ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

蔵王権現信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月19日 (土)

移動: 案内, 検索
蔵王権現信仰 

目次

概要

蔵王権現(ざおう・ごんげん)は、修験道の本尊とされる日本の神祇である。総本社は金峯山寺蔵王権現堂である。分社は御嶽神社金峰神社と称す。


蔵王権現は修験道の主祭神である。権現の名が示すとおり、仏尊ではなく神祇である。本地垂迹説・和光同塵思想に基づき仏尊が衆生を救済するために仮に姿を現した護法神である。 中世に成立した縁起によると、673年に役行者が吉野の山上で仏の出現を祈願したとき、最初に釈迦が現れ、次に観音が現れ、後に弥勒が出現したが、役行者はいずれも拒否したところ、最後に岩盤より青黒忿怒の金剛蔵王が出現した。役行者はこれを歓んで、金峰山寺山上蔵王堂(現在の大峯山寺)を創建したとされる。

しかしながら、史料的な初出は中国後周(951-958)に成立した『義楚六帖』である。同書には「日本国都城の南五百余里に金峯山あり、頂上に金剛蔵王菩薩あり、第一の霊異なり」(原漢文)とあり、弥勒菩薩の化身であるとし、あたかも中国の五台山の文殊菩薩のようだと記す。これでは蔵王権現ではなく、金剛蔵王菩薩と記されているが、金峰山に祀られている仏尊であり、のちの蔵王権現の前身であるに違いない。895年、聖宝が金峰山に「金剛蔵王菩薩」を祀ったという伝承もある。

役行者が出現させたという説話の所見は平安末期12世紀前半成立の『今昔物語集』である。この時点でもまだ「蔵王菩薩」の呼称である。 金剛蔵王菩薩は胎蔵界曼荼羅に登場する仏尊であるが、名称を案ずるに蔵王権現の起源の一つであるようだが、図像的特徴が全く異なっている。 現在の蔵王権現の図像が成立したのは鎌倉時代である。蔵王権現の図像的特徴は次の通りである。一面三目二臂、青黒の忿怒、頭には三鈷冠を戴く。左手は剣印を腰に据え、右手は三鈷杵を持って高く上げる。左足は岩を踏み、右足は膝を上げて空中を踏む。これらの図像は金剛童子に由来すると考えられている。この図像が成立する以前の平安末期の蔵王権現像(三仏寺投入堂)では直立する姿となっている。 蔵王権現の本地仏は、釈迦如来、弥勒菩薩、千手観音菩薩とされる。蔵王権現は釈迦如来の教令輪身であり、金峰山は霊鷲山が日本に飛来したものとされた。末法思想が流行すると、蔵王権現は弥勒菩薩の化身とされ、金峰山は浄土とされた。貴族が吉野詣を行い、極楽往生を願ったのはこのためであった。当初は釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩の各説が並立していたようだが、鎌倉時代に釈迦如来が過去、弥勒菩薩が来世、千手観音菩薩が現在を担当するものとして統合されたようだ。

蔵王権現の名が最初に現れるのは1007年に藤原道長が納めた金峰山埋経経筒の銘文という。「南無教主釈迦蔵王権現」とある。文献では1283年の『沙石集』に役小角が釈迦、弥勒菩薩に続いて「蔵王権現」を祈り出したと記される。

現存最古の像は1001年の総持寺の毛彫の鏡像。

日本霊異記に役小角が鬼神に命じて金峰と葛木峰の間に橋を掛けたと記すが、蔵王のことは記されない。

金峰山は万葉集の頃から「御金の嶽」と詠まれてきた。そして黄金が眠る霊峰とみなされ、『三宝絵』には聖武天皇が東大寺大仏を鍍金するために黄金を探しており、金峰山の蔵王に眠っている、黄金を使わせてもらうのように祈った。しかしお告げがあり、この黄金は弥勒の、世が来た時に使うためのものであると断り、近江国滋賀郡に如意輪観音を祀って祈ると良いと告げる。今昔物語では祈ったのは良弁ということになっている。

吉野山の地主神を金精明神とされ、現在の祭神は金山彦とされる。

金峰山は「金の御嶽」という観念が万葉集の時代からあった。金峰山には黄金が埋蔵されているという発想に展開した。 金峰山の地主神がおり、後には金精明神と呼ばれた。一方、仏教的には執金剛神と結びついた。 金峰山に埋蔵される黄金と、東大寺大仏の鍍金のための黄金出現の史実が結び付けられた。 執金剛神は東大寺の創建に関わる神でもある。

一方、金剛蔵菩薩は胎蔵界曼荼羅に描かれる仏尊である。唐代仏教では観音と共に元始天尊の、脇侍とされた。 独立の尊となったために「王」の字が加えられ、「蔵王菩薩」となった(和歌森太郎説) (2015『役小角読本』も参照) 金剛蔵菩薩と執金剛は同名とされる。 権現思想の登場とともに蔵王菩薩から蔵王権現になった。この点はほとんど考察されていない。

一覧



画像

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%94%B5%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E7%8F%BE%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール