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興福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
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*12基継:弟子に義光。 | *12基継:弟子に義光。 | ||
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*18定昭(906-983):[[一乗院門跡]]を創建。(略歴は、[[興福寺一乗院#組織]]を参照) | *18定昭(906-983):[[一乗院門跡]]を創建。(略歴は、[[興福寺一乗院#組織]]を参照) | ||
*19真喜(927-1000)<983->:永観元年、興福寺別当。 | *19真喜(927-1000)<983->:永観元年、興福寺別当。 | ||
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*21林懐(951-1025) | *21林懐(951-1025) | ||
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*23経救(978-1044): | *23経救(978-1044): | ||
*24真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。(略歴は、[[興福寺一乗院#組織]]を参照) | *24真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。(略歴は、[[興福寺一乗院#組織]]を参照) | ||
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*44'''信円'''(1153-1224):一乗院門跡10世と大乗院門跡4世を兼務。 | *44'''信円'''(1153-1224):一乗院門跡10世と大乗院門跡4世を兼務。 |
2017年8月28日 (月) 時点における版
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市にある藤原氏ゆかりの南都仏教の本山寺院。本尊は釈迦如来。官寺七大寺・四大寺の一つで、歴代の公武政権の崇敬を受けた。延暦寺と共に南都北嶺として恐れられた。法相宗の中心道場として発展。神仏習合を唱え、春日大社を鎮守として支配下に取り込んだ。藤原氏の隆盛と共に多くの荘園を持ち、繁栄。鎌倉幕府から大和国守護職に任ぜられ、一国を支配した。一乗院と大乗院の二つの門跡が本坊となった。明治初年、神仏分離の影響で一時廃絶したが、まもなく復興した。不空羂索観音を祀る南円堂は特に信仰を集め、西国三十三所第9番札所。法相宗大本山。興福寺関連旧跡も参照。(参考 同名寺院興福寺 (同名))
目次 |
歴史
組織
住職
興福寺別当
古代
- 1慈訓(691-777):船氏。
- 2永厳:弟子に行賀や常騰(740-815)。
- 3行賀(729-803):法相宗六祖の一人。
- 4修円(771-835)<812->:812年(弘仁3年)、興福寺別当。興福寺伝法院、室生寺を創建。
- 5隆慧
- 6寿朗
- 7興昭(?-883):
- 8孝忠
- 9房忠(832-893)<886->:886年(仁和2年)興福寺別当。
- 10仙忠
- 11真覚
- 12基継:弟子に義光。
- 13平源(861-949)<931->:931年(承平1年)興福寺別当。
- 14空晴(878-957)
- 15助精
- 16延空
- 17安秀(?-971)<967->:応和の宗論に出仕。967年(康保4年)、興福寺別当。
- 18定昭(906-983):一乗院門跡を創建。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 19真喜(927-1000)<983->:永観元年、興福寺別当。
- 20定澄
- 21林懐(951-1025)
- 22扶公(966-1035)<1025->:万寿2年(1025)別当。
- 23経救(978-1044):
- 24真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 25円縁
- 26明懐(988-1072):
- 27頼信(1010-1076):一乗院門跡4世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 28公範:興福寺別当28世。法隆寺26世。
- 29頼尊:一乗院門跡5世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 30覚信(1065-1121):一乗院門跡6世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 31永縁(1048-1125):
- 32玄覚:興福寺別当32世・34世。一乗院門跡7世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 33経尋:興福寺別当33世。法隆寺別当32世。
- 34玄覚:再任。
- 35隆覚(1074-1158):法隆寺別当35世・38世。
- 36覚誉:興福寺別当36世。法隆寺別当33世。
- 37覚晴:興福寺別当37世。法隆寺別当34世。
- 38隆覚(1074-1158):再任。
- 39恵信(1124-1171):一乗院門跡9世。九条兼実の兄。覚継とも。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 40尋範(1101-1174):大乗院門跡3世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 41覚珍:
- 42教縁:
- 43玄縁:
中世
- 44信円(1153-1224):一乗院門跡10世と大乗院門跡4世を兼務。
- 45覚憲:
- 46範玄:興福寺別当46世。法隆寺別当39世。
- 47雅縁(1138-1223):興福寺別当47世・49世・51世・53世。
- 48良円(1178-1220):一乗院門跡11世。興福寺別当48世・52世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 49雅縁(1138-1223):再任。
- 50信憲:
- 51雅縁(1138-1223):再任。
- 52良円(1178-1220):再任。
- 53雅縁(1138-1223):再任。
- 54範円:興福寺別当54世。法隆寺別当43世。
- 55実尊(1180-1236):大乗院門跡5世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 56実信:一乗院門跡12世。興福寺別当56世・58世・61世・63世・66世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 57円玄:
- 58実信:再任。
- 59円実(1214-1272):大乗院門跡6世。興福寺別当59世・69世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 60定玄:
- 61実信:再任。一乗院門跡。
