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本願寺鷺森別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年12月16日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
本願寺鷺森別院(ほんがんじ・さぎのもり・べついん)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。西本願寺の別院。御坊。本願寺遷座旧跡。冷水道場(清水道場)。雑賀御坊。鷺森御坊。鷺森本願寺。
歴史
『鷺森旧事記』によると1476年(文明8年)春、蓮如が熊野参詣の途中、冷水浦(現和歌山県海南市)で説教をした。そこで帰依した了賢が同年10月に冷水道場を開いたのが起源とされる。この時下付されたとされる親鸞・蓮如の連座絵像が現存する。熊野参詣は史実とはいえないが、『蓮如上人紀伊国紀行』によると1486年(文明18年)に蓮如が冷水浦を訪れている。
1507年(永正4年)、名草郡黒江に移転。1544年(天文13年)天王山に移転。1550年(天文19年)に和歌浦の弥勒寺山に移転。1563年(永禄6年)雑賀荘鷺森の現在地に移転した。経済力を背景に興隆した雑賀衆が御坊を支えた。
雑賀衆は1570年(元亀1年)に始まった石山合戦にも動員され、本願寺教団の重要な基盤となっていた。1577年(天正5年)織田信長の雑賀攻め。1580年(天正8年)4月5日に親鸞御影を奉じて石山本願寺を退去した顕如は翌日、鷺森御坊に到着。1583年(天正11年)に貝塚御坊に移るまでここが本山となった(鷺森本願寺)。1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻め。辻本三十六カ寺が交代で務めた。1663年(寛文3年)に異端論争が起きて混乱したため以後輪番が置かれた。 享保年間、本堂再建。太子堂もあった。1945年(昭和20年)空襲で焼失。
(日本歴史地名大系ほか)
支坊
『国史大辞典』に「配下に冷水・黒江・日高・岡崎の四カ所の枝御坊」があったとある。
- 岡崎支坊:和歌山県和歌山市森小手穂。
- 了賢寺:清水御坊。和歌山県海南市冷水。浄土真宗本願寺派。1873年(明治6年)一般寺院となる。
- 浄国寺:黒江御坊。和歌山県海南市黒江。浄土真宗本願寺派。1873年(明治6年)一般寺院となる。
- 日高:日高御坊?
辻本三十六カ寺
- 永正寺:和歌山県和歌山市永穂。浄土真宗本願寺派。
- 覚円寺:和歌山県和歌山市狐島。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。
- 善能寺:和歌山県和歌山市道場町。浄土真宗本願寺派。元は京都興正寺末。
- 念誓寺:和歌山県和歌山市東紺屋町。浄土真宗本願寺派。
- 西報寺:和歌山県和歌山市木ノ本。東本願寺末に転じた。現存不明。
- 法照寺:和歌山県和歌山市岩橋。浄土真宗本願寺派。法正庵。