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知恩院宮家の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年3月24日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
知恩院宮家は、知恩院門跡を務めた宮家。明治になり、華頂宮を称し、華頂侯爵家となる。華頂は知恩院の背後にある華頂山の名に由来する。
目次 |
歴代
知恩院宮
- 1良純法親王(1603-1669)<1619-1643>:後陽成天皇の第8皇子。1603年生。幼称は八宮。1607年、知恩院宮初代になることが治定。11月入室。1614年12月、親王宣下を受け、直輔親王。1615年6月、徳川家康の猶子となる。1619年9月17日、満誉尊照を戒師として得度。1643年11月11日、素行不良から甲斐の天目山に流される。湯谷神社境内に居住したとも。曹洞宗興因寺(山梨県甲府市下積翠寺町)に移る。1655年、真言宗薬王寺(山梨県西八代郡市川三郷町)に移る。1659年6月、許されて京に戻り泉涌寺の一条殿新善光寺に入る。1664年4月、北野に移住。還俗して以心庵と号した。1669年8月1日死去。67歳。墓所は泉山陵墓地。薬王寺に位牌があるという。専蓮社行誉心阿自在良尚大和尚。1768年8月、100回忌にあたり、本位に復して無礙光院と追諡された。
- 2尊光法親王(1645-1680)<>:後水尾天皇の第10皇子。1645年生。幼称は栄宮。将軍徳川家光の養子となる。1654年、親王宣下があり、良賢親王。1656年、知恩院で得度。1680年1月6日死去。36歳。墓所は知恩院宮墓地。
- 3尊統法親王(1696-1711)<>:有栖川宮幸仁親王の王子。1696年生。幼称は淳宮、岡宮。1697年、霊元天皇養子。1698年、知恩院宮を相続。1706年、将軍徳川綱吉の養子となる。翌年、親王宣下を受け、良邦親王。知恩院円理につき出家。1711年5月18日死去。16歳。墓所は知恩院宮墓地。寿経光院宮と号す。源蓮社高誉。
- 4尊胤法親王(1715-1739)<>:霊元天皇の第18皇子。1715年生。幼称は悦宮。1718年、知恩院宮の相続内定。1726年、将軍徳川吉宗の猶子。1727年、親王宣下があり栄貞親王。1739年12月26日死去。25歳。墓所は知恩院宮墓地。
- 5尊峰法親王(1741-1788)<>:京極宮(桂宮)家仁親王の第2王子。1741年生。幼称は富貴宮。1746年、知恩院宮を相続し、桜町天皇の養子となる。1753年、将軍徳川家重の養子となり、1754年、親王宣下を受け、和義親王と称する。同年、知恩院了風につき出家。1788年7月21日死去。48歳。墓所は知恩院宮墓地。
- 6尊超法親王(1802-1852)<>:有栖川宮織仁親王の第8王子。1802年生。幼称は種宮。1805年、知恩院宮を相続。光格天皇の養子、将軍徳川家斉の猶子となる。1810年、親王宣下があり、福道親王。同年得度。1852年7月7日死去。51歳。墓所は知恩院宮墓地。
- 7尊秀法親王(1851-1876)<>:華頂宮博経親王。1868年還俗。
華頂宮
- 1博経親王(1851-1876)<>:伏見宮邦家親王の第12王子。1868年で還俗して華頂宮初代となる。海軍少将。1876年5月24日死去。26歳。
- 2博厚親王()<>:
- 3博恭王()<>
- 4博忠王()<>: