ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
下野・円通寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月9日 (月)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''円通寺'''(えんつうじ)は、栃木県芳賀郡益子町にある[[浄土宗]][[名越派]]の旧[[浄土宗の檀林寺院|檀林寺院]] | + | '''円通寺'''(えんつうじ)は、栃木県芳賀郡益子町にある[[浄土宗]][[名越派]]の旧[[浄土宗の檀林寺院|檀林寺院]]。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[専称寺]]、[[如来寺]]、[[成徳寺]]とともに名越派の中心的な寺院の一つだった。現在は[[浄土宗知恩院派]]の一般寺院。虎渓院。'''大沢円通寺'''と呼ばれる。山号は大沢山。(参考:同名寺院[[円通寺]]) |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | + | 1402年(応永9年)、良栄が下野国芳賀郡舟橋郷(栃木県芳賀郡益子町大平舟橋)に創建したと伝えるが、1395年(応永2年)には談所が設けられていたことを示す史料がある。1541年(天文10年)全山焼失のため現在地に移転。1559年(永禄2年)に再建が成った。[[知恩院]]27世徳誉光然を通じて朝廷に働き掛け、1574年(天正2年)、[[正親町天皇]]の[[勅願寺]]となる。 | |
- | 江戸時代、[[知恩院]] | + | 江戸時代、[[知恩院]]末に組み込まれたが、陸奥・出羽の浄土宗寺院を支配した。1661年(寛文1年)には名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。 |
- | [[袋中]] | + | [[袋中]]が修行。明和年間と1872年(明治5年)の火災で衰退した。 |
秘書を納めた月形函を蔵する。 | 秘書を納めた月形函を蔵する。 | ||
15行: | 15行: | ||
*10良迦 | *10良迦 | ||
*27良誓 | *27良誓 | ||
- | + | *吉水玄信(1829-1887) | |
+ | *畠中 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
*『日本歴史地名大系』ほか | *『日本歴史地名大系』ほか |
2021年8月9日 (月) 時点における最新版
円通寺(えんつうじ)は、栃木県芳賀郡益子町にある浄土宗名越派の旧檀林寺院。本尊は阿弥陀如来。専称寺、如来寺、成徳寺とともに名越派の中心的な寺院の一つだった。現在は浄土宗知恩院派の一般寺院。虎渓院。大沢円通寺と呼ばれる。山号は大沢山。(参考:同名寺院円通寺)
歴史
1402年(応永9年)、良栄が下野国芳賀郡舟橋郷(栃木県芳賀郡益子町大平舟橋)に創建したと伝えるが、1395年(応永2年)には談所が設けられていたことを示す史料がある。1541年(天文10年)全山焼失のため現在地に移転。1559年(永禄2年)に再建が成った。知恩院27世徳誉光然を通じて朝廷に働き掛け、1574年(天正2年)、正親町天皇の勅願寺となる。 江戸時代、知恩院末に組み込まれたが、陸奥・出羽の浄土宗寺院を支配した。1661年(寛文1年)には名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。 袋中が修行。明和年間と1872年(明治5年)の火災で衰退した。 秘書を納めた月形函を蔵する。
歴代
- 1良栄
- 2良堯
- 3良徳
- 4良憲
- 6良順
- 10良迦
- 27良誓
- 吉水玄信(1829-1887)
- 畠中
参考文献
- 『日本歴史地名大系』ほか