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坐摩神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年6月16日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
坐摩神社 いかすり じんじゃ | |
概要 | 宮域の守護神。 |
奉斎 | 生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 大阪府大阪市中央区久太郎町4渡辺3 |
所在地(旧国郡) | 摂津国西成郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・摂津国一宮・官幣中社・別表神社 |
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坐摩神社(いかすり・じんじゃ)は大阪府大阪市中央区久太郎町渡辺(摂津国西成郡)にある坐摩神信仰の神社。官社。摂津国一宮。官幣中社。神社本庁別表神社。旧鎮座地に坐摩神社行宮がある。
目次 |
歴史
- 神功皇后、新羅凱旋の時に田蓑島に奉斎
- 仁徳天皇時代:「我は住吉大神の御魂である」と託宣を下したという(住吉大社神代記)。皇宮(難波高津宮)の大宮地守護のために祀ったともいう。
- 806年:神戸2戸があった(新抄格勅符抄)
- 959年1月27日:神階、従五位下勲八等から従四位下となる。(三代実録)
- 939年:祈雨祈願
- 1184年1月5日:源頼朝、武蔵国の地を寄進したという
- 1223年12月27日:門と荒垣が焼失。この頃には住吉大社の末社となっていた。(百錬抄1224年4月13日条)
- 1582年:豊臣秀吉の大坂城築城により遷座。一旦、淡路町一丁目あたりに祀られた。
- 寛永年間:現在地に遷座。
- 幕末:佐久良東雄が滞在して維神舎を開き、国学を講じた。
- 1852年:明治天皇誕生に際して安産祈願が行われた(『明治天皇御降誕と大阪』[1])
- 1868年4月17日:明治天皇、大阪行幸に際して坐摩神社を参拝。
- 1872年11月27日:府社に列格(大阪府全志)。
- 1934年9月21日:室戸台風が大阪上陸。坐摩神社の本殿・拝殿など倒壊(大阪市風水害誌)
- 1936年5月21日:官幣中社に昇格(官報)。前後して社殿造営。
- 1945年:大阪大空襲で焼失。
- 1959年:鉄筋コンクリート造で再建。
境内
- 本社:
- 大江神社:
- 繊維神社:
- 大国主神社:
- 天満宮:
- 相殿神社:
- 陶器神社:祭神は大陶祇神と迦具突智神。愛宕信仰。陶器商の信仰を集めた愛宕山将軍地蔵が前身。1971年に境内に遷座。火防陶器神社。
- 稲荷神社:
- 浪速神社:大阪府大阪市浪速区浪速西。
- 豊磐間戸奇磐間戸神社:大阪府大阪市中央区石町。坐摩神社行宮にある。坐摩神社の旧鎮座地。
組織
社家の渡辺家は都下国造の末裔ともいう。
社司
- 渡辺資政(1814-1892)<1830-1892>:幕末維新期。渡辺冬一の子。1814年生。1830年家督相続し、坐摩神社社務となる。同年、従五位下、近江守。国学を六人部是香に、漢学を大塩平八郎に武道を島男也に学ぶ。1892年3月、出張中に死去。79歳。
- 渡辺敏雄()<>:渡辺資政の子。
- 津江孝夫()<>:
- 渡辺醇()<-1925->:社司。初代宮司。渡辺資政の孫。陸軍輜重兵中尉。1936年5月21日、坐摩神社宮司。
宮司
- 渡辺醇()<-1938-1941->:
- 渡辺清音()<>:
- 渡辺紘一()<>: