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京都・大通寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月16日 (月)

遍照心院から転送)
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現在の大通寺

大通寺(だいつうじ)は、京都府京都市南区西九条比永城町にある源氏ゆかりの真言宗寺院。本尊は宝冠釈迦如来源実朝の菩提寺。源氏の代表的な菩提寺の一つ。六孫王神社別当。真言律宗の尼寺だった。関東祈祷所。元は真言宗東寺派で、一時期その仮宗務所が置かれた。遍照心院。西八条御堂。大通律寺。山号は万祥山。(参考:同名寺院大通寺

目次

歴史

大通寺旧地。児水不動尊が残る。奥はJR東海道本線

源実朝正室の坊門信子(1193-1274、坊門信清の娘)は1204年(元久1年)12月10日に鎌倉入りをしたが将軍源実朝は1219年(承久1年)1月27日、甥の公暁に暗殺された。信子はその翌日28日、行勇を戒師として落飾し、本覚尼(本覚禅尼、三品禅尼、西八条禅尼、八条禅尼)と名乗った。

六孫王神社のあたりには源家の京都における拠点となる西八条邸があった。平家の西八条殿を没収して受け継いだ。経基王の時代からの邸宅ともいうがはっきりしない。本覚尼は1221年(承久3年)までには京都に帰り、ここに住んでいたらしい。縁起類では大通寺の創建年は明記されないが、1231年(寛喜3年)1月22日に実朝13回忌と堂供養が行われた(『民経記』)。これが創建らしい。開山として真空を招き、尼僧のための律院となった。1270年(文永7年)、本覚尼は北条時宗と北条政村の承認を得て伊予国三カ郷を大通寺に寄進した。

源氏ゆかりの寺として歴代の幕府に庇護された。室町時代には遍照心院奉行が設置されたほどだった。 1395年(応永2年)10月、塩小路朱雀の田地を巡って醍醐寺理性院と争論となった。東寺教令院とも領地を巡って対立し、1501年(文亀1年)12月になって大通寺側から取り下げるまで続いた。 1398年(応永5年)7月24日炎上。

江戸時代の寺領は283石。三論宗律宗真言宗兼学とされた。 神仏分離で六孫王神社と分離。1874年(明治7年)に大通寺本堂が、禁門の変で伽藍焼失した誓願寺に庫裏・書院などとして移築された(のち焼失)。 1912年(大正1年)、東海道線建設のために現在地への移転を余儀なくされた。 源実朝の木像と位牌、本覚尼の木像と位牌がある(現状不詳)。


十六夜日記の作者の阿仏尼(?-1283)の墓の阿仏塚がある。 歓喜天も祀っているらしい。 末寺として星田寺があった。

伽藍

子院

  • 東林院
  • 実法院:十方院
  • 清涼院
  • 成就院
  • 大雲院
  • 真住院
  • 慈眼院:空谷(1766-1834)が住した。
  • 多聞院:大黒天の形のような舎利があり「大黒舎利」と呼ばれていた。元は源信が蓮華寺で供養していたが天文年間に多聞院の貞算が入手した。
  • 恩徳院
  • 本覚寺:京都市下京区本塩竈町。浄土宗。


組織

住職

  • 1真空(1204-1268)<>:高野山金剛三昧院長老5世。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。木像が大通寺にある(現状不詳)。
  • 2禅慧(生没年不詳)<-1283->:大安寺中興1世。叡尊覚盛らと共に自誓受戒した不空院円晴の弟子という。早ければ1272年(文永9年)、遅くても1283年(弘安6年)には大通寺の長老になっていた。本浄房。
  • 憲静(?-1293)<>:泉涌寺長老6世。遍照心院で死去。
  • 俊才(1259-1353)<>:東大寺戒壇院長老5世。東大寺大勧進25世。武蔵・称名寺長老。
  • 照玄(1301-1358)<>:東大寺大勧進職。鎌倉極楽寺長老。大通寺で死去。
  • 恵雲()<-1413>:
  • 舜海()<-1434->:
  • 高澄()<-1501->:
  • 義洞()<>:
  • 照什(1663-1736)<1681->:石見国出身。佐々木忠綱の子。1663年(寛文3年)生。義洞に師事。諸国巡歴の後、大通寺住職となる。六孫王神社再建を果たし、1733年(享保18年)5月10日、東山天皇から紫衣を賜る(綸旨が伝わる)。1736年(元文1年)10月13日死去。74歳。南谷と号す。豪慧。
  • 本城俊雅

資料

  • 「京都大通寺多門院什物」『存採叢書』所収
  • 「京兆大通寺開山廻心空律師伝」『招提千歳伝記』[1]
  • 「大通寺遍照心院略縁起」
  • 「大通寺由来等寺門雑記」
  • 「遍照心院敷地地図」:1398年(応永5年)とあるが疑わしいという。
  • 「遍照心院指図」[2]:『東寺百合文書』所収。1283年(弘安6年)3月8日付。
  • 「大通寺文書」
  • 「多聞院大黒舎利記」:月潭
  • 「大通寺沙門真空伝」
  • 斎藤茂吉1943『源実朝』[3]
  • 花野憲道1989「仏名法則」[4]
  • 花野憲道1990「大通寺の声明資料」[5]
  • 久留島典子1999「東寺・遍照心院相論考」『東寺文書にみる中世社会』
  • 伊東史朗2007「専長寺阿弥陀如来像と「宋風」彫刻:附遍照心院の遺仏」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E5%A4%A7%E9%80%9A%E5%AF%BA」より作成

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