地震を受けて残りの建物が解体された。
- 資福院:北京市東城区徳勝街道什坊街。ゲルク派。廃絶。双黄寺の北西に位置した。1721年、ジェプツンダンバホトクトが康熙帝の許可を得て創建。資福院の名が下賜された。十方院、什坊院。
- 北京・慧照寺:北京市東城区東直門内北門倉胡同。廃絶。1900年の義和団事変以降、治外法権の東交民巷エリアに入った。1940年代までは活動を続けていた。
- 永安寺:北京市西城区什刹海街道景山社区北海公園。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つ。理藩院直属。北海白塔、白塔寺とも。紫禁城の北西の庭園内の瓊華島にある。風光明媚な立地から遼代から宮殿が建てられた。1651年、活仏ノモンハンが創建し、白塔寺と称した。1653年に白塔信砲を設置。白塔は1679年7月28日地震で損傷。1681年再建。1730年8月29日に地震で損傷し、1732年までに解体修理された。1741年、永安寺と改称。瓊華島周辺の大規模な造営が始まる。1743年、乾隆帝は時輪殿、鐘楼、鼓楼、山門を建立。1751年、善因殿、引勝亭、滌靄亭などを増築した。1767年、乾隆帝はチャンキャホトクト3世に天女施食を行うことを命じた。1780年9月14日、パンチェンラマ6世は永安寺に参拝して白塔に登って祈祷した。1915年、北海公園となり開放された。1964年、白塔修復。1976年7月28日の唐山地震で白塔損傷。翌年修理。1993年、白塔を含む永安寺全体を修復。毎年旧暦10月25日(燃灯節)に「白塔燃灯」が行われていた。積翠牌楼を超え、永安橋を渡ると堆雲牌楼と山門(四天王を祀る)があり、潜ると第一の主殿である法輪殿がある。法輪殿には釈迦、八大菩薩(文殊、普賢、金剛手、地蔵、除蓋障、観世音、虚空蔵、弥勒)、十八羅漢を祀り、「慈雲覚海」、「人天調御」の額がある。前庭の東西には鐘鼓楼がある。背後の石段を登ると龍光紫照牌坊があり、東西に碑亭がある。東の引勝亭には漢満蒙蔵の四言語で書かれた乾隆帝宸筆「白塔山総記」碑(1774年)があり、西の滌靄亭には乾隆帝宸筆「白塔山四面記」碑がある。引勝亭の裏には崑崙石と呼ばれる石碑があり、乾隆帝の三つの詩が刻まれる。滌靄亭の裏には「岳雲」石があり、やはり詩を刻む。正覚殿に登る階段の両脇には三つずつの洞窟があり、内部でつながっており、楞伽窟と呼ばれる。釈迦像を主尊に十大羅漢と弥勒と薬師の石仏(これらは破壊され新造されたもの)がある。正覚殿は第二の主殿といわれるが、創建時の山門で、漢伝仏教スタイルの弥勒と韋駄天を正面と背面に祀り、壁面にチベット仏教式の四天王を描く。正覚殿の前方の東西には雲依亭と意遠亭がある。普安殿の手前の東西には聖果殿と宗境殿があり宝物や仏画などが展示されている(日下旧聞考では名称が東西逆になっている)。第三の主殿の普安殿にはツォンカパとダライラマ(賈曹傑とも)、パンチェンラマ、護法尊八尊(文殊菩薩、白傘蓋仏頂、獅子面仏母、吉祥天女、勝楽金剛、無量寿仏、緑度母、黒怒母)を祀り、「慧根円相」と「如如不動」の額がある。丘の頂上への階段を登ると白塔があり、手前には善因殿がある。善因殿は天円地方を象徴するドーム型の屋根を持ち、瑠璃レンガの外壁には455体の仏像(1980年代の復元)が並ぶ。内部には銅造の大威徳金剛(1990年頃の復元)が祀られ、「鎮海仏」とも呼ばれる。白塔は高さ約36mで、塔基、塔身、相輪、宝頂の四つの部分で構成。レンガ、石、木材で作られている。塔身の正面に時輪金剛呪(十相自在図)の図様を刻む。普安殿の西側には別区画があり、皇帝の休憩所である悦心殿、静憩軒、慶霄楼、擷秀亭がある。このほか、転角房、順山房もあるらしい。寺の東の慧日亭のそばには1651年の「建塔諸臣恭紀碑」と1731年の「重修白塔碑」もある。(中文ウィキペディア[16]、百度百科[17][18]、「煩木汗活仏と北京」[19]、以若求若「北京北海公園の1ー永安寺」[20]など)
- 北京・大慈恩寺:北京市西城区什刹海街道毡子胡同。明朝の北京のチベット仏教寺院の首位だった。廃絶。別名は海印寺。元代初頭に海印寺として創建。明代の1429年に再建され、「大慈恩寺」と改称した[21]。1414年、来訪したネパール僧を居住させた。1421年、永楽帝、南京から北京に遷都。1434年頃、ツォンカパの弟子でジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー(セラ寺開山)が北京に滞在。その場所が一説には大慈恩寺だという。明朝にチベット仏教僧の最高位の「法王」「西天仏子」の位を授けられた36人のうち10人が大慈恩寺の僧だった[22]。景泰7年(1456年)、大慈恩寺僧のソェナムシェラプ(鎖南釈刺)が灌頂大国師から西天仏子に昇進。成化3年(1467年)までに、大慈恩寺僧のタシーペル(剳実巴)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化4年(1468年)に西天仏子大国師へ、同年、大応法王に昇進。成化10年(1474年)までに、大慈恩寺僧のトェントゥプイシー(端竹也失)が国師から仏子に昇進。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のションヌゥペンデン(乳奴班丹)が灌頂大国師から西天仏子となり、成化20年(1484年)西天仏子から法王。成化18年(1482年)、大慈恩寺僧のタシーギャムツォ(剳実堅剉)が西天仏子となり、成化20年(1484年)法王に昇進。成化22年(1486年)までに大慈恩寺僧のシェラプキ(捨剌吉)が西天仏子に昇進。成化22年(1486年)、大慈恩寺僧のセンゲサンポ(星吉蔵ト)が西天仏子に昇進。正徳5年(1510年)4月、大慈恩寺僧のションヌゥリンチェン(乳奴領占)が西天仏子となり、同年6月、法王に昇進。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプギェル(拾剌扎)が仏子となり、同年法王に昇格。正徳5年(1510年)、大慈恩寺僧のシェラプセンゲ(拾剌星吉)が仏子となり、正徳7年(1512年)以前に西天仏子となる。1540年4月29日、日本から遣明副使として渡明していた臨済宗の策彦周良(1501-1579、のち恵林寺住職)が大慈恩寺を参拝[23]。嘉靖22年(1543年)3月、道教を重視し、仏教統制を強める嘉靖帝は、大慈恩寺を壊し、僧侶を別の場所に移すように命じた。ほとんどは解体されたが、景光閣という建物は残っていたらしい。この建物も後年解体された。1550年、庚戌の変で北京が攻められた時、跡地の空き地が市民の避難場所に指定された。
