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江戸・護持院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年12月27日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
護持院(ごじいん)は、江戸にあった真言宗新義派僧録を務めた徳川家ゆかりの寺院。筑波の知足院(大御堂)を移して(寺籍だけ?)江戸神田橋外に創建。当初は知足院と称したが、のち護持院と改称した。江戸触頭(江戸四カ寺)の一つだったが、根生院に譲った。隆光の旧跡。のち焼失して護国寺の子院となった。明治に護国寺に合併。(参考:同名寺院知足院、護持院)
組織
住職
- 宥俊:中興1世。
- 光誉
- 栄増
- 信全
- 賢暁
- 覚永
- 恵円
- 俊盛
- 尊如
- 慧賢
- 隆光(1649-1724):護持院と改称
- 快意:室生寺住職
- 覚眼(1643-1725):江戸・円福寺、智積院11世を経て護持院住職。
- 隆慶(1649-1719):江戸・弥勒寺、大護院を経て宝永5年(1708)長谷寺17世に晋山。正徳5年(1715)護国寺住職。護持院が護国寺に移転してくるとその住職となり、護国寺も兼務。
- 兼澄
- 恵海(1662-1745):長谷寺21世。
- 主真
- 覚音
- 龍岳
- 圭賢(1669-1749):長谷寺23世。
- 信恕(1682-1760):長谷寺24世。
- 憲清
- 光星
- 恵山:以下末代まで護国寺兼務。
- 有慶(1709-1775):長谷寺28世。
- 懐玄(?-1790):長谷寺31世。
- 観算
- 恵翁
- 儀貞(1732-1802):長谷寺33世。
- 実自
- 信応
- 元栄(?-1802):長谷寺34世。
- 盛尊(?-1804):長谷寺36世。
- 高隆(1737-1808):長谷寺37世。
- 賢慶
- 通弁
- 祐澄
- 令法(?-1827):長谷寺41世。
- 秀陽
- 栄性(1768-1837):天保4年就任。
- 真淳
- 信恵(1776-1846):長谷寺46世。
- 法信
- 長盛
- 通済(1788-1872):長谷寺49世
- 宥観(?-1866):長谷寺50世。「宥歓」。
- 快照
- 実盈
- 隆盛(1801-1872):長谷寺52世。
(富田学純『新義真言宗史』)