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興福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市にある藤原氏ゆかりの南都仏教本山寺院。本尊は釈迦如来官寺七大寺・四大寺の一つで、歴代の公武政権の崇敬を受けた。延暦寺と共に南都北嶺として恐れられた。法相宗の中心道場として発展。神仏習合を唱え、春日大社を鎮守として支配下に取り込んだ。藤原氏の隆盛と共に多くの荘園を持ち、繁栄。鎌倉幕府から大和国守護職に任ぜられ、一国を支配した。一乗院大乗院の二つの門跡が本坊となった。明治初年、神仏分離の影響で一時廃絶したが、まもなく復興した。不空羂索観音を祀る南円堂は特に信仰を集め、西国三十三所第9番札所。法相宗大本山。興福寺関連旧跡も参照。(参考 同名寺院興福寺 (同名)

目次

歴史

組織

住職

興福寺別当


古代

  • 1慈訓(691-777):船氏。
  • 2永厳(生没年不詳):法相宗の僧。慈訓の弟子。772年(宝亀3年)中律師、11月4日大律師。弟子に行賀や常騰。(『日本仏家人名辞書』)
  • 3行賀(729-803):法相宗六祖の一人。
  • 4修円(771-835)<812->:812年(弘仁3年)、興福寺別当。興福寺伝法院室生寺を創建。
  • 5隆慧(生没年不詳):略歴不詳。
  • 6寿朗(生没年不詳):略歴不詳。
  • 7興昭(?-883):
  • 8孝忠(生没年不詳):法相宗の僧。878年(元慶2年)豊楽殿での最勝会講師を務める。(『日本仏家人名辞書』)
  • 9房忠(832-893)<886->:法相宗の僧。886年(仁和2年)興福寺別当。
  • 10仙忠(生没年不詳):略歴不詳。
  • 11真覚(生没年不詳):略歴不詳。
  • 12基継(850-932):法相宗の僧。越前出身。昌海に師事。909年(延喜9年)維摩会講師。弟子に義光。931年(承平1年)2月16日死去。82歳。(『日本仏家人名辞書』)
  • 13平源(861-949)<931->:931年(承平1年)興福寺別当。
  • 14空晴(878-957)
  • 15助精(生没年不詳):略歴不詳。
  • 16延空(生没年不詳):略歴不詳。
  • 17安秀(?-971)<967->:応和の宗論に出仕。967年(康保4年)、興福寺別当。
  • 18定昭(906-983):一乗院門跡を創建。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 19真喜(927-1000)<983->:永観元年、興福寺別当。
  • 20定澄(生没年不詳):略歴不詳。
  • 21林懐(951-1025):
  • 22扶公(966-1035)<1025->:万寿2年(1025)別当。
  • 23経救(978-1044):
  • 24真範(986/987-1054):一乗院門跡3世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 25円縁(?-1060):法相宗の僧。扶公の弟子。中宮院に住す。(『日本仏家人名辞書』)
  • 26明懐(988-1072):
  • 27頼信(1010-1076):一乗院門跡4世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 28公範(?-1086):法相宗の僧。興福寺別当28世。法隆寺26世。平以康の子。1053年(天喜1年)維摩会講師。はじめ新院に住す。弟子に俊範。1086年(応徳3年)10月9日死去。(『日本仏家人名辞書』)
  • 29頼尊(1025-1091):真言宗の僧。一乗院門跡5世。藤原実房の子。平救の弟子。性信法親王から伝法。仁和寺浄光院に住す。弟子に永尊、平源(13代別当とは別人か)、賢尊がいる。(『日本仏家人名辞書』、上村和直「仁和寺子院出土の車輪」)(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 30覚信(1065-1121):一乗院門跡6世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 31永縁(1048-1125):
  • 32玄覚(生没年不詳):法相宗の僧。興福寺別当32世・34世。一乗院門跡7世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 33経尋(生没年不詳):興福寺別当33世。法隆寺別当32世。略歴不詳。
  • 34玄覚(生没年不詳):再任。
  • 35隆覚(1074-1158):法隆寺別当35世・38世。
  • 36覚誉(生没年不詳):興福寺別当36世。法隆寺別当33世。略歴不詳。
  • 37覚晴(生没年不詳):法相宗の僧。興福寺別当37世。法隆寺別当34世。左大臣藤原宗忠の子。湛秀に師事。1114年(永久2年)維摩会講師。唐院に住す。(『日本仏家人名辞書』)
  • 38隆覚(1074-1158):再任。
  • 39恵信(1124-1171):一乗院門跡9世。九条兼実の兄。覚継とも。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 40尋範(1101-1174):大乗院門跡3世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 41覚珍(生没年不詳):略歴不詳。
  • 42教縁(生没年不詳):略歴不詳。
  • 43教縁(生没年不詳):略歴不詳。

