ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
随心院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?住職) |
(?住職) |
||
3行: | 3行: | ||
==組織== | ==組織== | ||
===住職=== | ===住職=== | ||
+ | 44世まで「随心院歴代法統略譜」『随心院史略』より[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036334/81] | ||
*1[[空海]](774-835):真言宗の開祖。 | *1[[空海]](774-835):真言宗の開祖。 | ||
*2[[真雅]](801-879):空海の弟子。 | *2[[真雅]](801-879):空海の弟子。 | ||
8行: | 9行: | ||
*4[[聖宝]](832-909): | *4[[聖宝]](832-909): | ||
*5観賢(853-925): | *5観賢(853-925): | ||
- | *6淳祐(890- | + | *6淳祐(890-953):[[菅原氏]]。[[菅原道真]]の孫。 |
*7元杲(914-995): | *7元杲(914-995): | ||
*8仁海(951-1046):曼荼羅寺の開山。[[小野流]]の祖。和泉出身。宮道子の子ともいう。7歳で[[高野山]]に入り、雅真の弟子となる。[[石山寺]]元杲に伝法灌頂。曼荼羅寺(のちの随心院門跡)を創建。のち東寺二長者。1029年(長元2年)6月23日、東大寺別当71世。1031年(長元4年)7月5日、正倉院の修理を朝廷に要請。1032年(長元5年)辞任。1043年(長久4年)の干魃の時、[[神泉苑]]と宮中で請雨経法を行い、大雨が降ったので人々は雨僧正と讃えた。1046年(永承1年)5月16日曼荼羅寺で死去。(『東大寺辞典』) | *8仁海(951-1046):曼荼羅寺の開山。[[小野流]]の祖。和泉出身。宮道子の子ともいう。7歳で[[高野山]]に入り、雅真の弟子となる。[[石山寺]]元杲に伝法灌頂。曼荼羅寺(のちの随心院門跡)を創建。のち東寺二長者。1029年(長元2年)6月23日、東大寺別当71世。1031年(長元4年)7月5日、正倉院の修理を朝廷に要請。1032年(長元5年)辞任。1043年(長久4年)の干魃の時、[[神泉苑]]と宮中で請雨経法を行い、大雨が降ったので人々は雨僧正と讃えた。1046年(永承1年)5月16日曼荼羅寺で死去。(『東大寺辞典』) | ||
18行: | 19行: | ||
*14親厳(1151-1236):門跡となった初代?。[[善通寺]]を初めて末寺とする。東大寺別当108世。 | *14親厳(1151-1236):門跡となった初代?。[[善通寺]]を初めて末寺とする。東大寺別当108世。 | ||
*15厳海(1173-1251):東寺長者 | *15厳海(1173-1251):東寺長者 | ||
- | * | + | *16宣厳():東寺五長者。東寺二長者。 |
- | * | + | *17俊厳(?-1254):東寺二長者。1254年(建長6年)死去。 |
- | * | + | *18厳恵(生没年不詳):醍醐寺。 |
*19静厳(1243-1299):醍醐寺座主44世。東寺長者。 | *19静厳(1243-1299):醍醐寺座主44世。東寺長者。 | ||
*20厳家(1275-1308):醍醐寺座主50世。東寺長者。 | *20厳家(1275-1308):醍醐寺座主50世。東寺長者。 | ||
*21経厳(?-1353):厳家の弟。東寺長者。 | *21経厳(?-1353):厳家の弟。東寺長者。 | ||
- | * | + | *22通厳(?-1363):1363年(正平18年/貞治2年)死去。 |
- | * | + | *23照厳(生没年不詳): |
- | * | + | *24厳叡(生没年不詳): |
*25祐厳(?-1452):東寺長者。 | *25祐厳(?-1452):東寺長者。 | ||
*26厳宝(?-1481):東大寺別当163世。 | *26厳宝(?-1481):東大寺別当163世。 | ||
- | * | + | *27持厳(?-1510):醍醐寺座主78世。三宝院門跡30世。1510年(永正7年)死去。 |
- | + | ||
*28忠厳(?-1552):東大寺別当169世。 | *28忠厳(?-1552):東大寺別当169世。 | ||
- | * | + | *29仙朝(生没年不詳):東大寺別当? |
- | * | + | *30長静(生没年不詳):東大寺別当? |
*31増孝(1589-1644):東大寺別当176世。伽藍を再興。 | *31増孝(1589-1644):東大寺別当176世。伽藍を再興。 | ||
*32栄厳(1622-1664):東大寺別当177世。 | *32栄厳(1622-1664):東大寺別当177世。 | ||
*33俊海(1651-1682):東大寺別当178世。 | *33俊海(1651-1682):東大寺別当178世。 | ||
*34堯厳(九条尚実)(1717-1787):関白九条輔実の末男。1743年(寛保3年)勅命で還俗して九条家を継ぐ。摂政、関白、太政大臣を歴任。 | *34堯厳(九条尚実)(1717-1787):関白九条輔実の末男。1743年(寛保3年)勅命で還俗して九条家を継ぐ。摂政、関白、太政大臣を歴任。 | ||
