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室生寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年4月17日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生(大和国宇陀郡)にある真言宗の本山寺院。本尊は釈迦如来。真言宗室生寺派大本山。興福寺賢璟が創建したという。鎮守は室生龍穴神社。空海中興の伝説があり、恵果から授けられた如意宝珠が山内に収められたともいう。女人高野の異名がある。役小角創建の説もある。中世には東大寺戒壇院円照門下の忍空が復興し、興福寺末のまま、戒壇院、唐招提寺、西大寺の律僧が住職を務めた。関東祈祷所。室生流神道(御流神道)も盛んになった。江戸時代、隆光が再興して新義派となる。周辺には九穴八海と呼ばれる霊地があるという。龍王寺とも呼ばれた。悉知院と号す。山号は檉生山、宀一山。
目次 |
歴史
1962年(昭和37年)12月17日、豊山派より離脱してこの日、認証される。
伽藍
- 金堂:本尊は釈迦如来。元は薬師如来だったが興福寺系の僧侶が春日本地五仏を配して釈迦如来に変えた。伽藍は9世紀後半建立とみられる。
- 五重塔:本尊は金剛界五仏。奈良時代末もしくは平安時代初の建立。16mほどの小ぶりの塔。
- 本堂:本尊は如意輪観音。灌頂堂・真言堂とも呼ばれる。金堂と別に本堂があるのは珍しいが「本堂というようになったのはそれほど古くない」(日本歴史地名大系)という。1308年(延慶1年)の建立。
- 弥勒堂:本尊は弥勒菩薩。釈迦如来も祀る。興福寺伝法院を本尊と共に移築したといわれ、伝法院とも呼ばれた。
- 僧坊
- 護摩堂
- 北畠親房墓
- 桂昌院墓
- 隆光墓
- 修円墓:修円僧都廟。
- 織田常真墓
- 龍穴神社遥拝所
- 御影堂:空海を祀る。奥之院。大師堂。鎌倉時代末期の造営か。
- 納経塔:如意宝珠を埋めたと伝える如意山上にある。
- 西の覗・東の覗
国史大辞典、日本歴史地名大系
- 堅恵窟:仏隆寺にある?
組織
古代住職
中世
- 1智恵()<>:文永3年(1266)就任。
- 2成増()<>:永仁5年(1297)就任。
- 3忍空()<>:空智房。東大寺戒壇院出身。円照の弟子。正和5年(1316)就任。
- 4本地()<>:元往2年??就任。
- 5原初()<>:観応元年(1350)就任。
- 6元初()<>:元中元年(1384)就任。
- 7隆海()<>:明徳5年(1394)就任。
- 8良秀()<>:応永2年(1395)就任。
- 9法海()<>:永享8年(1436)就任。
- 10栄弘()<>:文永14年??就任。
- 11玄海()<>:永正12年(1515)就任。
- 12玄開()<>:天文13年(1544)就任。
- 13栄俊()<>:天正3年(1575)就任。
- 14養玄()<>:慶長14年(1609)就任。
- 15建海()<>:慶長15年(1610)就任。
- 16性演(1610-1674)<>:寛永11年(1634)就任。蓮華光院門跡中興。東大寺尊勝院院主。
(「明暦四年現住性演筆記」『奈良県宇陀郡史料』より)
近世
- 空印():律僧として最後。元禄7年(1694)10月退任。
- 1隆光(1649-1724):興福寺末を転じて護国寺末とする。実際には住職にはなっていない。
- 2快意():長谷寺梅心院住職。元禄8年2月、隆光の推薦で就任。のち護国寺住職。
- 3澄岸():長谷寺良興院住職。元禄8年11月就任か。
- 4密山():
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9剛質():
- 10
- 11亮雅():
- 12
- 13宥弁():
- 14
- 15
- 16
- 17文精覚〓():
- 18光雄?():鳳瑞
- 20諦導():
- 21
- 儀貞(1732-1802):長谷寺33世
- 暁慧(1731-1803):長谷寺35世。
近代
