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備後護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月15日 (木)
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- | '''備後護国神社'''(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある[[招魂社]]・[[祖霊社]]。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。[[福山招魂社]]と[[阿部神社]]を前身とする。阿部神社は[[県社]]で、護国神社は[[官祭招魂社]]で[[内務大臣指定護国神社]]だった。[[別表神社]]。県内には他の指定護国神社として[[広島護国神社]]がある。造営中に戦災で焼失した護国神社を戦後、[[阿部神社]]に合祀したため、特異な配置をしている。旧称は'''福山護国神社'''。(参考 同名神社[[福山護国神社]]) | + | [[file:Sdre-541.JPG|備後護国神社・外拝殿|thumb|400px]] |
+ | '''備後護国神社'''(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある[[招魂社]]・[[祖霊社]]。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。[[福山招魂社]]と[[阿部神社]]を前身とする。阿部神社は[[県社]]で、護国神社は[[官祭招魂社]]で[[内務大臣指定護国神社]]だった。[[別表神社]]。県内には他の指定護国神社として[[広島護国神社]]がある。造営中に戦災で焼失した護国神社を戦後、[[阿部神社]]に合祀したため、特異な配置をしている。旧称は'''福山護国神社'''。'''吉津招魂社'''、'''福山招魂社'''。(参考 同名神社[[福山護国神社]]) | ||
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+ | ==祭神== | ||
+ | 戦没者祭神については『百年史』では31097柱、「全国護国神社一覧」では31449柱とある。 | ||
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==歴史== | ==歴史== | ||
- | + | 1868年(明治1年)12月(『靖国神社誌』)、福山藩主の阿部正桓が戊辰戦争の戦没者40柱を祀って深津郡吉津村、現在の[[福山八幡宮]]境内に創建。 | |
- | + | 1893年(明治26年)7月、福山城本丸西側の人質櫓跡に創建。 | |
- | + | 1901年(明治34年)7月、福山招魂社と称した。 | |
- | + | 1939年(昭和14年)、指定護国神社となり、福山護国神社と改称。 | |
- | + | 1940年(昭和15年)から新たな社殿を芦田川河畔に造営を始めたが、 | |
- | + | 完成目前の1945年(昭和20年)8月8日に福山大空襲で焼失した。 | |
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- | + | 1949年(昭和24年)8月3日、備後神社と称した。 | |
+ | 1956年(昭和31年)11月24日、阿部神社に合祀、遷座祭。 | ||
+ | 1957年(昭和32年)3月11日、阿部神社に合併し、備後護国神社と改称した。 | ||
+ | 1959年(昭和34年)7月1日に別表神社。 | ||
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(備後護国神社ウェブサイト) | (備後護国神社ウェブサイト) | ||
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+ | ==組織== | ||
+ | ===歴代=== | ||
+ | *稲原稔()<>:広島県神社庁副庁長。[[若狭彦神社]]宮司。 | ||
+ | *池田正雄(1904-)<1956->:野上八幡宮([[福山八幡宮]])宮司。 | ||
+ | *江種宏之()<>:全国護国神社会会長。 | ||
+ | *江種克二()<>: | ||
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+ | <gallery> | ||
+ | file:Sdre-536.JPG|備後護国神社・外拝殿 | ||
+ | file:Sdre-537.JPG|備後護国神社・外拝殿 | ||
+ | file:Sdre-534.JPG|備後護国神社・拝殿 | ||
+ | file:Sdre-535.JPG|備後護国神社・拝殿・本殿 | ||
+ | file:Sdre-538.JPG|備後護国神社・「県社」碑 | ||
+ | file:Sdre-529.JPG|備後護国神社・裏参道(旧阿部神社表参道) | ||
+ | file:Sdre-530.JPG|備後護国神社・裏参道(旧阿部神社表参道) | ||
+ | file:Sdre-531.JPG|備後護国神社・裏参道(旧阿部神社表参道) | ||
+ | file:Sdre-532.JPG|備後護国神社 | ||
+ | file:Sdre-533.JPG|備後護国神社 | ||
+ | file:Sdre-539.JPG|備後護国神社 | ||
+ | file:Sdre-540.JPG|備後護国神社 | ||
+ | </gallery> | ||
+ | ==資料== | ||
+ | *熊澤美弓・加藤弓枝2014「備後護国神社所蔵白澤図添付文書について」[https://doi.org/10.20692/toyotakosenkiyo.KJ00008915461] | ||
[[category:広島県]] | [[category:広島県]] |
2024年2月15日 (木) 時点における最新版
備後護国神社(びんご・ごこくじんじゃ)は、広島県福山市にある招魂社・祖霊社。祭神は県内東部の戦没者と福山藩主阿部家歴代の霊。福山招魂社と阿部神社を前身とする。阿部神社は県社で、護国神社は官祭招魂社で内務大臣指定護国神社だった。別表神社。県内には他の指定護国神社として広島護国神社がある。造営中に戦災で焼失した護国神社を戦後、阿部神社に合祀したため、特異な配置をしている。旧称は福山護国神社。吉津招魂社、福山招魂社。(参考 同名神社福山護国神社)
目次 |
祭神
戦没者祭神については『百年史』では31097柱、「全国護国神社一覧」では31449柱とある。
歴史
1868年(明治1年)12月(『靖国神社誌』)、福山藩主の阿部正桓が戊辰戦争の戦没者40柱を祀って深津郡吉津村、現在の福山八幡宮境内に創建。 1893年(明治26年)7月、福山城本丸西側の人質櫓跡に創建。 1901年(明治34年)7月、福山招魂社と称した。 1939年(昭和14年)、指定護国神社となり、福山護国神社と改称。 1940年(昭和15年)から新たな社殿を芦田川河畔に造営を始めたが、 完成目前の1945年(昭和20年)8月8日に福山大空襲で焼失した。
1949年(昭和24年)8月3日、備後神社と称した。 1956年(昭和31年)11月24日、阿部神社に合祀、遷座祭。 1957年(昭和32年)3月11日、阿部神社に合併し、備後護国神社と改称した。 1959年(昭和34年)7月1日に別表神社。
(備後護国神社ウェブサイト)
組織
歴代
資料
- 熊澤美弓・加藤弓枝2014「備後護国神社所蔵白澤図添付文書について」[1]