- 62覚遍:
- 63実信:再任。一乗院門跡。
- 64円玄:再任。
- 65公縁:
- 66実信:再任。一乗院門跡。
- 67親縁:
- 68良盛(1196-1262)<1256->:法隆寺別当48世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 69円実(1214-1272):
- 70尊信(1226-1283):大乗院門跡8世。興福寺別当70世・75世。長谷寺別当。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 71頼円:興福寺別当71世。法隆寺別当49世。
- 72実性:
- 73信昭(1253-1286):一乗院門跡14世。興福寺別当73世・76世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 74性誉:興福寺別当74世。法隆寺別当54世。
- 75尊信(1226-1283):再任。
- 76信昭(1253-1286):再任。
- 77慈信:大乗院門跡9世。興福寺別当77世・80世・83世・85世・90世・113世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 78玄雅:興福寺別当78世。法隆寺別当50世。
- 79宗懐:
- 80慈信:再任
- 81尊清:
- 82実懐(1235-1291)<1289->:興福寺別当82世。法隆寺別当52世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 83慈信:再任。
- 84性誉:再任。
- 85慈信:再任。
- 86顕覚:
- 87尊憲:
- 88実昭:
- 89範憲:興福寺別当89世・92世・96世・102世・116世。
- 90慈信:再任。
- 91経誉:
- 92範憲:再任。
- 93覚昭(?-1308):一乗院門跡17世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 94尋覚(1282-1318):大乗院門跡10世。興福寺別当94世・99世・103世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 95宗親:興福寺別当95世。法隆寺別当56世。
- 96範憲:再任。
- 97良信(1278-1329):一乗院門跡。興福寺別当97世・100世・105世・114世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 98公寿:興福寺別当98世。法隆寺別当55世・57世。
- 99尋覚(1282-1318):再任。大乗院門跡。
- 100良信(1278-1329):再任。
- 101信顕:
- 102範憲:再任。
- 103尋覚(1282-1318):再任。大乗院門跡。
- 104実聡:興福寺別当104世。法隆寺別当58世。
- 105良信(1278-1329):再任。
- 106良覚:一乗院門跡19世。興福寺別当106世・108世・110世・117世・119世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 107隆遍(生没年不詳)<1318->:興福寺別当107世。法隆寺別当59世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 108良覚:再任。
- 109覚円:
- 110良覚:再任。
- 111顕親:
- 112覚尊:大乗院門跡?
- 113慈信:再任。
- 114良信(1278-1329):再任。
- 115顕昭:
- 116範憲:
- 117良覚:再任。
- 118覚尊:
- 119良覚:再任。
- 120乗円:
- 121覚実:興福寺別当121世・123世・125世。一乗院門跡21世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 122覚円:
- 123覚実:再任。
- 124孝覚(1319-1368):大乗院門跡13世。興福寺別当124世・127世・129世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 125覚実:
- 126良暁(1285-?)<1347->:法隆寺別当66世。興福寺別当126世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 127孝覚(1319-1368):再任。大乗院門跡。
- 128懐雅:興福寺別当128世。法隆寺別当69世。
- 129孝覚(1319-1368):再任。大乗院門跡。
- 130頼乗(生没年不詳):興福寺別当130世。法隆寺別当70世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 131盛深:
- 132顕遍:
- 133盛深:
- 134実遍:興福寺別当134世・137世・139世。法隆寺別当72世。
- 135印覚:
- 136隆円:
- 137実遍:再任。
- 138円守:興福寺別当138世・140世。法隆寺別当74世。
- 139実遍:再任。
- 140円守:再任。
- 141孝憲:興福寺別当141世。法隆寺別当73世。
- 142覚成:
- 143覚家:
- 144円兼:
- 145良昭(1385-1414):一乗院門跡25世。興福寺別当145世・151世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 146孝尋(?-1428):大乗院門跡15世。興福寺別当146世・148世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 147長懐(1342-1396):興福寺別当147世。法隆寺別当75世。
- 148孝尋(?-1428):再任。大乗院門跡。
- 149長雅:
- 150円兼:再任。
- 151良昭(1385-1414):再任。一乗院門跡。
- 152実恵:
- 153孝円(1378-1410):大乗院門跡17世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 154円尋:
- 155隆俊:
- 156良兼:一乗院門跡27世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 157実照:
- 158兼覚(1361-1422)<1412->:興福寺別当158世。興福寺慈恩院住職。法隆寺別当76世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 159光暁:
- 160孝俊:興福寺別当160世。法隆寺別当77世。
- 161空昭:
- 162光雅:
- 163隆雅:
- 164乗雅:
- 165経覚(1395-1473):大乗院門跡18世。蓮如の師。興福寺別当165世・168世・182世・186世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 166昭円:一乗院門跡28世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 167光暁:再任。
- 168経覚(1395-1473):再任。
- 169兼昭:
- 170覚雅:
- 171隆秀:
- 172実意:
- 173俊円:
- 174兼暁:
- 175貞兼:
- 176重覚:
- 177良雅:
- 178空俊:
- 179教玄:一乗院門跡29世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 180尋尊(1430-1508):大乗院門跡20世?。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 181光憲:
- 182経覚(1395-1473):再任。大乗院門跡。
- 183兼円:
- 184兼雅:
- 185孝祐:
- 186経覚(1395-1473):再任。大乗院門跡。
- 187光淳:
- 188任円:
- 189尊誉:
- 190政覚:大乗院門跡21世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 191隆憲:
- 192空覚:
- 193光慶:
- 194良誉:一乗院門跡31世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 195兼継:
- 196経尋(1499-1526):大乗院門跡23世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 197円深:
- 198孝縁:
- 199実憲:
- 200晃円:興福寺別当200世。法隆寺別当79世。
- 201兼継:再任。
- 202覚誉(?-1562):一乗院門跡32世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 203尋円:大乗院門跡24世。興福寺別当203世・208世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 204空実:
- 205光尊:
- 206実暁:
- 207光実:
- 208尋円:再任。大乗院門跡。
- 209尋憲(1529-1585):大乗院門跡25世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 210兼深:
近世
- 211尊勢:一乗院門跡34世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 212光助:
- 213空慶:
- 214信尊:大乗院門跡27世。興福寺別当214世・216世・218世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 215尊覚法親王(1608-1661):一乗院門跡35世。興福寺別当215世・217世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 216信尊:再任。大乗院門跡。
- 217尊覚法親王(1608-1661):再任。
- 218信尊:再任。大乗院門跡。
- 219実雅:
- 220真敬法親王(1649-1706):一乗院門跡36世。興福寺別当220世・222世・224世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 221信賀:大乗院門跡?
- 222真敬法親王(1649-1706):再任。一乗院門跡。
- 223信覚:大乗院門跡29世。
- 224真敬法親王(1649-1706):再任。
- 225隆尊:大乗院門跡30世。興福寺別当225世・227世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 226尊賞法親王(1699-1746):一乗院門跡37世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 227隆尊:再任。大乗院門跡。
- 228隆遍(1721-1777):大乗院門跡31世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 229尊映法親王(1748-1793):一乗院門跡39世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
- 230隆範(1773-1829):大乗院門跡32世。興福寺別当230世・232世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 231昭尋:
- 232隆範(1773-1829):再任。大乗院門跡。
- 233昭尋:再任。
- 234隆温(1811-1875):二条治孝の子。大乗院門跡34世。還俗して松園隆温。男爵。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 235尊応法親王(1824-1891):一乗院門跡43世。還俗して久邇宮朝彦親王となる。(略歴は、久邇宮#組織を参照)
- 236隆温(1811-1875):再任。大乗院門跡。
- 237隆芳(1840-1903):大乗院門跡35世。還俗して松園尚嘉。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
- 238応昭(1848-1923):一乗院門跡44世。還俗して水谷川忠起。春日大社宮司となる。男爵。(略歴は、春日大社#組織を参照)
近代の住職
- (佐伯泓澄)(1824-1906)<1875-1882>:本務は西大寺。明治8年5月14日から明治15年4月1日まで「元興福寺守護職」(「元興福寺堂塔守護」とも。のち「奈良公園取締」)を務めた。(略歴は、西大寺#組織を参照)
- 239園部忍慶(1842-1890)<1882-1890>:本務は清水寺。(略歴は、清水寺#組織を参照)
- 240千早定朝(1823-1899)<1890-1891>:本務は法隆寺。忍慶の死去で明治23年3月23日から翌年2月16日まで興福寺住職兼清水寺住職を兼務。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
- 241雲井良海(-1894)<1891-1894>:明治24年2月16日、興福寺住職兼清水寺住職に就任。自害。(略歴は、清水寺#組織を参照)
- 242千早定朝(1823-1899)<1894-1899>:再任。本務は法隆寺。良海の死去で明治27年5月から興福寺住職兼清水寺住職を兼務。
- 243大西良慶(1875-1983)<-1942>:のち清水寺中興。昭和17年3月、興福寺住職を退任。(略歴は、清水寺#組織を参照)
- 244板橋良玄(-1954)<1942-1954>:昭和11年、61歳という異例の高齢で竪義遂業。昭和17年3月、就任。
- 245多川乗俊(1904-1984)<1954-1984>:明治37年10月10日生。法隆寺の近くの出身。大正6年入寺。樋口定俊、佐伯良謙に師事。昭和17年竪義。昭和21年興善院住職。翌年、執事長・菩提院住職・勧善院住職。昭和29年3月、興福寺住職就任(2月とも)。昭和59年7月16日死去。(『現代人物誌第十八編』)。(奈良県人物・人材情報リスト2017では明治43年入寺。12歳で得度。昭和10年執事、20年執事長、29年貫主、35年管長初任とある)
- 246多川乗覚()<1984->:多川乗俊の子。
- 247多川俊映(1947-)<1989->:多川乗俊の子。立命館大学卒業。
(『日本仏教基礎講座』より)