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霧島神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2022年6月30日 (木) 時点における版
霧島神宮 きりしま じんぐう | |
概要 | 天孫降臨の地に鎮座する神社。 |
奉斎 | 天饒石国饒石天津日高彦火瓊々杵尊 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 |
所在地(旧国郡) | 日向国諸県郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・官幣大社・別表神社 |
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目次 |
概要
霧島神宮(きりしま・じんぐう)は、鹿児島県霧島市の霧島山にある、瓊瓊杵命を祀る神社。天孫降臨の地とされる。霧島六社権現の筆頭。性空旧跡。式内社・官幣大社・別表神社。山中に天孫降臨神籬斎場がある。瓊瓊杵命の陵墓の可愛山陵は、西54kmにある薩摩川内市の新田神社にある。
歴史
- 欽明天皇代:慶胤が社殿と華林寺を創建
- 788年(延暦7年)3月4日:「大隅国曽於郡曽乃峰」が噴火。
- 837年(承和4年)8月1日:日向国諸県郡の「霧嶋岑神」が官社となる。(続日本後紀)
- 858年(天安2年)10月22日:日向国霧島神に従五位上から従四位下。(三代実録)
- 天暦年間:性空、瀬多尾越(現在の古宮の地)に社殿と華林寺を造営。以後、天台宗。
- 1178年(治承2年):藤原成経、平康頼、俊寛が参詣
- 1234年(文暦1年)12月28日:噴火で焼失。東の長尾山に社殿を復興し、東霧島神社と称する
- 1484年(文明16年):島津忠昌、社を東西に分け、東社を瀬戸尾に遷座(現在の霧島東神社)、西社が現在の霧島神宮となる。兼慶に命じて造営。以後、真言宗。
- 1615年(元和1年):この時点で1806石。
- 1705年(宝永2年):火災で焼失。
- 1715年(正徳5年):藩主島津吉貴、現在の社殿を造営。
- 1866年(慶応2年)9月:鹿児島藩、神仏分離を命じる。
- 1874年(明治7年)2月15日:霧島神宮と改称。官幣大社となる。
- 1874年(明治7年)6月15日:勅使
- 1877年(明治10年)3月11日:野上神社・霧島岑神社・東霧島神社・霧島東神社の4社、霧島神宮摂社となる。1880年(明治13年)とも。
- 1935年(昭和10年)11月16日:昭和天皇参拝
- 1940年(昭和15年):古宮を整備。
境内
- 本社:
- 勅使殿:
- 門守神社:
- 税所神社:
- 野上神社:
- 斎田:
- 天孫降臨神籬斎場:古宮跡
- 背門丘元宮:
- 性空墓:
- 兼慶墓:
- 鎮守神社:
- 若宮神社:
- 山神社
- 亀石
- 風穴
- 神楽殿
- 霧島岑神社:境外摂社。現在は独立神社とみられる。
- 東霧島神社:境外摂社。現在は独立神社とみられる。
- 霧島東神社:境外摂社。現在は独立神社とみられる。
- 薩摩・華林寺:廃絶。
- 本地堂:廃絶。
- 持仏堂:不動明王・愛染明王
- 歴代住職墓地
- 仁王門:廃絶
- 多宝塔:廃絶
- 護摩堂:廃絶
- 不動明王石像:廃絶
- 十一面観音堂:廃絶
- 鎮守堂:廃絶
- 曼荼羅堂:廃絶
組織
宮司
- 田尻務()<1874->:1874年12月5日、霧島神宮大宮司兼少教正。
- 島津久籌(1827-1911)<>:鹿児島藩島津家の連枝である永吉島津家の当主。藩政を掌握した島津久光に仕え、大目付となる。維新後、霧島神宮宮司。
- 税所篤人(1836-1910)<1900->:岡山藩士。1900年(明治33年)、霧島神宮宮司。
- 河野主一郎(1846-1922)<>:鹿児島藩士。西南戦争で西郷隆盛軍に参加し、捕らえられる。出獄後、民権運動に加わる。のち内務省に入り、青森県知事。霧島神宮宮司。
- 大久保利貞(1846-1918)<>:陸軍中将。退官後、霧島神宮宮司。
- 緒方万()<>:
- 占部真一(1884-)<1932-1935>:1932年(昭和7年)8月23日、霧島神宮宮司。1935年(昭和10年)8月6日、伊弉諾神社宮司。(経歴は照国神社#組織を参照)
- 阪本作之助()<1936->:1924年(大正13年)貫前神社宮司。1931年(昭和6年)白山比咩神社宮司。1936年(昭和11年)霧島神宮宮司。
- 佐伯芳彦()<>:
- 後藤幸平()<>:1954年(昭和29年)霧島神宮宮司。1966年(昭和41年)死去。
- 小久保光雄()<>:1966年(昭和41年)霧島神宮宮司。
- 浄見守(?-1991)<1991-1991>:1991年(平成3年)霧島神宮宮司。同年死去。
- 足立明(?-1993)<1992-1993>:1992年(平成4年)霧島神宮宮司。1993年(平成5年)死去。
- 高橋弘平()<1994-2014>:塩竈神社宮司。1994年(平成6年)霧島神宮宮司。2014年(平成26年)9月30日退任。
- 慶光院利致()<2014->:2014年(平成26年)9月30日就任。
画像
資料
- 1939『神代並神武天皇聖蹟顕彰資料3官幣大社霧島神宮』[3]