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円珍旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月23日 (日)
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**[[園城寺]]:のち円珍の弟子筋が拠点とする天台宗の本山寺院。帰国後の貞観元年(859)、円珍が入る。 | **[[園城寺]]:のち円珍の弟子筋が拠点とする天台宗の本山寺院。帰国後の貞観元年(859)、円珍が入る。 | ||
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**[[国清寺]]:仁寿3年12月13日に到着。物外に学ぶ。日本の円載に出会う。「日本国大徳僧院」を建てたという。 | **[[国清寺]]:仁寿3年12月13日に到着。物外に学ぶ。日本の円載に出会う。「日本国大徳僧院」を建てたという。 | ||
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**[[青龍寺]]:大中9年(855)5月に長安に入り、青龍寺の法全に密教を学ぶ。翌年6月には天台山に戻る。 | **[[青龍寺]]:大中9年(855)5月に長安に入り、青龍寺の法全に密教を学ぶ。翌年6月には天台山に戻る。 | ||
+ | **[[大興善寺]]: | ||
**[[長安・龍興寺]]:長安にいる時の宿舎となった。 | **[[長安・龍興寺]]:長安にいる時の宿舎となった。 | ||
*[[洛陽]]: | *[[洛陽]]: | ||
- | **[[会善寺]] | + | **[[洛陽・広化寺]] |
+ | **[[洛陽・奉先寺]] | ||
+ | *[[嵩山]]: | ||
+ | **[[会善寺]]:従僧が具足戒 | ||
+ | *[[福州・開元寺]]:仁寿3年(853)8月、福州に到着して最初に滞在した寺院。 | ||
+ | *[[温州・開元寺]]: | ||
+ | *[[台州・開元寺]]: | ||
+ | *[[越州・開元寺]]: | ||
==著作== | ==著作== |
2019年6月23日 (日) 時点における最新版
円珍(えんちん)(814-891)は、天台宗寺門派の開祖。延暦寺座主5世。園城寺を再興。讃岐出身の和気氏。空海の姪の子。義真に師事し、入唐。天台密教を確立。智証大師(智證大師)。 忌日法要を、御正忌会(おしょうきえ)という。
目次 |
略歴
一覧
日本
- 讃岐・金倉寺:香川県善通寺市にある円珍の生誕地旧跡の天台宗寺院。天台寺門宗別格本山?。四国八十八所霊場第76番札所。讃岐国那珂郡
- 比叡山:天台宗の総本山。天長5年、叔父の僧仁徳に連れられ、入山。
- 平安京
- 長岡京
- 山城・海印寺:入唐の前後に立ち寄る。叔父がいた。
- 大宰府:
- 四王院:
- 松尾神宮寺:松尾大社の神宮寺。円珍が神像を造立したという。
中国
著作
年表
- 927年:醍醐天皇が智証大師号を贈る。