- 22正城全鏡(1835-1915)<>:長谷寺60世。三保谷広徳寺住職。越後国出身。1835年(天保6年)生。1852年(嘉永5年)長谷寺で学ぶ。1879年(明治12年)室生寺住職か。1881年(明治14年)三保谷広徳寺住職。1905年(明治38年)11月28日(1月25日?)から1911年(明治44年)3月まで豊山派管長・長谷寺化主。1907年(明治40年)3月1日(1908年(明治41年)とも)、根来寺座主。1910年(明治43年)2月10日、根来寺座主再任。1911年(明治44年)3月31日、管長退任。1915年(大正4年)10月31日死去。
- 23丸山貫長(1843-1927)<1882-1894>:長野県安曇野出身。1843年(天保14年)生。1858年(安政5年)安曇満願寺で修行。1861年(文久1年)長谷寺で修行。1874年(明治7年)長谷寺普門院住職。訓導。1878年(明治11年)室生寺に入る。1882年(明治15年)から1894年(明治27年)まで室生寺住職。1905年(明治38年)大蔵寺住職。1927年(昭和2年)6月7日死去。
- 24慶雲海量(1833-1900)<1896-1900>:豊山派管長初代。長谷寺57世。上総国木更津出身。1833年(天保4年)生。1850年(嘉永3年)長谷寺で修行。1855年(安政2年)徳蔵寺住職。1881年(明治14年)長谷寺能満院住職。1886年(明治19年)定額僧。1887年(明治20年)菩提院結衆。上総長楽寺を兼務。1896年(明治29年)室生寺住職。1897年(明治30年)新義派大学林主管・真言宗東京高等中学林長。1898年(明治31年)5月31日、長谷寺化主。1899年(明治32年)4月14日、根来寺座主。1900年(明治33年)8月10日の豊山派独立と共に管長就任。1900年(明治33年)10月10日死去。
- 25高城義海(1836-1911)<1900->:長谷寺61世。福井県鯖江市出身。1836年(天保7年)生。護国寺住職。1900年(明治33年)真言宗豊山派独立と共に9月に初代宗務長。10月、管長事務取扱。11月、室生寺を兼務。1911年(明治44年)3月31日、豊山派管長(長谷寺化主も?)。5月11日死去。
- 26高間一明()<>:
- 27荒木良仙(1879-1947)<>:長谷寺69世。1879年(明治12年)生。1942年(昭和17年)2月16日、長谷寺化主就任。1946年(昭和21年)3月1日、真言宗豊山派の再独立にともない、豊山派管長に就任。同年、管長化主共に退任。1947年(昭和22年)1月22日死去。
- 28網代智海(1891-1969)<1947->:長谷寺71世。1891年(明治24年)生。1947年(昭和22年)室生寺座主。1949年(昭和24年)8月2日長谷寺化主・豊山派管長に当選。1955年(昭和30年)6月17日管長再選(1957年(昭和32年)まで)。1962年(昭和37年)、室生寺を豊山派から離脱させ、1964年(昭和39年)、真言宗室生寺派を創設。1969年(昭和44年)死去。
- 29下村聖栄()<>:1925年(大正14年)蓮華寺住職。
- 30網代智等(1922-2014)<1989-2013>:福島県出身。自坊は東京蓮華寺。1922年(大正11年)生。大正大学卒。1948年(昭和23年)室生寺執事。1949年(昭和24年)長谷寺専修学林幹事。1960年(昭和35年)蓮華寺住職。文部省管理局に勤務。1962年(昭和37年)金沢大学講師。1964年(昭和39年)国立科学博物館庶務課長。1987年(昭和62年)室生寺住職代務者。1989年(平成1年)から2013年(平成25年)まで室生寺座主・室生寺派管長。2014年(平成26年)1月15日死去。
- 31網代智明(1950-)<2013-2022>:福島県出身。自坊は福島真浄院。1950年(昭和25年)生。1973年(昭和48年)大正大学卒。2007年(平成19年)宗務総長。2009年(平成21年)真浄院住職。2013年(平成25年)から2022年(令和4年)まで室生寺座主・室生寺派管長。
- 32下村聖登(1941-)<2022->:自坊は東京龍光寺。1941年(昭和16年)生。大正大学卒。2013年(平成25年)宗務総長。2022年(令和4年)4月1日、室生寺座主・室生寺派管長。