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延暦寺定光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月4日 (火)
延暦寺定光院は、滋賀県大津市の比叡山にある天台宗寺院。延暦寺子院。横川香芳谷に属す。日蓮の旧跡。 旧称は定光坊、華光坊、浄光院。天台宗延暦寺派の所属のまま、管理は日蓮宗久遠寺派の関係団体「横川定光院護持顕彰会」(事務局は京都府第一部宗務所)が行っている。
他に日蓮の旧跡としては円頓房があった。
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歴史
創建不詳。良源が四季講堂で法華経の講義を行った時の修行僧の坊舎として記録にみえるという。 日蓮が20歳から32歳までの12年間を過ごした地と伝えられている。生涯でもっとも長く滞在した場所とされる。 また華芳谷の石塔に法華経を収めて密かに宗旨建立を誓願したという(この塔は京都妙覚寺にあるという)。
天正年間、亮楽が定光坊として諸堂を再建。 1668年(寛文8年)滝尾権現社創建
1822年(文政5年)、日蓮550年遠忌にあたり円海が京都・満願寺の日進と相図り坊舎を改宗。題目碑を建立した。 1883年(明治16年)、霊夢をみた法華信者がこの地を訪れ、再興を発願。日蓮宗7本山が協力し、修造。 瑞龍寺門跡日栄から「旭の祖師像」などを賜り600年遠忌を営んだ。 1913年(大正2年)身延の島智良が京阪神の徳信者に呼びかけ「霊跡保存会」を組織。京都の各本山が輪番で法要を営むことになる。 1924年(大正13年)4月19日、京都16本山により日蓮銅像を建立。(1925年(大正14年)とも) 同年、京都立正会を設立。
1934年(昭和9年)天野治兵衛が檀那となり本堂再建し650年遠忌を執行。「保存護持会」を結成。 戦後しばらくは妙顕寺の僧侶が管理していた。
1962年(昭和37年)4月19日、日蓮像(松久朋琳造立)を開眼。 1965年(昭和40年)、京都日蓮聖人門下連合会設立。以後毎年4/28に定光院で立教開宗会を開催。
1981年(昭和56年)、700年遠忌の年に「定光院奉賛会」を設立。 1992年(平成4年)、日蓮宗久遠寺派が日蓮入山750年慶讃宗門法要を実施。 延暦寺と交渉し、1993年(平成5年)「横川定光院護持顕彰会」設立。 1995年(平成7年)日蓮宗久遠寺派の宗門史跡に指定。 2005年(平成17年)10月19日、境内を整備し本堂(祖師堂)を再建。日蓮宗比叡山研修道場と位置づけられている。
伽藍
- 本堂
- 日蓮像
- 題目塔
- 山王権現社
- 滝尾権現社
- 十三重石塔
- 石塔
- 五輪塔
組織
住職
主監
日蓮宗久遠寺派京都府第一部宗務所長が兼務することが多いか。