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道正庵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月23日 (日)

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道正庵は、京都にあった曹洞宗寺院。現在の京都府京都市上京区道正町のあたりにあったらしい。道元に随従して入宋したとされる木下道正の旧跡。江戸時代、寺社伝奏勧修寺家との窓口役だった。永平寺末・総持寺末を問わず、曹洞宗の高僧が出世・瑞世・転衣・僧官授与・国師号禅師号下賜などを朝廷に申請する時には必ず道正庵の仲介を必要とし、上洛の際の宿坊にもなった。

目次

歴史

創建不詳。木下道正の庵が起源ともいう。 道正は道元に随行して入宋したと伝える。

曹洞宗の縁を通じて島津家とのつながりが強く、島津家の京都での拠点の一つとなった。 江戸時代、19世卜順が本山および公卿たちとの関係強化に成功し、発展の基盤を固めた。家祖が道元に随従したという伝説の流布に努め、「神仙解毒万病円」という薬の独占的な製造販売権を確保した。

この薬は全国の曹洞宗寺院に販売。配下に150人ほどの販売員がいた。各地で偽商品が出回ると訴えて処分を求めた。 入宋中、道正にこの薬の製法を神授したのが稲荷神であり、道正庵の鎮守として道正庵稲荷神社があった。 地誌などをみると寺院というより薬屋として世間には認識されていたようにも思える。

明治に廃絶したらしいが明確な経緯は不詳。道正町の地名に痕跡を留めるのみ。

全国の曹洞宗寺院に関わる多くの古文書が伝わるが、本格的な調査研究は近年始まったところのようである。

組織

歴代庵主

木下家が世襲。藤原氏を名乗る。法印、法眼の位を持っていたが、僧官というより医師としての位かもしれない。6世まで宇治興聖寺を、7世一伯より安養寺(京都・安養寺と思われる)を菩提寺とする。

  • 1道正(1171-1248)<>:隆英。1248年7月24日死去。墓は興聖寺。
  • 2嘿外紹円()<>:隆実。紹門とも。興聖寺に供養塔。
  • 3惟寧道琢()<>:範房。興聖寺に供養塔。
  • 4芳岳良信(?-1340)<>:忠俊。初めて官医となり、また初めて道正庵を名乗るという。興聖寺に供養塔。
  • 5愚伝宣安()<>:興聖寺に供養塔。
  • 6寂然睦用(-1385)<>:島津家出身で福昌寺開山の石屋真梁(1345-1423)が在京中、道正庵に滞在していた縁で、島津家と親しくなる。1385年3月14日死去。興聖寺に供養塔。
  • 7梧関一伯(?-1424)<>:一休宗純の禅友だったと伝える。1424年8月28日死去。「族弟」の宣阿弥が開いた(中興か。宣阿弥は円山安養寺住職の号)、安養寺に埋葬。
  • 8別叟玄栄()<>:
  • 9明室昌順()<>:中院通氏の子。玄栄の養子。
  • 10撲堂康琳()<>:
  • 11松陰道寿()<>:大内政弘の子。康琳の養子。明応4年11月7日死去。
  • 12他誰立敬()<>:四条隆量の子。道寿の養子。
  • 13了絶了意()<>:正親町上皇の侍医。法印。
  • 14浄本宗源()<>:法印。
  • 15文如玄養()<>:法印。
  • 16直翁一貞()<>:
  • 17堅巌宗固()<>:天正から慶長。島津家の京都での活動を支えた。

良順

  • 18携室休甫()<>:佐々木一綱の子。宗固の養子。
  • 19徳幽卜順(1616-1690)<>:玄由。道正庵中興。1690年8月死去。多数の著作を残す。
  • 20恒順()<-1671->:
  • 21貞順(?-1700)<-1677->:隆守。法眼。
  • 22承順()<-1735->:法眼。
  • 23省順()<-1758->:法眼。『妙法院日次記』に名前が散見する。1758年、妙法院門跡でお目見えが許される。
  • 24尚順?
  • 25恭順()<-1788->:
  • 26永順()<-1813->:
  • 27勝順()<-1852->:隆禧。法眼。明治初年までは活動していた。道元600回忌で祭文を読む。

資料

史料

  • 『道正庵元祖伝』[1]:木下卜順著。1639年。『永平寺史料全書 文書編1』に収録。別本があり、著者の自筆本とみられる。
  • 「道正庵系譜記」
  • 「道正庵系図」
  • 「道正庵備忘集」:木下貞順著。
  • 「道正庵定規遺訓」
  • 「道正庵神仙解毒万病円記」:1639年。『永平寺史料全書 文書編1』収録。
  • 「道正庵衆寮造営帳序」:1635年。
  • 「道元禅師四百回忌祭文」:木下卜順記。『永平寺史料全書 禅籍編2』に収録。
  • 「道正庵掟五条」:1639年。永平寺23世の仏山秀察が発す。
  • 「永平寺所蔵道正庵文書」:永平寺所蔵。『永平寺史料全書 道正庵文書編』に収録予定、未刊。
  • 「総持寺所蔵道正庵文書」:総持寺所蔵。
  • 「出世之次第付官物覚」:1661年。木下卜順著。『総持寺史』収録[2]
  • 「清祓地鎮次第 宝永六年道正庵稲荷神社」:『神道分類総目録』より。

文献

  • 斎藤弘1944「道正庵に就て」[3](デジコレ送信館限定)
  • 末宗広1944「道正庵承順」[4](デジコレ送信館限定)
  • 鈴木半茶1950「木下道正庵の代々」[5](デジコレ送信館限定)
  • 東隆真1971「道元禅師の伝説」[6]
  • 1985「曹洞宗寺院に於ける京都道正庵の配薬」[7](デジコレ送信館限定)
  • 1994「道元禅師入宋時の従者について」『道元思想大系』2
  • 佐藤悦成1997「薩摩における曹洞宗」『宗教研究』311
  • 熊谷忠興1997「木下道正について」『宗学研究』39
  • 熊谷忠興「大遠忌と道元禅師の伝記(その一)木下卜順撰『道正庵系譜』」『傘松』690
  • 廣瀬良弘2002「中・近世における木下道正庵と曹洞宗教団」『道元禅師七五〇回大遠忌記念出版道元禅師研究論集』
  • 吉田道興2011「高祖伝の形成と道正庵:策謀家道正庵十九世徳幽卜順」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』12
  • 井原淑朱2006「總持寺宝物殿所蔵の道正庵関係資料について」『宗学研究』48
  • 岩川拓夫2009「中近世移行期における島津氏の京都外交:道正庵と南九州」『鹿児島地域史研究』5
  • 納冨常天2006「總持寺宝物殿所蔵 『道正庵文書』」[8]
  • 圭室文雄2006「江戸時代曹洞宗総持寺の再建勧化について」[9]
  • 海老澤早苗2018「永平寺所蔵『道正庵文書』に見る近世における蘭渓道隆像の諸相」[10]


  • 栗山泰音『総持寺史』
  • 皆川義孝「解説「道正庵文書」(1〜12)「永平寺門鶴寄進状」」『笠松』連載
  • 圭室文雄「『道正庵文書』について」『傘松』622〜624
  • 『京都坊目誌』「道正庵」[11]
  • 「木下道正庵の茶の湯:とくに表千家との関わりを中心として」『和比』8
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%81%93%E6%AD%A3%E5%BA%B5」より作成

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