- 北京西安門・弘仁寺:北京市西城区什刹海街道。廃絶。皇城内の北海の西にあった。1665年、鷲峰寺の旃檀仏を奉遷するために創建。1760年修復。理藩院喇嘛印務処が置かれた。1900年、義和団事変の連合国軍の攻撃で焼失。通称は旃檀寺。
- 北京・仁寿寺:北京市西城区什刹海街道。廃絶。皇城内の弘仁寺の東、北海の西にあった。1761年創建。1900年、義和団事変の連合国軍の攻撃で焼失。
- 闡福寺:北京市西城区什刹海街道。皇城内の北海の北側に位置する。1746年、乾隆帝生母の崇慶太后の命で創建。河北・隆興寺を模して建てられたという。千手千眼大白傘蓋仏母像を祀った。明代の太素殿の跡地に建てられた。1900年、義和団事変で連合国軍に略奪された。1919年に大仏殿焼失。一部残る
- 大隆善護国寺:北京市西城区護国寺街。東廟隆福寺に対して西廟という。金閣寺、大崇国寺、崇国寺、崇国北寺、大隆善寺、護国寺。
- 北京・妙応寺:北京市西城区新街口街道安平巷社区阜成門内大街。大聖寿万安寺。通称は白塔寺。
- 同福寺:北京市西城区新街口街道北順社区北玉带胡同。廃絶。1725年に勅願で創建。
- 嘛哈伽喇寺:北京市西城区護国寺街。廃絶。大隆善護国寺の裏にあった。1940年代までは活動を続けていた。
- 長泰寺:北京市西城区徳勝街道。廃絶。
- 福佑寺:北京市西城区西長安街街道。廃絶。故宮外八廟の一つ。雨神廟として建てられ、乾隆帝がチベット仏教寺院に改めた。1786年、ジャンジャホトクトの管轄下に入った。毛沢東は福佑寺で「平民通信社」を設立。パンチェンラマの事務所が置かれたことがある。
- 東黄寺:北京市朝陽区安貞街道黄寺社区。廃絶。順治帝の帰依で活仏ノモンハン(諾門汗、諾門罕、煩木汗)が北京に建てた三大寺院の一つ。理藩院直属。正殿は巨大な建築だった。活仏ミンドゥロ・フトクト(敏珠爾活仏)の北京での滞在所。前身の普浄禅林を改修して1651年に創建。1652年12月16日ダライラマ5世は北京に到着し、東黄寺に迎え、翌日西黄寺に移った。1694年、康熙帝が再建。「大乗宝殿」額を下賜。1734年、活仏ミンドゥロ・フトクト2世は北京駐在僧に任命されたため東黄寺に入った。以後、同活仏の滞在所となった。1860年、アロー戦争での英仏連合軍の北京侵攻で東黄寺、西黄寺が破壊された。1900年、義和団事変の8カ国連合軍の北京占領で略奪が行われた。1958年、東西黄寺は荒廃を理由に取り壊された。(中文ウィキペディア[24]、百度百科[25]、「煩木汗活仏と北京」[26])
- 西黄寺:北京市朝陽区安貞街道黄寺社区黄寺大街11号。重点寺院ゲルク派。ダライラマとパンチェンラマの北京での滞在所。東側の「達来喇嘛廟」(本来の西黄寺)と西側の「清浄化城塔院」(パンチェンラマ6世の塔所)の二つの区画で構成されていたが、清浄化城塔院の区画のみ現存する。遼金時代にあった「彙宗梵宇」という寺院の跡地であり、東黄寺の西側に当たる。1651年、順治帝は大臣をチベットに派遣してダライラマ5世を北京に招聘して会談した。翌1652年にも12月16日ダライラマは北京に到着し、東黄寺に迎え、翌日、西黄寺に移り、5カ月ほど滞在してチベットに帰った。以後、ダライラマの使者がたびたび滞在した。1723年、修復。1771年、朝廷により再建。1780年、乾隆帝が「彙宗梵宇」額を下賜。同年7月22日、パンチェンラマ6世は熱河避暑山荘に招かれ、乾隆帝の70歳の天長節の祝賀に出席。これに合わせて熱河にタシルンポ寺を模した須弥福寿之廟が建てられた。9月、乾隆帝はパンチェンラマ6世を北京に招き、西黄寺に迎えた。ところが10月29日、天然痘にかかり発病。11月2日死去。そのため、乾隆帝は丁寧に追悼し、翌1781年2月13日の舎利のチベット出発時には西黄寺に行幸して自ら焼香した。1782年、寺の西に「清浄化城塔院」を設け、清浄化城塔を建ててパンチェンラマ6世の衣冠を納め、「清浄城塔記」を記して弔った。1860年、アロー戦争での英仏連合軍の北京侵攻で東黄寺、西黄寺が破壊された。1900年、義和団事変の8カ国連合軍の北京占領で略奪が行われた。1903年、イギリスのチベット侵攻が勃発し、1908年9月4日、光緒帝はダライラマ13世を北京に招き、西黄寺に滞在させた。ダライラマはチベット救援を訴えたが清朝は動かなかった。10月、光緒帝と慈禧太后が相次いで崩御。西黄寺などで追悼法会を行った。11月28日に北京を離れたが滞在中、各国公使や各民族の仏教徒が西黄寺に出入りし集まり、交流を持った。1924年、清浄化城塔院の正殿を再建。1925年2月20日、パンチェンラマ9世はチベットを逃れて民国政府を頼り、北京に入った。1927年、福佑寺に事務所を設置し、1928年、清浄化城塔院を修復した。以後、民国時代は清浄化城塔院と西黄寺は別に運営された。日中戦争で被害を受けたが活動は存続。戦後、中華人民共和国の成立で北京市人民政府の管理下となり、1952年に清浄化城塔院を修復。1954年にはパンチェンラマ10世が第1回全国人民代表大会に出席の合間に清浄化城塔を参拝。しかし1958年、東西黄寺は荒廃を理由に取り壊され、清浄化城塔院のみが残った。1983年、西黄寺(清浄化城塔院)が重点寺院となる。1987年9月1日、パンチェンラマ10世と趙朴初の提案で中国チベット語系高級仏学院が西黄寺に設立された。2008年8月31日、修復。2018年5月18日、西黄寺博物館を開設。中国共産党中央統一戦線部の管理下にある。(中文ウィキペディア[27]、百度百科[28]ほか)
- 北京・化成寺:北京市朝陽区。廃絶。1900年の義和団事変以降、治外法権の東交民巷エリアに入った。1940年代までは活動を続けていた。
- 北京・浄住寺:北京市朝陽区朝外街道浄住胡同。廃絶。1645年、明代の古刹を修復して創建。1721年、外モンゴルの王公により無量寿仏を供養し、康熙帝から寺額を下賜。1766年修復。1940年代までは活動を続けていた。跡地に悠唐生活広場がある。
- 北京・三宝寺:北京市朝陽区朝外街道朝外四条。廃絶。新寺と呼ばれた。創建不詳。1737年に修復。1919年、修復。1933年修復。1995年、寺を含む朝外四条は全て取り壊された。跡地には泛利ビルがある。
