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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

鹿児島県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月22日 (日)

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鹿児島県護国神社(かごしまけん・ごこくじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市草牟田にある、県内の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社別表神社。初名は靖献霊社(いさたま・れいしゃ)。靖献神社靖献社鹿児島招魂社。占領下での名前は薩隅頌徳神社

祭神

  • 3002柱(1934年(昭和9年)4月29日合祀後の数。『鹿児島地誌 郷土教育資料』[1]
  • 77592柱(「全国護国神社一覧」)。
  • 78076柱(百年史)。

戦後は殉職自衛官や殉職警察官消防官も合祀する。

歴史

1868年(明治1年)1月、鹿児島藩主島津忠義が明治天皇から500両を与えられて7月6日?、山之口馬場町(薩摩・松原神社の隣)に靖献霊社として創建したのが始まり。翌年10月26日(11月12日とも)、照国神社の西隣に遷座。(『靖国神社誌』には1870年(明治3年)10月創建とあるが不詳。)

1872年(明治5年)6月、勅使参拝。 1874年(明治7年)、官祭招魂社となる。 1877年(明治10年)西南戦争で社殿焼失。翌年改築。 1917年(大正6年)、社殿改築。この時、照国神社・鶴嶺神社の東隣に遷座したとみられる。 1939年(昭和14年)4月、指定護国神社となり鹿児島県護国神社と改称。 1947年(昭和22年)5月(4月24日?)、薩隅頌徳神社と改称。 1948年(昭和23年)10月、社殿竣工。11月23日(13日?)遷座祭。同時に殉職警察官消防官を祀る旭桜神社を相殿に合祀。旧社殿も頓宮として残された。 1953年(昭和28年)12月24日、復称。 1965年(昭和40年)10月、殉職自衛隊員を相殿に合祀。

境内

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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