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鶴嶺神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月22日 (日)
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'''鶴嶺神社'''(つるがね・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町の仙巌園にある[[島津家]]当主歴代と一族を祀る[[祖霊社]]。[[県社]]。[[領主奉斎神社]]。 | '''鶴嶺神社'''(つるがね・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町の仙巌園にある[[島津家]]当主歴代と一族を祀る[[祖霊社]]。[[県社]]。[[領主奉斎神社]]。 | ||
+ | ==祭神== | ||
+ | *島津家歴代当主とその家族 | ||
+ | *玉里島津家歴代当主とその家族 | ||
+ | *家老5名、殉死者45名 | ||
+ | (境内由緒書) | ||
==歴史== | ==歴史== | ||
- | 1869年(明治2年) | + | 1869年(明治2年)6月、[[福昌寺]]跡から鹿児島城の城内神棚に歴代神霊を遷座。 |
+ | 1869年(明治2年)11月、[[南泉院]]跡に歴代神霊を遷座し、社殿を造営。[[照国神社]]が隣接していた。現在、島津斉彬像・島津久光像・島津忠義像があるあたりが旧鎮座地という。 | ||
+ | 1873年(明治6年)7月、県社に列格する。 | ||
1877年(明治10年)頃、各菩提寺などにあった歴代当主の像を合祀する鎮像殿が設けられた。 | 1877年(明治10年)頃、各菩提寺などにあった歴代当主の像を合祀する鎮像殿が設けられた。 | ||
- | 1877年(明治10年)7月30日、[[龍尾神社]] | + | 1877年(明治10年)7月30日、[[龍尾神社]]にあった島津忠久などの像を奉遷(1879年(明治12年)に合祀?)。 |
1879年(明治12年)1月頃、国分八幡神社([[鹿児島神宮]])にあった島津氏久などの像を奉遷。 | 1879年(明治12年)1月頃、国分八幡神社([[鹿児島神宮]])にあった島津氏久などの像を奉遷。 | ||
- | 1917年(大正6年) | + | 1898年(明治31年)30代島津忠重が家督を相続した時、祭神に誓文を捧げた。 |
+ | 1917年(大正6年)に集成館跡の現在地に遷座した。 | ||
+ | 1935年(昭和10年)、昭和天皇は鹿児島県行幸の時に幣帛料を奉納した。 | ||
島津忠国像は1496年(明応5年)に作られた旧[[小城権現社]]の神像。 | 島津忠国像は1496年(明応5年)に作られた旧[[小城権現社]]の神像。 | ||
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+ | ==境内== | ||
+ | *本社: | ||
+ | *鎮像殿:現存不詳。 | ||
+ | *源頼朝塔:島津家初代島津忠久は[[源頼朝]]の子とされる。平成年間に鎌倉の[[源頼朝墓]]が破壊された時、鎌倉市民有志が再建。1999年(平成11年)再建時に試作した石塔の雛型を、江戸時代に墓塔を復興した島津家への報恩として鶴嶺神社に寄贈した。「源頼朝公墓所再興報恩塔」と称す。 | ||
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2020年3月22日 (日) 時点における最新版
鶴嶺神社(つるがね・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町の仙巌園にある島津家当主歴代と一族を祀る祖霊社。県社。領主奉斎神社。
祭神
- 島津家歴代当主とその家族
- 玉里島津家歴代当主とその家族
- 家老5名、殉死者45名
(境内由緒書)
歴史
1869年(明治2年)6月、福昌寺跡から鹿児島城の城内神棚に歴代神霊を遷座。 1869年(明治2年)11月、南泉院跡に歴代神霊を遷座し、社殿を造営。照国神社が隣接していた。現在、島津斉彬像・島津久光像・島津忠義像があるあたりが旧鎮座地という。 1873年(明治6年)7月、県社に列格する。 1877年(明治10年)頃、各菩提寺などにあった歴代当主の像を合祀する鎮像殿が設けられた。 1877年(明治10年)7月30日、龍尾神社にあった島津忠久などの像を奉遷(1879年(明治12年)に合祀?)。 1879年(明治12年)1月頃、国分八幡神社(鹿児島神宮)にあった島津氏久などの像を奉遷。 1898年(明治31年)30代島津忠重が家督を相続した時、祭神に誓文を捧げた。 1917年(大正6年)に集成館跡の現在地に遷座した。 1935年(昭和10年)、昭和天皇は鹿児島県行幸の時に幣帛料を奉納した。 島津忠国像は1496年(明応5年)に作られた旧小城権現社の神像。