- 北京・三仏寺:北京市朝陽区朝外街道三豊胡同。廃絶。清朝の順治初年の創建。1649年、阿旺扎穆揚胡図克図の座所とされた。1774年の修繕記録が史料に残る。1956年解体。
- 徳寿寺:北京市大興区旧宮地区。南苑内の旧衙門行宮に併設された。。廃絶。ゲルク派。1652年、順治帝はダライラマ5世を北京に招いた。度重なる折衝の結果、ダライラマ5世を迎える際、順治帝が狩に出たところ出会ったという形を取った。1658年、順治帝はこの邂逅の場所に建てたのが徳寿寺だった。1755年、火災で焼失。翌年再建。乾隆帝は何度も徳寿寺を訪れた。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、乾隆帝は徳寿寺の中に御殿を整備して接待した。民国時代に破壊された。東西碑のみ残る。
- 永慕寺:北京市大興区旧宮地区。廃絶。南苑内の旧衙門行宮に併設された。徳寿寺の西に当たる。1691年、太皇太后の誕生日を祝うために創建。1764年に再建。
- 広通寺:北京市海淀区北下関街道。廃絶。北京外八剎の一つ。元朝に建てられた法王寺が前身。1712年再建し、康熙帝が広通寺の名を下賜した。1733年再建。清代は民間チベット仏教寺院だったという。
- 宗鏡大昭之廟:北京市海淀区香山公園。ゲルク派。廃絶。1780年、乾隆帝の70歳の祝賀のため、パンチェンラマ6世が承徳避暑山荘を経て、北京に入った。この時、宗鏡大昭之廟を建てて滞在所とした。1860年10月、アロー戦争、1900年、義和団事変で掠奪破壊された。2012年9月29日、修復。昭廟。
- 香山宝諦寺:北京市海淀区香山街道。廃絶。1751年創建。香山のチベット仏教寺院群の中心。五台山の菩提頂を模したという。義和団事変で連合国軍に破壊された。石牌坊の残骸が残るという。
- 香山宝相寺:北京市海淀区香山街道。廃絶。1762年創建。五台山殊像寺を模した。香山宝諦寺の西にある。義和団事変で連合国軍に破壊された。旭華之閣、御制碑が残る。
- 香山長齢寺:北京市海淀区香山街道。廃絶。香山梵香寺の後ろにあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。
- 香山方円廟:北京市海淀区香山街道。廃絶。1762年創建。方廟と円廟で構成。宝相寺の西にあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。
- 香山梵香寺:北京市海淀区香山街道。廃絶。1749年創建。香山宝相寺の東にあった。義和団事変で連合国軍に破壊された。来遠斎(通称「松堂」)が残る。
- 香山実勝寺:北京市海淀区香山街道。廃絶。表忠寺(通称鮑家寺)が前身で大小金川の戦いの戦勝記念で1749年に乾隆帝により実勝寺として再興された。義和団事変で連合国軍に破壊された。「勅建実勝寺碑記」の碑亭が残るという。
- 大報恩延寿寺:北京市海淀区青龍橋街道。頤和園(清漪園)内にある。1750年、乾隆帝が崇慶皇太后の60歳の誕生日を祝うために円静寺跡地に創建。1860年、アロー戦争で多くの伽藍が焼失。跡地には遺構を生かして庭園建物が建てられた。再建された仏香閣には千手観音を祀る。
- 円明園正覚寺:北京市海淀区青龍橋街道。離宮円明園の中にある。廃絶。1773年10月、創建。1860年、円明園はアロー戦争で略奪され、1900年、義和団事変で連合軍に破壊された。円明園の中で正覚寺は比較的に被害を免れた。民国時代に顔恵慶に購入され、寺院としては廃絶した。2002年から当局による修復再建を開始し、2011年に竣工。2023年、博物館として開館した。新正覚寺。
- 功徳寺:北京市海淀区万柳地区功徳寺社区。元朝の勅建寺院。神御殿寺。大承天護聖寺。西湖寺。跡地には海淀区学校物流管理センターがある。
- 慈度寺:北京市海淀区花園路街道冠城園社区。廃絶。俗称は前黒寺。1926年に略奪放火される。海淀区民族小学校などがある。
- 察罕喇嘛廟:北京市海淀区花園路街道冠城園社区。廃絶。1645年創建。俗称は後黒寺、馬甸黒寺。大清古刹。
- 聖化寺:北京市海淀区巴溝。廃絶。康熙年間、庭園とともに造営され、聖化寺園と呼ばれた。1767年、大規模な増築が行われた。アロー戦争と義和団事件で破壊された。通称は喇嘛廟。
- 慈佑寺:北京市海淀区挂甲屯。西苑内。廃絶。1940年代までは活動を続けていた。
- 五台山:山西省忻州市五台県台懐鎮にある、文殊菩薩の霊山。中国仏教四大霊山の一つ。100あまりの寺院がある。清涼山ともいう。ダライ・ラマ13世が清末に訪れている。
- 塔院寺:五台山の5つの峰に囲まれた地にある町「台懐鎮」にある。霊鷲峰の麓にある。伽藍の中心となる大白塔は五台山のシンボル的存在として認知されている。元は顕通寺の一院「閣院」であったが、のち独立してチベット仏教寺院となる。重点寺院。
- 菩薩頂:五台山台懐鎮の「霊鷲峰」の頂上にある。北魏孝文帝の時代に創建されたとされ、清の康煕年間に再建されチベット仏教に改宗。民国時代までダライ・ラマから6年ごとに派遣された高僧ジャサク・ラマが住し、全山のチベット仏教僧侶を監督した。重点寺院。真容院。大文殊寺。
- 殊像寺:山内最大の文殊菩薩像がある。重点寺院
- 羅睺寺:唐代の創建と伝える。のちチベット仏教に改宗したらしい。名前は羅睺羅とは関係なく、修復した2人のチベット人の名。
- 観音洞:重点寺院。
- 鎮海寺:清の乾隆年間の創建。章嘉国師塔あり。
- 外八廟:河北省承徳市双橋区
- 易県・永福寺:河北省保定市易県梁格荘鎮梁格荘村。清西陵の東にある。
- 薊州・隆福寺:天津市薊州区孫各庄満族郷隆福寺村。清東陵に付属する。廃絶。唐代初頭の創建と伝え、清朝の1774年に再建され、チベット仏教に改宗。1753年、隆福寺行宮を寺の西に建てた。埋葬の際の奉安所にもなった。民国時代に行宮とともに破壊された。葛山隆福寺。
- 広仁寺:陝西省西安市蓬湖区(長安)。重点寺院。
満洲地域
- 実勝寺:中国遼寧省瀋陽市。パスパ造立の大黒天像を奉安していた。清朝皇室とゆかりが深く、皇寺と呼ばれる。
- 護国延寿寺:遼寧省瀋陽市和平区北市場街道。西塔。
- 護国法輪寺:遼寧省瀋陽市皇姑区北塔街道。北塔。
- 護国永光寺:遼寧省瀋陽市大東区東塔街。東塔。
- 護国広慈寺:遼寧省瀋陽市瀋河区南塔公園。南塔。