中世

  • 44信円(1153-1224):一乗院門跡10世と大乗院門跡4世を兼務。
  • 45覚憲(1131-1212):法相宗・律宗の僧。興福寺別当45世。唐招提寺長老18世。藤原通憲の子。蔵俊に師事。法相と戒律を学ぶ。壺阪寺に住し、宝積院住職となる。のち唐招提寺長老。1195年(建久6年)春、東大寺大仏殿再建の落慶法要の導師を務めた。1212年(建暦2年)12月27日死去。82歳。著書に『三国通鈔』。(『日本仏家人名辞書』)
  • 46範玄(なし):興福寺別当46世。法隆寺別当39世。
  • 47雅縁(1138-1223):興福寺別当47世・49世・51世・53世。
  • 48良円(1178-1220):一乗院門跡11世。興福寺別当48世・52世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 49雅縁(1138-1223):再任。
  • 50信憲(なし):
  • 51雅縁(1138-1223):再任。
  • 52良円(1178-1220):再任。
  • 53雅縁(1138-1223):再任。
  • 54範円(なし):興福寺別当54世。法隆寺別当43世。
  • 55実尊(1180-1236):大乗院門跡5世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 56実信(なし):一乗院門跡12世。興福寺別当56世・58世・61世・63世・66世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 57円玄(なし):
  • 58実信:再任。
  • 59円実(1214-1272):大乗院門跡6世。興福寺別当59世・69世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 60定玄(なし):
  • 61実信:再任。一乗院門跡。
  • 62覚遍(なし):
  • 63実信:再任。一乗院門跡。
  • 64円玄:再任。
  • 65公縁(生没年不詳):法相宗の僧。参議藤原実相の子。興福寺憲円に師事。東北院円玄に学ぶ。1212年(建暦2年)維摩会講師。建長年間死去。69歳。(『日本仏家人名辞書』)
  • 66実信:再任。一乗院門跡。
  • 67親縁(なし):
  • 68良盛(1196-1262)<1256->:法隆寺別当48世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 69円実(1214-1272):
  • 70尊信(1226-1283):大乗院門跡8世。興福寺別当70世・75世。長谷寺別当。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 71頼円(生没年不詳):法相宗の僧。興福寺別当71世。法隆寺別当49世。中納言藤原頼資の子。興福寺良兼に師事。13歳で最勝会講師。東光院に住す。(『日本仏家人名辞書』)
  • 72実性(なし):
  • 73信昭(1253-1286):一乗院門跡14世。興福寺別当73世・76世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 74性誉(なし):興福寺別当74世。法隆寺別当54世。
  • 75尊信(1226-1283):再任。
  • 76信昭(1253-1286):再任。
  • 77慈信(生没年不詳):大乗院門跡9世。興福寺別当77世・80世・83世・85世・90世・113世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 78玄雅(なし):興福寺別当78世。法隆寺別当50世。
  • 79宗懐(なし):
  • 80慈信:再任
  • 81尊清(なし):
  • 82実懐(1235-1291)<1289->:興福寺別当82世。法隆寺別当52世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 83慈信:再任。
  • 84性誉:再任。
  • 85慈信:再任。
  • 86顕覚(なし):
  • 87尊憲(なし):
  • 88実昭(なし):
  • 89範憲(なし):興福寺別当89世・92世・96世・102世・116世。
  • 90慈信:再任。
  • 91経誉(なし):
  • 92範憲:再任。
  • 93覚昭(?-1308):一乗院門跡17世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 94尋覚(1282-1318):大乗院門跡10世。興福寺別当94世・99世・103世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 95宗親(なし):興福寺別当95世。法隆寺別当56世。
  • 96範憲:再任。
  • 97良信(1278-1329):一乗院門跡。興福寺別当97世・100世・105世・114世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 98公寿(なし):興福寺別当98世。法隆寺別当55世・57世。
  • 99尋覚(1282-1318):再任。大乗院門跡。
  • 100良信(1278-1329):再任。
  • 101信顕(なし):
  • 102範憲:再任。
  • 103尋覚(1282-1318):再任。大乗院門跡。
  • 104実聡(なし):興福寺別当104世。法隆寺別当58世。
  • 105良信(1278-1329):再任。
  • 106良覚(なし):一乗院門跡19世。興福寺別当106世・108世・110世・117世・119世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 107隆遍(生没年不詳)<1318->:興福寺別当107世。法隆寺別当59世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 108良覚:再任。
  • 109覚円(なし):
  • 110良覚:再任。
  • 111顕親(なし):
  • 112覚尊(なし):大乗院門跡?
  • 113慈信:再任。
  • 114良信(1278-1329):再任。
  • 115顕昭(なし):
  • 116範憲:再任。
  • 117良覚:再任。
  • 118覚尊:再任。
  • 119良覚:再任。
  • 120乗円(なし):
