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下野・円通寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 応永9年(1402)良栄が下野国芳賀郡舟橋郷(栃木県芳賀郡益子町大平舟橋)に創建したと伝えるが、応永2年には談所が設けられていたことを示す史料がある。天文10年(1541)全山焼失のため現在地に移転。永禄2年(1559)に再建が成った。[[知恩院]]27世徳誉光然を通じて朝廷に働き掛け、天正2年(1574)、正親町天皇の勅願寺となる。 | |
江戸時代、[[知恩院]]末に組み込まれたが、陸奥・出羽の浄土宗寺院を支配した。万治4年(1661)には名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。 | 江戸時代、[[知恩院]]末に組み込まれたが、陸奥・出羽の浄土宗寺院を支配した。万治4年(1661)には名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。 | ||
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+ | *『日本歴史地名大系』ほか | ||
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2017年4月14日 (金) 時点における版
円通寺(えんつうじ)は、栃木県芳賀郡益子町にある浄土宗名越派の旧檀林寺院。本尊は阿弥陀如来。専称寺、如来寺、成徳寺とともに名越派の中心的な寺院の一つだった。現在は浄土宗知恩院派の一般寺院。大沢山。虎渓院。大沢円通寺と呼ばれる。(参考:同名寺院円通寺)
歴史
応永9年(1402)良栄が下野国芳賀郡舟橋郷(栃木県芳賀郡益子町大平舟橋)に創建したと伝えるが、応永2年には談所が設けられていたことを示す史料がある。天文10年(1541)全山焼失のため現在地に移転。永禄2年(1559)に再建が成った。知恩院27世徳誉光然を通じて朝廷に働き掛け、天正2年(1574)、正親町天皇の勅願寺となる。 江戸時代、知恩院末に組み込まれたが、陸奥・出羽の浄土宗寺院を支配した。万治4年(1661)には名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。 袋中が修行。明和年間と明治5年の火災で衰退した。 秘書を納めた月形函を蔵する。
歴代
- 1良栄
- 2良堯
- 6良順
- 10良迦
- 27良誓
参考文献
- 『日本歴史地名大系』ほか