- 遼陽・蓮華寺:遼寧省遼陽市白塔国南門街道喇嘛園社区。清朝(当時はマンジュ国)とチベット仏教の接触を示す最古の寺院。ヌルハチは1621年3月20日に遼陽に遷都。同年5月21日、ヌルハチはモンゴルのホルチン部からダルハン・ナンソ(ナンソ・ラマ)を招き謁見。同年8月21日、ダルハン・ナンソ死去。ヌルハチが勅命で埋葬した。1630年、ホンタイジは改めて墓塔を建てた。同年「大金喇嘛法師宝記碑」を建立。1658年「大喇嘛墳塔勅建碑」「遼陽蓮華寺碑記」を建立。1664年、蓮華寺を建立。戦前には伽藍はあったようだが現状不明。大喇嘛塔、喇嘛塔園。
ヒマラヤ
東ヒマラヤ
ブータン王国やシッキムやその他インド領
- サンドペルリ寺:ブータン王国。パドマサンバヴァの旧跡
- ゴムコラ寺:ブータン王国。パドマサンバヴァが瞑想した巨岩がある。
- クルジェ寺:ブータン王国。パドマサンバヴァが最初に布教したのがこの地という。王室の葬儀を司る。
- キチュ寺:ブータン王国。
- チミ寺院:ブータン王国。
- ジャンペ寺:ブータン最古の寺院。627年にチベットのソンツェンガンポ王が創建した108の寺院の一つとされる。
- タクツァン寺:ブータン王国。
- チャンガンカ寺:ブータン王国。
- デチェンポダン寺院:ブータン王国。
- トンサゾン:ブータン王国。
- ドゥプトプ寺:ブータン王国。
- パロゾン:ブータン王国。
- パンリザンパ寺:ブータン王国。
- チョモラリ山:ブータン王国。
- タシチョゾン宮殿:ブータン王国。
- メモルアルチョルテン:ブータン王国。
- シッキム王宮
- エンチェイ寺院:王都ガントクを代表する寺院。
- サンガチューリン寺院:シッキムで最古の寺院
- タシディン寺院:シッキムで最も重要なチベット仏教寺院。1716年の創建。
- ダブディ寺院:シッキム最古の寺院
- ツクラカン寺院
- ペマヤンツェ寺院:シッキムで最も重要なチベット仏教寺院。1697年に創建。シッキムで二番目に古い。
- グーム寺院:西ベンガル州ダージリン。ゲルク派。1850年創建。高さ5mの弥勒菩薩像がある。イガチョリン寺院。
- ブティアブスティ寺院:西ベンガル州ダージリン。カギュ派。1879年創建。1930年代の地震で被災。『死者の書』の原本を所蔵。
- タワン寺:インドアルナーチャル・プラデーシュ州タワン県/チベット自治区山南地区ツォナ市タワン県。国境係争地域でインドが実効支配。ゲルク派。ダライラマ5世が創建。インド最大のチベット仏教寺院ともいう。達旺寺。
- ウルゲリン寺:インドアルナーチャル・プラデーシュ州タワン県/チベット自治区山南地区ツォナ市タワン県。国境係争地域でインドが実効支配。ダライラマ6世の生誕地。
- ゴルサムチョルテン:インドアルナーチャル・プラデーシュ州タワン県/チベット自治区山南地区ツォナ市タワン県。国境係争地域でインドが実効支配。ネパールのボダナート寺院を模した。塔のあるゼミチャンはダライラマ14世がインドに入国した地。
西ヒマラヤ
ラダック地方
- アルチ寺院:ラダック
- ニャルマ寺院:ラダック
- ラマユル寺院:ラダック
- タボ寺院:スピティ
- ピャン寺院:ラダック
- ナムギャルツェモ寺院:ラダック・レー
- ヘミス寺:ドゥク派。ラダック連邦直轄領レー県カルー郡ヘミス村。ラダック最大の寺院。1638年、ラダック王セムゲーナムゲルが、ブータンからタクツァンレーパを招いて創建。チベット暦5月にはパドマサンバヴァの生誕を祝うチェチュ祭があり、仮面舞踊が行われる。2時間登った山の上に奥の院的な小洞窟がある。菩提法寺とも。Hemis Gompa。ヘミスゴンパ
- シェー寺:
中央ヒマラヤ
ネパール
- スワヤンブナート寺院:カトマンズ。国内最古の寺院で、国内でもっとも重要なチベット仏教寺院。
- ヒラニャヴァルナマハヴィハル寺院:パタン。通称「黄金寺院」。
亡命寺院
- 亡命ネチュン寺:インド共和国ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ。
- 亡命キルティ寺:インド共和国ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
- 亡命ドルジェタク寺:インド共和国ヒマーチャル・プラデーシュ州
- 亡命ツルプ寺:インド共和国シッキム州ルムテク。ルムテク寺院
- 亡命サンガチューリン寺:インド共和国西ベンガル州ダージリン
- 亡命セラ寺:インド共和国カルナータカ州ムンゴット
- 亡命デプン寺:インド共和国カルナータカ州ムンゴット
- 亡命タシルンポ寺:インド共和国カルナータカ州バイラクッペ
- 亡命ガンデン寺:インド共和国カルナータカ州
- 亡命ペユル寺:インド共和国カルナータカ州バイラクッペ
- 亡命ミンドルリン寺:インド共和国ウッタラーカンド州デラドゥン
- 亡命シェチェン寺:ネパールカトマンズ
- 亡命ディグンティ寺
- 亡命ペルプン寺:インド共和国ヒマーチャル・プラデーシュ州
宗派
- ゲルク派:拠点はガンデン寺。ゲルク派六大寺院
- ニンマ派:パドマサンバヴァを開祖とする。ニンマ派六大寺院
- カギュ派:マルパと、チベットの詩聖とされるミラレパを開祖とする。
- シャン派:キュンポ・ケートゥプ。教団は現存しない。拠点はシャンション寺。香巴。
- タクポ派:ガムポパ系の総称。拠点はガムポ寺。達波
- ツェル派:ガムポパの弟子ツゥンドゥー・タクパ。拠点はツェルグンダン寺。采巴。
- バロム派:拠点はバロム寺。跋絨。巴融。
- カルマ派:最大流派。ガムポパの弟子トゥースム・キェンパ。拠点はツルプ寺とヤンパチェン寺。噶瑪巴。
- パクモドゥ派:ガムポパの弟子ドルジェギェルポ。政権を築く。 拠点はデンサ・ティル寺、のちツェタン寺。帕竹。
- ディクン派:ドルジェギェルポの弟子リンチェン・ベル。1285年から1291年まで元朝に反乱を起こすが鎮圧される。拠点はディグンティ寺。直貢。
- ドゥク派:ドルジェギェルポの孫弟子のツァンパ・ギャレー、イェシェー・ドルジェ。拠点はドゥク寺。竹巴。主巴。
- 北ドゥク派:拠点はラルン寺
- 南ドゥク派:ガワン・ナムゲル。ブータン王国の国教。
- タクルン派:タンパ・チェンポ。拠点はタクルン寺、リウォチェ寺。達隆。
- ヤーサン派:教団は現存しない。拠点はヤーサン寺。雅桑。
- トプ派:教団は現存しない。拠点は超浦寺。綽普。超浦。措普?
