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大谷祖廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | file:大谷祖廟・参道-02.jpeg| | + | file:大谷祖廟・参道-02.jpeg|標石 |
- | file:大谷祖廟・参道-03.jpeg| | + | file:大谷祖廟・参道-03.jpeg|八坂神社の灯籠を塞ぐように建てられた標石 |
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- | file:大谷祖廟・参道-05.jpeg| | + | file:大谷祖廟・参道-05.jpeg|八坂神社灯籠 |
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2023年2月12日 (日) 時点における版
大谷祖廟(おおたに・そびょう)は、京都府京都市東山区円山町にある親鸞の墓廟。真宗大谷派の施設。浄土真宗本願寺派が管理する大谷本廟(西大谷)に対して東大谷と俗称される。 戦前までは御坊・別院の格式を持った独立寺院で大谷御坊・大谷別院と称したが戦後は東本願寺の組織に合併され、東本願寺が廃止された現在は真宗本廟の飛地境内となっている。大谷御廟、大谷御廟所とも呼ばれた。
歴史
1602年の東本願寺の成立に伴い、その境内の南西に親鸞の廟所が設けられた。同年前後の知恩院の大造営まで現在の崇泰院(勢至堂周辺とも)の位置にあった親鸞の墓から改葬されたとされるが詳細は不明である。
1653年、徳川家綱が現在地を寄進。 1670年、琢如が東本願寺境内からこの地に改葬した。七条にあった教如と宣如の墓も移した。 この地には元々は袋中の庵があったという。 1699年から整備が行われ、 1701年9月に墳墓改葬法要が、 1703年、御堂遷仏法要が営まれた。 御坊(掛所)としての組織も整備され、輪番のもとに補番、堂衆、列座などが置かれた。 護持のための講社として大谷講と女房講が設立された。 1745年に敷地が拡張された。 1748年、参道に石灯籠が並べられ、1857年、1862年にも参道が整備された。 東本願寺が火災で焼失した時には再建するまでの間、仏像宝物が移され、仮堂として機能した。
明治まで大谷御坊と呼ばれたが、1872年、大谷管刹。 1876年、大谷別院と改称。1952年、組織を東本願寺に合併し、その飛地境内となった。 東本願寺の廃止で現在は真宗本廟の飛地境内である。 (『日本歴史地名大系』など)
- 墓所
- 本堂
- 納骨堂
- 大谷共同墓地
資料
- 「大谷本廟沿革考」[1]