  • 121覚実(なし):興福寺別当121世・123世・125世。一乗院門跡21世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 122覚円(なし):
  • 123覚実:再任。
  • 124孝覚(1319-1368):大乗院門跡13世。興福寺別当124世・127世・129世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 125覚実:再任。
  • 126良暁(1285-?)<1347->:法隆寺別当66世。興福寺別当126世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 127孝覚(1319-1368):再任。大乗院門跡。
  • 128懐雅(なし):興福寺別当128世。法隆寺別当69世。
  • 129孝覚(1319-1368):再任。大乗院門跡。
  • 130頼乗(生没年不詳):興福寺別当130世。法隆寺別当70世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 131盛深(なし):
  • 132顕遍(なし):
  • 133盛深:再任。
  • 134実遍:興福寺別当134世・137世・139世。法隆寺別当72世。
  • 135印覚(なし):
  • 136隆円(なし):
  • 137実遍:再任。
  • 138円守(なし):興福寺別当138世・140世。法隆寺別当74世。
  • 139実遍:再任。
  • 140円守:再任。
  • 141孝憲(なし):興福寺別当141世。法隆寺別当73世。
  • 142覚成(なし):
  • 143覚家(なし):
  • 144円兼(なし):
  • 145良昭(1385-1414):一乗院門跡25世。興福寺別当145世・151世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 146孝尋(?-1428):大乗院門跡15世。興福寺別当146世・148世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 147長懐(1342-1396):興福寺別当147世。法隆寺別当75世。
  • 148孝尋(?-1428):再任。大乗院門跡。
  • 149長雅(なし):
  • 150円兼:再任。
  • 151良昭(1385-1414):再任。一乗院門跡。
  • 152実恵(なし):
  • 153孝円(1378-1410):大乗院門跡17世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 154円尋(なし):
  • 155隆俊(なし):
  • 156良兼:一乗院門跡27世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 157実照(なし):
  • 158兼覚(1361-1422)<1412->:興福寺別当158世。興福寺慈恩院住職。法隆寺別当76世。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 159光暁(なし):
  • 160孝俊(なし):興福寺別当160世。法隆寺別当77世。
  • 161空昭(なし):
  • 162光雅(なし):
  • 163隆雅(なし):
  • 164乗雅(なし):
  • 165経覚(1395-1473):大乗院門跡18世。蓮如の師。興福寺別当165世・168世・182世・186世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 166昭円(なし):一乗院門跡28世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 167光暁:再任。
  • 168経覚(1395-1473):再任。
  • 169兼昭(なし):
  • 170覚雅(なし):
  • 171隆秀(なし):
  • 172実意(なし):
  • 173俊円(なし):
  • 174兼暁(なし):
  • 175貞兼(なし):
  • 176重覚(なし):
  • 177良雅(なし):
  • 178空俊(なし):
  • 179教玄(なし):一乗院門跡29世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 180尋尊(1430-1508):大乗院門跡20世?。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 181光憲(なし):
  • 182経覚(1395-1473):再任。大乗院門跡。
  • 183兼円(なし):
  • 184兼雅(なし):
  • 185孝祐(なし):
  • 186経覚(1395-1473):再任。大乗院門跡。
  • 187光淳(なし):
  • 188任円(なし):
  • 189尊誉(なし):
  • 190政覚(なし):大乗院門跡21世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 191隆憲(なし):
  • 192空覚(なし):
  • 193光慶(なし):
  • 194良誉(なし):一乗院門跡31世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 195兼継(なし):
  • 196経尋(1499-1526):大乗院門跡23世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 197円深(なし):
  • 198孝縁(なし):
  • 199実憲(なし):
  • 200晃円(なし):興福寺別当200世。法隆寺別当79世。
  • 201兼継:再任。
  • 202覚誉(?-1562):一乗院門跡32世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 203尋円(なし):大乗院門跡24世。興福寺別当203世・208世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 204空実(なし):
  • 205光尊(なし):
  • 206実暁(なし):
  • 207光実(なし):
  • 208尋円:再任。大乗院門跡。
  • 209尋憲(1529-1585):大乗院門跡25世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 210兼深(なし):