- シュクセプ派:教団は現存しない。拠点はシュクセプ寺。修賽。休色、雄色
- イェル派:教団は現存しない。拠点は葉浦寺。也巴。耶巴
- マルツァン派:教団は現存しない。拠点はマルツァン寺。Martsang。瑪倉。
- サキャ派:政権を築く。拠点はサキャ寺
- カダム派:アティーシャ、ドムトゥンが開祖。拠点はラデン寺
- ジョナン派:チョナン派。拠点はチョモナン寺(タクテンプンツォクリン寺)
信仰
尊格の分類は1982『チベット密教の研究ー西チベット・ラダックのラマ教文化について 改訂増補』の頼富本宏「ラマ教尊像の分類」を参考にしつつ便宜上変えた[29]。不動と馬頭は護法尊ではなく、守護尊に入れ、ダーキニーは雑尊ではなく女尊に入れ、雑尊は護法尊に入れた。諸尊も様々に加えた。
顕教仏
- 釈迦如来
- 薬師如来
- 無量寿如来:無量光如来とは区別する。
- 三十五懺悔仏
- 三世仏
密教仏
- 大日如来
- 阿閃如来
- 宝生如来
- 阿弥陀如来:無量光。無量寿如来とは区別する。
- 不空成就如来
- 本初仏
- 金剛薩埵
- 持金剛
- 法身普賢
菩薩
- 八大菩薩:日本などとも共通
- 三種主尊:三怙主、三佑怙、依怙三尊、三護主、聖三部主とも。Rigsum gompo。仏部・金剛部・蓮華部、知恵・慈悲・行動、身口意を象徴するとも。
- 観音菩薩
- 四臂観音菩薩
- 十一面観音菩薩
- 千手観音菩薩
- 獅子吼観音菩薩
- 文殊菩薩
- アラパチャナ文殊菩薩
- 法界語自在文殊菩薩
- 弥勒菩薩
- 金剛手菩薩
- 柔和相
- 憤怒相:金剛薩埵と酷似
- 金剛摧破菩薩:金剛手菩薩の一種とも。
- 部多鬼金剛手:憤怒相金剛手菩薩の一種。
守護尊
守護尊(イダム)。憤怒尊の系統。日本仏教でいう「明王」に近い位置付けだという。護法尊と混同されがちだが明確に異なるという(田中公明「仏教の尊格の受容と変容」[[32]])。 父母仏の形態を取る?
- グヒヤサマージャ:秘密集会仏。阿閦如来の顕現。ツォンカパの守護尊の一つ。
- ヴァジュラバイラヴァ:怖畏金剛仏。ゲルク派の守護尊の一つ。文殊菩薩の化身。ヤマーンタカ(大威徳明王)の後身。
- へーヴァジュラ:呼金剛仏。喜金剛仏。金剛薩埵の顕現。降三世明王が発展したヘールカの一種。明妃はナイラヤートミヤー。サキャ派の守護尊。
- チャクラサンヴァラ:勝楽仏。時制仏。金剛薩埵の顕現。降三世明王が発展したヘールカの一種。単にサンヴァラとも。明妃はヴァジュラヴァーラヒー。
- マハーマーヤ:明妃はブッダダーキニー
- カーラチャクラ:時輪金剛仏。阿閦如来の顕現。明妃はヴィシュヴァマター
- ヤマーリ:ヤマーンタカ(大威徳明王)と同一とも。
- ヘールカ
- ブッダヘールカ
- ヴァジュラヘールカ
- ラトナヘールカ
- パドマヘールカ
- カルマヘールカ
- 不動
- 馬頭
女尊
- 般若菩薩(Prajnaparamita):般若仏母。ときには抽象的な般若波羅蜜多そのもの
- 仏頂尊勝
- 仏眼仏母(Buddha-Lochana)
- 密智仏母(Guhyajnana)、
- 摩摩祇仏母(Mamaki)
- 白衣仏母(Pandaravasini)
- 金剛仏母
- 金剛亥母(Vajravarahi。ドルジェ・パモ。Dorje Pakmo)
- 金剛瑜伽母:ヴァジュラヨーギニー
- 普賢母
- ターラー:21ターラーがあるという(組み合わせは諸説あり)
- 白ターラー
- 緑ターラー
- 八臂ターラー
- 白傘蓋仏母:白傘蓋仏母は転輪聖王を尊格化・密教化したものともいわれ、王権と結び付くことで知られる。1270年、パスパの進言で元朝の大都元明殿の御座に白傘蓋が設置され、大護国仁王寺から発して皇城の周囲を巡る白傘蓋仏事が以後毎年行われた[33]。
- パルナシャバリー
- 弁天
- ダーキニー:空行母
- 虎面空行母
- 獅面空行母:センドンマ。獅面仏母。守護尊ともされる。
- 熊面空行母
- ヴァジュラヨーギニー
護法尊
護法尊。ダルマパーラ(Dharmapala)。チューキョン。テンスン。日本仏教でいう天部に近い。インド伝来のものと、チベット在来の信仰が取り入れられたものとがある。要検討。
- マハーカーラ(Mahakala):護法神。「ゴンポ」(保護者)と呼ばれる。多数の派生がある
- マハーカーラ・マニン(Mahakala Maning)
- マハーカーリ(Mahakali)
- 四臂マハーカーラ
- 六臂マハーカーラ
- 四面マハーカーラ
- アーユスパティ・マハーカーラ
- ゴンポ・ディクック
- グルキグンポ:サキャ派の守護神。『ヴァジュラパンジャラ・タントラ』に説かれるマハーカーラ。
- ヤマ:ダルマラージャ
- チューギェル:ヤマの異名。ゲルク派の守護神。閻魔?