- | * | + | *35増護(1804-1875):東大寺別当188世。 |
- | * | + | *36澄剛():1876年(明治9年)11月12日死去。 |
*37佐伯旭雅(1828-1891):[[泉涌寺]]長老を経て晋山。 | *37佐伯旭雅(1828-1891):[[泉涌寺]]長老を経て晋山。 | ||
- | * | + | *38釈隆燈(1834-1891): |
- | * | + | *39和田智満(1835-1909):1835年(天保6年)生。1909年(明治42年)死去。 |
- | * | + | *40佐伯法遵(1853-1912):1853年(嘉永6年)生。1912年(大正1年)5月27日死去。 |
- | + | *41箸蔵善龍(1852-1928):[[箸蔵寺]]出身。[[広隆寺]]住職。1912年(大正1年)随心院門跡。 | |
+ | *42重松寛勝(?-1926):[[金剛峰寺]]寺務検校執行法印416世。1926年(昭和1年)死去。 | ||
+ | *43湯崎弘雄(): | ||
+ | *44蓮生観善(): | ||
+ | |||
- | |||
- | |||
*松峰光典:[[金剛峰寺]]寺務検校執行法印426世。 | *松峰光典:[[金剛峰寺]]寺務検校執行法印426世。 | ||
- | |||
- | |||
- | |||
[[category:京都府]] | [[category:京都府]] |
2019年2月24日 (日) 時点における版
随心院(ずいしんいん)は、京都府京都市山科区にある真言宗の本山寺院。門跡寺院。本尊は如意輪観音。元は山城・曼荼羅寺の子院の一つだったが本寺を取り込む形となった。歴代門跡には九条家から入る者が多かった。随心院門跡、小野門跡。
組織
住職
44世まで「随心院歴代法統略譜」『随心院史略』より[1]
- 1空海(774-835):真言宗の開祖。
- 2真雅(801-879):空海の弟子。
- 3源仁(818-887):
- 4聖宝(832-909):
- 5観賢(853-925):
- 6淳祐(890-953):菅原氏。菅原道真の孫。
- 7元杲(914-995):
- 8仁海(951-1046):曼荼羅寺の開山。小野流の祖。和泉出身。宮道子の子ともいう。7歳で高野山に入り、雅真の弟子となる。石山寺元杲に伝法灌頂。曼荼羅寺(のちの随心院門跡)を創建。のち東寺二長者。1029年(長元2年)6月23日、東大寺別当71世。1031年(長元4年)7月5日、正倉院の修理を朝廷に要請。1032年(長元5年)辞任。1043年(長久4年)の干魃の時、神泉苑と宮中で請雨経法を行い、大雨が降ったので人々は雨僧正と讃えた。1046年(永承1年)5月16日曼荼羅寺で死去。(『東大寺辞典』)
- 9成尊(1012-1074):小野僧都。1072年(延久4年)東寺一長者。
- 10範俊(1038-1112):東寺長者。一時期那智山に隠れる。
- 11厳覚(1056-1121):勧修寺長吏。東寺二長者。
- 12増俊(1084-1165):中興。随心院流の祖。
- 13顕厳(1116-1183):
- 14親厳(1151-1236):門跡となった初代?。善通寺を初めて末寺とする。東大寺別当108世。
- 15厳海(1173-1251):東寺長者
- 16宣厳():東寺五長者。東寺二長者。
- 17俊厳(?-1254):東寺二長者。1254年(建長6年)死去。
- 18厳恵(生没年不詳):醍醐寺。
- 19静厳(1243-1299):醍醐寺座主44世。東寺長者。
- 20厳家(1275-1308):醍醐寺座主50世。東寺長者。
- 21経厳(?-1353):厳家の弟。東寺長者。
- 22通厳(?-1363):1363年(正平18年/貞治2年)死去。
- 23照厳(生没年不詳):
- 24厳叡(生没年不詳):
- 25祐厳(?-1452):東寺長者。
- 26厳宝(?-1481):東大寺別当163世。
- 27持厳(?-1510):醍醐寺座主78世。三宝院門跡30世。1510年(永正7年)死去。
- 28忠厳(?-1552):東大寺別当169世。
- 29仙朝(生没年不詳):東大寺別当?
- 30長静(生没年不詳):東大寺別当?
- 31増孝(1589-1644):東大寺別当176世。伽藍を再興。
- 32栄厳(1622-1664):東大寺別当177世。
- 33俊海(1651-1682):東大寺別当178世。
- 34堯厳(九条尚実)(1717-1787):関白九条輔実の末男。1743年(寛保3年)勅命で還俗して九条家を継ぐ。摂政、関白、太政大臣を歴任。
- 35増護(1804-1875):東大寺別当188世。
- 36澄剛():1876年(明治9年)11月12日死去。
- 37佐伯旭雅(1828-1891):泉涌寺長老を経て晋山。
- 38釈隆燈(1834-1891):
- 39和田智満(1835-1909):1835年(天保6年)生。1909年(明治42年)死去。
- 40佐伯法遵(1853-1912):1853年(嘉永6年)生。1912年(大正1年)5月27日死去。
- 41箸蔵善龍(1852-1928):箸蔵寺出身。広隆寺住職。1912年(大正1年)随心院門跡。
- 42重松寛勝(?-1926):金剛峰寺寺務検校執行法印416世。1926年(昭和1年)死去。
- 43湯崎弘雄():
- 44蓮生観善():
- 松峰光典:金剛峰寺寺務検校執行法印426世。