ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
野中寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?概要) |
|||
39行: | 39行: | ||
==概要== | ==概要== | ||
- | '''野中寺'''(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある[[太子信仰]]の[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。古代には船氏の氏寺だったという。近世には戒律復興運動の拠点となる[[律院]]となった。[[仲哀天皇陵]] | + | '''野中寺'''(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある[[太子信仰]]の[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[聖徳太子建立四十六寺]]の一つ。古代には船氏の氏寺だったという。近世には戒律復興運動の拠点となる[[律院]]となった。[[仲哀天皇陵]]の南にある。河内国丹南郡。[[叡福寺]]と[[大聖勝軍寺]]と共に'''河内三太子'''の一つで通称は'''中之太子'''。[[京都・西明寺|西明寺]]・[[神鳳寺]]と共に[[西明寺流]]の三僧坊の一つ。[[高野山真言宗]]。山号は青龍山。近くの[[法泉寺]]が野中寺奥之院を称す。 |
==歴史== | ==歴史== |
2017年10月4日 (水) 時点における版
野中寺 やちゅうじ | |
概要 | 聖徳太子信仰の寺院。真言律運動の拠点。 |
奉斎 | |
所在地 | |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | |
格式など | |
関連記事 | |
目次 |
概要
野中寺(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある太子信仰の真言宗寺院。本尊は薬師如来。聖徳太子建立四十六寺の一つ。古代には船氏の氏寺だったという。近世には戒律復興運動の拠点となる律院となった。仲哀天皇陵の南にある。河内国丹南郡。叡福寺と大聖勝軍寺と共に河内三太子の一つで通称は中之太子。西明寺・神鳳寺と共に西明寺流の三僧坊の一つ。高野山真言宗。山号は青龍山。近くの法泉寺が野中寺奥之院を称す。
歴史
古代〜中世
聖徳太子を開基として蘇我馬子が創建したとされる。調査では奈良時代前期の法隆寺式の古代伽藍跡が確認されている。 『日本霊異記』に登場する野中堂は野中寺に当たるとされる。 南北朝時代に全焼。
近世
政賢覚栄が西大寺の慈忍慧猛を招いて律院として復興した。ここで学んだ僧として洪善普摂(法楽寺中興)、忍綱貞紀、忍綱門下の慈雲(長栄寺中興、高貴寺中興)(1718-1804)がいた。
組織
歴代
- 1慈忍慧猛(恵猛)(1613-1662):真言律宗野中寺流の祖。泉涌寺の正専如周に師事する一方、槙尾西明寺の真空了阿にも学ぶ。さらに西大寺で伝法灌頂を受けた。野中寺を復興。
- 2慈門信光(1624-1707):
- 3戒山慧堅(1649-1704):黄檗宗鉄眼のもとで出家。野中寺慧猛に戒律を学ぶ。近江・安養寺を中興する。退耕道人。『律苑僧宝伝』の著者。
- 秀巌
画像
参考文献