- ペハル(Pehar):サムイェー寺の護法神。ネチュン寺にも祀られる。ペハール。ペハル・ギャルポ(Pehar Gyalpo)。白哈爾王。
- ドルジェタク:ペハルの化身?ドルジェタクデ
- ダムチェン法王:シンジェの異名。ヤマ(閻魔)に由来。
- ツェンゴェチェンモ:
- タオク:ペハルの眷属。ナーランダー寺院の悪僧がチベットに転生したと伝える。プトラナクポと同一。
- チャティチェンモ:
- アツァラ:タオクの眷属。アーチャーリヤ(阿闍梨)の転訛
- ヴァイシュラヴァナ(Vaisravana):毘沙門天
- ペンデンラモ:欲界自在母。吉祥天女由来とも。パルデン・ラモ(Palden Lhamo)。ハモ?
- ルモカルモ:
- シュクデン(Shugden):ダライラマ14世が禁止
- ドルジェ・レクパ(Dorje Legpa):ダムチャン・ドルジェ・レクパ。
- ケサル王(Kesar)?
- ラモ?
- マハーチャクラ
- テンマ十二尊?
- ヤルラシャムポ
- ニェンチェンタンラ:ニェンチェンタンラ山の神
- エカジャーティ(Ekajati)
- ラフラ(Rahula):ラーフ
- ラマ・ユードゥンマ
- ベクツェ:ゲルク派で信仰される。チャムスィンともいう。
- ツェリンマ:山の神としても信仰される。
- ジャンバラ
- 四天王
- チティパティ(Citipati)
- マモ
- プトラナクポ
祖師
化身ラマ
化身ラマはチベット仏教独自の法統の継承制度と信仰。所定の手続きに従い、継承者を決める。カルマパに始まるという。全ての宗派が採用しているわけではなくサキャ派座主は転生制度を採用せず、一族の世襲。チベット語ではトゥルク、モンゴル語ではフビルガンと呼ばれる。中国語では俗に活仏といい、未成年の時には霊童と呼ぶ。尊称としてリンポチェやホトクトを用いることもある。転生ラマとも。
チベット
- ダライ・ラマ(Dalai Lama、達頼喇嘛):ゲルク派:トゥルナン寺:ツクラカン寺_(ダラムサラ):チベット仏教およびチベットの最高指導者で法王とも呼ばれる。ゲルク派の首位。インドに亡命。観音菩薩の化身。
- パンチェン・ラマ(Panchen Lama、班禅喇嘛):ゲルク派:タシルンポ寺:(亡命タシルンポ寺?):阿弥陀如来の化身。ダライラマと中国政府が別の人物を指名して2人いることになっている。
- アジャ・ホトクト(Arjia Hotogtu、阿嘉呼図克図):ゲルク派:タール寺:アメリカ?:開祖ツォンカパの父親の転生。
- カルマパ(Karmapa、噶瑪巴):カギュ派:ツルプ寺:ルムテク寺:カルマ派(カギュ派の中の最大派閥)の教主。観音菩薩の化身。黒帽ラマと呼ばれる。
- シャマルパ(Shamarpa、夏瑪巴):カギュ派:ヤンパチェン寺:ルムテク寺?:カルマ派の次席僧侶。阿弥陀如来の化身。赤帽ラマ。
- タイシトゥ(Tai Situ、大司徒)
ブータン
- ダルマ・ラジャ(Dharma Raja)?:シャブドゥン・ンガワン・ナムゲル(Zhabdrung Ngawang Namgyel、1594-1651)の化身???
- ペリング・ソントゥルル(Peling Sungtrul):ニンマ派:ガンテー寺:ペーマリンパの化身。ペーマリンパ(Pema Lingpa、貝瑪林巴)(1450-1521)は埋蔵宝転発掘者。パドマサンバヴァあるいはロンチェン・ラプジャンパの化身とされた。ギェルワラナンパの家系に生まれた。ペツェリン寺、タムシン寺、クンサンダ寺などを創建した。ガンテー寺にはペーマリンパの供養塔がある。パドマ・リンパ。
- ペリング・トゥクサイ(Peling Thuksay):トゥクサイ・ダワ・ギエルシェン(Tukse Dawa Gyaltsen、1499-1586)(ペーマリンパの子)の化身
- ペリン・ギャルセ(Peling Gyalse):ガンテ・トゥルク(Gangteng Truelku)の名でも知られる。ガンテ寺院座主。ギャルセ・ペマ・ティンレー(Gyalse Pema Thinley、1564-1642)(ペーマリンパの孫)の化身。
モンゴル
ジェプツンダンバ・ホトクトが外モンゴルの首座、清朝国師を務めたジャンギャ・ホトクトが内モンゴルの首座にあったがジェプツンダンバへの崇敬は全モンゴルに行き渡っていたという。清朝時代には朝廷は、多くの信者(シャビナル)を抱える有力な化身ラマに対して行政権を与えた。この時渡した証書を「印信」と呼び、行政権を持つ「印信ホトクト」は清末までに外モンゴルだけで13人いたという。
- ジェプツンダンバ・ホトクト(Jebtsundamba Khutuktu、哲布尊丹巴呼図克図):ゲルク派:イヘフレー:ー:外モンゴルでの最高指導者。ターラナータの転生とされる。印信ホトクト。移動式寺院のイレフレーが拠点であり、やがて定着してガンダン寺となり、その周辺に形成されたのが現在の首都ウランバートルである。モンゴル独立時には一時的に君主ともされた。通称ボグドゲゲーン、オンドゥルゲゲーン。
- ザヤ・パンディタ・ホトクト(Zaya Pandita Khutuktu、咱雅班第達呼図克図):外モンゴル二位?印信ホトクト。ハルハ三大化身僧の1人。1世のロサンチンレー(1642-1715)はジェプツンダンバ1世の弟子。オイラトのザヤ・パンディタの名にちなんで名付けられたという。1701年頃、現在のブルガンスムにザインフレー寺を創建。1737年、遊牧ラマ旗が認められる。通称ザインゲゲーン。ノヨン・フトクト。「ザインゲゲン伝考証」[34]
- エルデニ・パンディタ・ホトクト(Erdeni Pandita Khutuktu):外モンゴル3位?印信ホトクト。ハルハ三大化身僧の1人。1世のロサンテンジンギェルツェン(1639-1703)はジェプツンダンバ1世の弟子。1662年、「エルデニ・パンディタ・ホトクト」号をジェプツンダンバから賜る。1681年寺院創建。1691年、康熙帝から「エルデニ・パンディタ・ホトクト」号を改めて賜る。1694年、ジェプツンダンバから新たに「ケンボーノモンハーン」号を授けられる。フトクトまたはラムインゲゲーンと呼ばれるのはこれ以降のことという。通称ラミンゲゲン、ラミンゲゲーン、ラマインゲゲーン。ラミンゲゲーン寺が拠点。エルデネ・バンディッタ・ホトクト。「ラマインゲゲーン考」[35]
- ジャルハンズ・ホトクト(Jalkhanz Khutagt、扎勒堪扎呼図克図):印信ホトクト。ウリヤスタイを拠点とする。モンゴル独立時には首相となった。
- ナローバンチェン・ホトクト(那魯班禅呼図克図):ナローバンチェン寺院:ハルハ十三大化身ラマの1人。6世プレヴジャブは1937年弾圧の凶弾に倒れた。7世ダンザンルフンデブ(1993-)。モンゴル科学技術大学卒。ナルバンチン?ナロバンチン?印信ホトクト?