近世

  • 211尊勢:一乗院門跡34世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 212光助:
  • 213空慶:
  • 214信尊:大乗院門跡27世。興福寺別当214世・216世・218世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 215尊覚法親王(1608-1661):一乗院門跡35世。興福寺別当215世・217世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 216信尊:再任。大乗院門跡。
  • 217尊覚法親王(1608-1661):再任。
  • 218信尊:再任。大乗院門跡。
  • 219実雅:
  • 220真敬法親王(1649-1706):一乗院門跡36世。興福寺別当220世・222世・224世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 221信賀:大乗院門跡?
  • 222真敬法親王(1649-1706):再任。一乗院門跡。
  • 223信覚:大乗院門跡29世。
  • 224真敬法親王(1649-1706):再任。
  • 225隆尊:大乗院門跡30世。興福寺別当225世・227世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 226尊賞法親王(1699-1746):一乗院門跡37世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 227隆尊:再任。大乗院門跡。
  • 228隆遍(1721-1777):大乗院門跡31世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 229尊映法親王(1748-1793):一乗院門跡39世。(略歴は、興福寺一乗院#組織を参照)
  • 230隆範(1773-1829):大乗院門跡32世。興福寺別当230世・232世。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 231昭尋:
  • 232隆範(1773-1829):再任。大乗院門跡。
  • 233昭尋:再任。
  • 234隆温(1811-1875):二条治孝の子。大乗院門跡34世。還俗して松園隆温。男爵。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 235尊応法親王(1824-1891):一乗院門跡43世。還俗して久邇宮朝彦親王となる。(略歴は、久邇宮#組織を参照)
  • 236隆温(1811-1875):再任。大乗院門跡。
  • 237隆芳(1840-1903):大乗院門跡35世。還俗して松園尚嘉。(略歴は、興福寺大乗院#組織を参照)
  • 238応昭(1848-1923):一乗院門跡44世。還俗して水谷川忠起。春日大社宮司となる。男爵。(略歴は、春日大社#組織を参照)

近代の住職

  • (佐伯泓澄)(1824-1906)<1875-1882>:本務は西大寺。明治8年5月14日から明治15年4月1日まで「元興福寺守護職」(「元興福寺堂塔守護」とも。のち「奈良公園取締」)を務めた。(略歴は、西大寺#組織を参照)
  • 239園部忍慶(1842-1890)<1881-1890>:本務は清水寺。明治14年8月29日興福寺住職に就任。(略歴は、清水寺#組織を参照)
  • 240千早定朝(1823-1899)<1890-1891>:本務は法隆寺。忍慶の死去で明治23年3月23日から翌年2月16日まで興福寺住職兼清水寺住職を兼務。(略歴は、法隆寺#組織を参照)
  • 241雲井良海(-1894)<1891-1894>:明治24年2月16日、興福寺住職兼清水寺住職に就任。自害。(略歴は、清水寺#組織を参照)
  • 242千早定朝(1823-1899)<1895-1899>:明治28年4月14日再任(『法隆寺年表』)。本務は法隆寺。良海の死去で明治27年5月から興福寺住職兼清水寺住職を兼務。
  • 243大西良慶(1875-1983)<1899-1942>:のち清水寺中興・北法相宗初代管長。明治32年(1899)興福寺住職。昭和17年(1942)3月、興福寺住職を退任。(略歴は、清水寺#組織を参照)
  • 244板橋良玄(1879?-1954)<1942-1954>:昭和11年、61歳という異例の高齢で竪義遂業。昭和17年3月、就任。昭和29年1月26日死去、76歳(法隆寺辞典)。
  • 245多川乗俊(1904-1984)<1954-1984>:明治37年10月10日生。法隆寺近辺の出身。大正6年入寺。樋口定俊、佐伯良謙に師事。昭和17年竪義。昭和21年興善院住職。翌年、執事長・菩提院住職・勧善院住職。昭和29年3月、興福寺住職就任(2月とも)。昭和59年7月16日死去。(『現代人物誌第十八編』)。(奈良県人物・人材情報リスト2017では明治43年入寺。12歳で得度。昭和10年執事、20年執事長、29年貫主、35年管長初任とある)
  • 246多川乗覚()<1984->:多川乗俊の子。
  • 247多川俊映(1947-)<1989->:多川乗俊の子。立命館大学卒業。

(『日本仏教基礎講座』より)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA」より作成

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