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般舟院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*1恵篤善空(1412-1492)<>:廬山寺14世・二尊院13世。 | *1恵篤善空(1412-1492)<>:廬山寺14世・二尊院13世。 | ||
| + | *寿観敬空(1436-1507)<>:二尊院14世。三鈷寺・般舟三昧院を兼務。 | ||
| + | *宗純念空(1446-1516)<>:二尊院15世。三鈷寺・般舟三昧院を兼務。 | ||
| + | *善空[https://dl.ndl.go.jp/pid/3450593/1/444?keyword=%E8%88%AC%E8%88%9F%E9%99%A2%E4%BD%8F]:文明。『般舟院来由記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2981571/1/328]。 | ||
*統恵[https://dl.ndl.go.jp/pid/1041790/1/20?keyword=%E8%88%AC%E8%88%9F%E9%99%A2%E4%BD%8F]:文亀 | *統恵[https://dl.ndl.go.jp/pid/1041790/1/20?keyword=%E8%88%AC%E8%88%9F%E9%99%A2%E4%BD%8F]:文亀 | ||
*円良如空 | *円良如空 | ||
2025年11月3日 (月) 時点における版
般舟院(はんじゅいん)は、京都府京都市上京区般舟院前町にあった皇室ゆかりの天台宗系・浄土宗系の寺院。宮中御黒戸の祭祀を担う「御黒戸四箇院」の一つで、泉涌寺と並ぶ皇室の菩提寺だった。中世、円密戒浄(天台・真言・戒律・浄土)の四宗兼学の寺院として発展。浄土宗西山派本山流の中心寺院の一つだったが、近世以後は天台宗延暦寺派の所属となり、2011年(平成23年)廃絶。多くの皇族を葬る般舟院陵が現存。般舟三昧院。山号は指月山。
目次 |
歴史
元は伏見にあった。現在の月橋院の地という。伏見殿に付属した仏堂だったらしい。 1479年(文明11年)12月、後土御門天皇の勅願で恵篤善空を招いて創建。 1517年(永正14年)9月、後土御門天皇忌を般舟院で覚雅を導師として営む。
1535年(天文4年)1月11日に亡くなった後柏原天皇中宮の豊楽門院藤子の葬儀は、同月23日、般舟院で行われた。 同年2月18日には中陰法要が般舟院で行われたが、三鈷寺、二尊院、廬山寺の僧侶が出仕しており、皇室の追善全般が浄土宗西山派本山流により行われていた(「本山義の軌跡」)。このような経緯から御黒戸に関わるようになっていったのだろう。 1557年(弘治3年)11月25日、後奈良天皇の遺骨を深草法華堂と般舟三昧院に収めた。
天正年間、あるいは1594年(文禄3年)に千本今出川に移転。伏見城の築城にともなうものという。大歓喜寺の旧地を与えられたという。
1755年(宝暦5年)8月22日、遣迎院、廬山寺、般舟院、二尊院の紫衣着用が認められたらしい(八槐御記)。 1867年(慶応3年)12月28日、孝明天皇一周忌を般舟院と泉涌寺で営む。
嘉楽門院の位牌があったが、現在は妙法院門跡宸殿にあるという。
伽藍
- 本堂
- 般舟院陵:
組織
歴代住職
- 1恵篤善空(1412-1492)<>:廬山寺14世・二尊院13世。
- 寿観敬空(1436-1507)<>:二尊院14世。三鈷寺・般舟三昧院を兼務。
- 宗純念空(1446-1516)<>:二尊院15世。三鈷寺・般舟三昧院を兼務。
- 善空[1]:文明。『般舟院来由記』[2]。
- 統恵[3]:文亀
- 円良如空
- 実邦賢空
- 妙空
- 友空
- 陽空[4]
- 15慈達本空()<>:彦根藩主井伊直興の子。1722年12月、入寺。1770年9月6日死去[5]。弁恵本空。『天台会金曼供法則』[6]
- 舜空[7]
- 叡南忍戒[8]
- 松景仙空[9]
資料
古典籍
- 「般舟三昧院」『古事類苑』[10]
- 「般舟三昧院文書」:東山御文庫所蔵史料
- 「般舟三昧院記」:「洛陽般舟三昧院記」とも。16世紀中頃。群書類従[11][12]
- 「泉涌寺般舟院御葬送御法事共惣御入用高先前之振合取調覚」:『奥野高広氏所蔵文書』
- 「泉涌寺般舟院五条橋其外諸色御入用」:『奥野高広氏所蔵文書』
- 「正親町院御中陰御法事記」:1593年(文禄2年)。
文献
- 川上貢1960「般舟三昧院について」『日本建築学会論文報告集』[13]
- 境淳伍1995「神仏分離と般舟院」『歴史研究』403