- ディロワ・ホトクト(Diluv Khutagt、迪魯瓦呼図克図):ナローバンチェン・ホトクト5世の次席。5世(1884―1965)は、アメリカに亡命してモンゴルの国連加盟のためにロビー活動を展開。
- ツェレンドンドブ?:ミラレパの化身。ミロ聖
- ヤルゴーグスン・ホトクト・ロブサンサンドブ:印信ホトクト。
- チン・スジクト・ノモン・ハン:印信ホトクト。
- ノモン・ハン・ホトクト:印信ホトクト?
- ハンバ・ノモン・ハン?
- ノモン・ハン・エルデニ・ハンバ?
- エルデニ・メルゲン・ノヤン・ホトクト:印信ホトクト。
- ユグゼル・ホトクト:印信ホトクト。
- ナラン・ホトクト:印信ホトクト。
- シバ・シレート・ホトクト:印信ホトクト。
- ノヤン・ホトクト:印信ホトクト。
- ゲレグ・ノヤン・ホトクト?
- ホトクト・ザサグ・ラマ
- サマディ・バクシ?
- ジャンギャ・ホトクト(章嘉呼図克図、Changkya Khutukhtu):内モンゴル第一の化身ラマ。清朝の国師。
- ガンジュルワ・ホトクト(甘珠爾巴呼図克図):内モンゴルの高位転生ラマ。カンギュルワホトクト。座所は彙宗寺と五当召。
役職・称号
元代
明代
明朝が与えた称号。法王、西天仏子、大国師、国師、禅師、都剛(都綱)、剌麻の7等級とされる。灌頂国師、副禅師もみられる。為政者の称号としての「王」もある。
- 法王
- 大宝法王:カギュ派カルマ派。カルマパに授けられた。「万行具足十方最勝円覚妙智慧善普応佑国演教如来大宝法王西天大善自在仏」。
- 大乗法王:サキャ派のラカン家が得たという。「万行円融妙法最勝真如慧智弘慈広済護国宣教正覚大乗法王西天上善金剛普応大光明仏」。
- 大慈法王:ゲルク派。ジャムヤン・チュジェ・サキャイェーシェー(ツォンカパの弟子。セラ寺開山)の一代かぎり。「万行妙明真如上勝清浄般若弘照普応輔国顕教至善大慈法王西天正覚加来自在大円通仏」。
- その他:大智法王、大善法王、大済法王、大応法王、大悟法王、大徳法王
- 王:明朝は僧侶だということを認識しつつも宗教者としてではなく、周縁国家の首長として王の号を授けた
- 闡化王:カギュ派パクモドゥ派。パクモドゥパ本人。
- 賛善王:サキャ派リンツァン派?
- 護教王:ゴンジョ。サキャ派
- 闡教王:カギュ派ディクン派。ディクンパ本人。
- 輔教王:思達蔵。タグツァン。サキャ派タグツァン派?
清代
- 文殊皇帝:清朝の皇帝は文殊菩薩の化身とされた。文殊菩薩の聖地の五台山を重視した。「文殊菩薩大皇帝」。
- 駐京ラマ:清朝のチベット仏教への宗教行政を補佐する
- ジャンギャ・ホトクト:「駐京ラマ」の最高位。駐京八大ラマの一つ。駐錫所は嵩祝寺や五台山鎮海寺。チベット仏教の僧で唯一「大国師」となる。章嘉呼図克図。章嘉活仏。
- ガルダンシレトゥ・フトクト:「駐京ラマ」の次位。駐京八大ラマの一つ。噶勒丹錫哷図呼図克図。賽赤。
- ミンドゥロホトクト:駐京八大ラマの一つ。東黄寺に駐在。敏珠爾呼図克図。ミンドゥル
- ジロン・ホトクト :駐京八大ラマの一つ。ラサ功徳林寺。済隆呼図克図。達察活仏(ダチャ活仏)。クンデリン
- トンコルホトクト:洞科爾呼図克図。洞闊爾。ドンコル
- ゴマンホトクト:果蟒呼図克図
- サムチャツァンホトクト:駐京八大ラマの一つ。ラプラン寺の化身ラマの一つ。那木喀呼図克図 。薩木察倉活仏。
- オセルホトクト:鄂薩爾呼図克図
- アジャホトクト:駐京八大ラマの一つ。タール寺の化身ラマ。阿嘉呼図克図。阿嘉活仏。アキャ
- ラコ・ホトクト:駐京八大ラマの一つ。タール寺の化身ラマの一つ。喇果呼図克図 。拉科活仏。拉果。
- クンタンホトクト:ラプラン寺の化身ラマの一つ。貢唐呼図克図。
- トゥカンホトクト:拠点は青海佑寧寺やタール寺。土観呼図克図。
- チャハンダルハンホトクト:駐京八大ラマの一つ。察罕達爾汗
- モンゴルの化身ラマの序列は、ホトクト、ノモンハン、シャプドゥン、フビルガンの4段階とされる。
- 僧官序列:欽定大清会典[36]より。あくまで清朝による制度であって、チベット本土のものではない(実際、モンゴル対策が中心か)。「大喇嘛」は「達喇嘛(ダラマ)」とも表記する。扎薩克は「ザサグ」とも読み、「執政」「旗長」などを意味し、清朝がモンゴルなどを統治するために一族の首長を任命した役職を僧侶にも応用した。配下を持つ僧官は事務を司る「印務処」を置いた。
- 国師:会典には別記されていないが、「大国師」(ジャンギャ・ホトクトが就く)が首位にいる。
- 禅師:
- 扎薩克大喇嘛:ジャサクダラマ。
- 副扎薩克大喇嘛:副ジャサクダラマ
- 扎薩克喇嘛:ジャサクラマ
- 大喇嘛:ダラマ
- 副喇嘛:副ラマ
- 間散喇嘛:引退した僧侶が就く名誉職か。蘇拉喇嘛とも。
- 徳木斉:デムチ
- 格斯規:ゲスグイ
- 格隆:ゲロン
- 班第:パンディ
- 京師総管喇嘛班第扎薩克大喇嘛:1人。北京市。印務処は嵩祝寺、雍和宮に置かれた。配下に副扎薩克大喇嘛1人、扎薩克喇嘛4人、大喇嘛18人、副喇嘛7人、閑散喇嘛10人が置かれた。
- 帰化城扎薩克大喇嘛:1人。内モンゴル自治区フフホト市。印務処は当初、大召寺に置かれたが後に席力図召寺に移った。配下に副扎薩克大喇嘛1人、扎薩克喇嘛6人が置かれた。
- 多倫諾爾扎薩克大喇嘛:1人。内モンゴル自治区シリンゴル盟ドロンノール県ドロンノール鎮。長官はジャンギャ・ホトクトだったが、北京の長官でもあったため、他の僧官が代行するようになったか。ラクワホトクトの名が史料には確認できる。印務処は当初、彙宗寺に置かれたが後に善因寺に移転した。配下に大喇嘛2人、副喇嘛1人が置かれた。
- 盛京実勝寺大喇嘛:1人。遼寧省瀋陽市和平区。実勝寺。配下に永安寺大喇嘛(遼陽・永安寺か)1人、瑪哈噶喇樓大喇嘛(実勝寺のマハカラ廟か)2人、東西南北四塔大喇嘛(護国延寿寺、護国法輪寺、護国永光寺、護国広慈寺か)各1人がいる。
- 西勒図庫倫扎薩克大喇嘛:1人。内モンゴル自治区通遼市庫倫旗。シレートフレー。内モンゴルでは唯一の政教一致の行政単位を組織した。印務処は象教寺。アシンラマ(アシャン・マンジュシュリー?)が1634年にこの地に定住。1636年にアシンラマが死去すると、弟のナンソラマが継ぎ、1646年、次代のシプジャグンルラマが継いだ時にジャサクの印章を与えられ、扎薩克大喇嘛の地位を得て政教一致の体制が確立した。1729年、扎薩克大喇嘛は国師メルゲンチュージェの子孫の中から選ぶことが定められた。当初はマンジュシュリーフレーといったが、後にシレートフレーと呼ばれるようになった。シレトゥフレー。配下に扎薩克喇嘛4人が置かれた。
- 西安広仁寺大喇嘛:1人。陝西省西安市蓬湖区。広仁寺。
- 五台山扎薩克喇嘛:1人。山西省忻州市五台県台懐鎮。五台山を統括する。印務処は菩薩頂。「欽命管理五台山事務掌印扎薩克大喇嘛」とも。配下に射虎川台麓寺大喇嘛(台麓寺)1人がいる
- (科爾沁(ホルチン)以下二十四部落大喇嘛:1人)
- 西寧大喇嘛察汗諾們汗:1人。青海省黄南チベット族自治州尖扎県能科郷か。座所は青海省の拉莫徳欽寺か。チャハンダルハンホトクト(察罕達爾汗)か。夏茸尕布活仏。夏容嘉布活仏。
- 松山報恩寺大喇嘛達克隆胡図克図:1人。甘粛省武威市天祝チベット族自治県松山鎮達隆村。松山達隆寺。
- 紅山堡報恩寺都綱:1人。甘粛省蘭州市紅古区窯街街道紅山村。紅山報恩寺。順治10年2月29日、「都綱」に封じられる(内秘書院檔[37])。百度百科[38]
- 河州普綱寺都綱:1人。甘粛省臨夏回族自治州臨夏県韓集鎮。普綱寺。1392年、パスパの甥の端月監蔵が創建。翌年3月、端月監蔵は明朝から都綱に任命される。韓家新寺。跡地不明。中文ウィキペディア[39]。
- 河州霊慶寺都綱:1人。霊慶寺。不明。
- 河州弘化寺都綱:1人。青海省海東市民和回族トゥ族自治県転導郷紅花村。弘化寺。かつては河州に属した。
- 西寧県西那寺僧綱:1人。青海省か。西那寺。不明。
- 西寧県塔爾寺僧綱:1人。青海省西寧市湟中区ルシャル鎮。タール寺。
- 西寧県扎藏寺僧綱:1人。青海省西寧市湟源県巴燕鄉下寺村。扎蔵寺。
- 西寧県元覺寺僧綱:1人。青海省か。元覚寺。不明。
- 西寧県沙衝寺僧綱:1人。青海省か。沙衝寺。不明。
- 西寧県仙密寺僧綱:1人。青海省か。仙密寺。不明。
- 西寧県佑寧寺僧綱:1人。青海省海東市互助トゥ族自治県五十郷寺難村。ゴンルン寺。
- 碾伯県瞿曇寺僧綱:1人。青海省海東市楽都区瞿曇鎮。ドツァン寺。
- 碾伯県弘通寺僧綱:1人。青海省か。弘通寺。不明。
- 碾伯県羊爾貫寺僧綱:1人。青海省か。羊爾貫寺。不明。
- 碾伯県普化寺僧綱:1人。青海省か。青海・普化寺。不明。順治10年9月22日、入貢。タンリン寺の末寺。
- 大同衛廣化寺僧綱:1人。山西省大同市か。大同・広化寺。不明。
- 帰徳所二畳闡寺僧綱:1人。青海省海北チベット族自治州貴徳県か。二畳闡寺。不明。
- 洮州衛禅定寺国師:1人。甘粛省甘南チベット族自治州チョネ県。闡定寺。禅定寺とも。中文ウィキペディア[40]
- 洮州衛停襲垂巴廟僧綱:1人。甘粛省甘南チベット族自治州チョネ県阿子灘鎮。垂巴寺。1467年、チベット出身の阿旺老布蔵ラマが創建。政教一致の体制を取っていた。牙当寺。垂巴廟。百度百科[41]。洮州五僧司[42]。
- 洮州衛瑪尼寺僧綱:1人。甘粛省甘南チベット族自治州臨潭県術布鄉。馬奴寺。力車加隙を始祖とし、1405年頃、八時旺秀が現在地に建てた。明朝からは世襲都綱を授かる。1549年、「麻爾寺」の寺号を賜る。瑪尼寺。麻奴寺。洮州五僧司[43]。「歴史悠久的蔵伝仏教寺院」[44]。
- 洮州衛著落族僧綱:1人。甘粛省甘南チベット族自治州臨潭県。著洛寺。明永楽年間、チベット族の楊永魯が創建。1427年頃、僧綱司都綱職を授けられた。1517年)に世襲都綱となる。1658年、世襲僧正に降格するが、康熙年間、三藩の乱平定の功で世襲都綱に復帰。同治年間の陝甘回変で焼失。卓洛寺。跡地不明。洮州五僧司[45]。
- 洮州衛閻家寺僧正:1人。甘粛省甘南チベット族自治州か。閻家寺。明代に始まる。康熙年間に衰退するが、乾隆年間に復興し、僧正が置かれた。しかし光緒年間には衰退した。跡地不明。洮州五僧司[46]。
- 洮州衛龍元寺僧正:1人。龍元寺。閻家寺僧正が兼ねたという[47]。不明。
- 洮州衛円成寺僧正:1人。甘粛省甘南チベット族自治州臨潭県流順鎮。侯家寺。南宋の紹興年間の創建という。葉爾哇桑珠林。円城寺、円成寺とも。洮州五僧司[48]。百度百科[49]。