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浄住寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2014年8月7日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
葉室家の菩提寺。元は律宗(真言律宗)西大寺流の拠点寺院で戒壇が置かれたが、現在は黄檗宗。
葉室定嗣が弘長元年(1261)、出家して、別荘を寺とし、叡尊を招いて創建。叡尊教団の山城国における最大の拠点となった。 あるいは平安京創設とともに建てられた官寺常住寺の跡地に再興されたとも、円仁が創建し、常住寺と称したともいう。
浄住とは、布薩(戒を読み上げ、懺悔する儀式)の雅語、漢語ともいう。 叡尊によって西大寺、家原寺、海竜王寺、法華寺とともに戒壇が置かれた。当寺では弘安6年(1283)に築かれた。 本堂、舎利殿、宝塔、塔、四十九院、戒壇、鎮守、宝蔵、食堂などがあった。太平記に「異瑞奇特の大伽藍」と記された。 中国律宗南山流の祖道宣が得たという由緒を持つ仏牙舎利が室町女院から奉納された。 寺地は京都七口の一つの唐櫃越口にあり、律宗寺院の伝統として交通の要所に建てられたと考えられている。 光明院という塔頭があり、律宗西大寺流の重要法会である光明真言会が行われていた。また光明院は東寺の学頭学衆の葬送を司り、納骨の寺院だったという。 その後、戦乱により荒廃したが、江戸時代に黄檗宗僧侶の鉄牛道機が葉室家の帰依を受けて再建した。 京都府京都市西京区。
松尾剛次「葉室浄住寺考」